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6.天上の風(3)

 ぼんやり目が覚めた。  暗い部屋の中。  傍にある携帯電話だけがチカチカと光っている。  けたたましい音を立てて。  寝ぼけ眼で携帯を開き。  着信音だと認識する。  彼からだった。  げ!  俺は飛び起きて電話に出た。 「もし、もし……」  恐る恐る声をかける。 『…………』  彼は何も言ってこない。  これは、まずい、気がする。 「もし、もし……」  マヌケにもう一度繰り返すと。 『……『それ』は駄目だって……!』  彼の絞り出すような声に殴りつけられた。  怒ってる‼  途端、心臓が凍り付いて、全身から細い汗が噴き出した。 「ご、ごめん……」  ただ謝ることしかできない。 『本当にごめんって思ってる⁉』 「思って……」  ……ない。  彼の気持ちを考えなかったことに対しては謝る。  でもやろうとしたことについては全く謝罪する気がない。 「でも、さ」  必死に言い返す。 「あんたが挑発してきた、んじゃん」  あんな風に擦り寄ってこられたら。  男は皆誤解する。  そしたら、彼はまた無言になってしまった。  どうしたらいい?  また心臓が冷える。 『ごめん……』  向こうから謝罪の声が聞こえた。  意外な反応にたじろぐけど。  俺のたじろぎなど知らず、彼の声は続いた。 『でも、夢の中の俺さ。自分の感情に歯止めが利かないんだ』  不思議に思ったことはひたすら探求して。  好きなものにはひたすら執着して。 『だから、今日何でこんなに胸の音大きいのかな、と思ったら』  そうしていたのだと言う。 「それは、分かってるでしょ……」  溜め息交じりに呟く。 『分かってるよ。でも、いつもそんなんじゃなかったし……』 「今日は、久しぶりだったから、嬉しくて緊張したんだよ」 『……そうか』 「うん」 「あのさ」  この際だ、はっきりさせよう、と思い、俺は尋ねた。 「あんた、俺のことどう思ってるわけ?」 『っえ?』  彼の声が上擦る。  『ごめんなさい。好きじゃありません』と言われたら、終わってしまうのに。  そうなれば、今後やりにくくなるのに。  彼から返事がない。  迷っているんだろうか。  もし迷っているんだとしたら。  何を迷っているんだろう。  何に迷っているんだろう。  少なくとも、俺は彼を迷わせるだけの存在なんだろうか? 『えっと……』  多分長くなるよ、と前置きして彼は話しはじめた。 『俺、貴方のこと好きだよ』  え…………⁉  心臓が高く舞い上がる。  が、『でもね』と言う音に急降下した。 『俺の『好き』、は貴方が言う『好き』ほど、明確じゃないんだ』  俺は貴方にみっともないところをいっぱい見せたと思う。  普通なら同じ男、ましてや年下にあんな弱み、絶対に見せたくない。  でも貴方には恥ずかしいとか、そんな感情が先に立たなくて。  良くも悪くも、俺すごく素直でいられるんだよね。 『そして』  普通、男が男に抱かれて落ち着くなんてことはないと思うんだけど。  貴方に抱かれていると、俺はすごく落ち着くんだ。  すごく気分が安らいで。  幸せだな、って、思う……。  それは、夢の中でも、現実でもそうで。  で、本音をぶっちゃけると、実はキスも嫌じゃない……、のかも。  好き、とまでは言えないけど、少し、嬉しいって気持ちもある、のかもしれない。 『だからって良いって訳じゃないよ⁉』  と、必死に釘を刺した後、また声を紡ぐ。 『だって、俺は自分から、キスしたいとは思わない、から』  キスですらそんな曖昧な状態で。  だから『やる』のなんて全然無理で。 『前も言ったように、俺は貴方とやれると思う』  でもやりたいとは思わなくて。  貴方に迫られると、正直すっごく迷う。  こっちにその気がなくても、応えてあげれば貴方は喜ぶんだと思う。  貴方が喜んでくれれば、俺は少し嬉しいと思う。  でも、そんな行為や意識は貴方に対して失礼だとも思う。  そんな気持ちで貴方を受け入れるのは、たとえ夢の中でも嫌だ。  もしそんな気持ちで貴方を受け入れたら。  何かを掴みかけているのに、それが全部駄目になってしまうような気がする。 『だから、『あれ』はやめて』  自分の感情がこの先どうなるのか分からない。  でも、少なくとも今はできない。  彼はそう言った。  誠実な返事を貰ったと思った。  俺の心がどんどん沈静する。  彼の気持ちがはっきりしなくても。  少なくとも『はっきりしない』という答えは貰った。  そして彼が俺について、ちゃんと考えてくれていることも分かった。  でなきゃ、あんな咄嗟にあれだけの返事が出せるとは思えない。 「うん、分かった。ごめん。……ありがとう」 『ううん。俺も、こんな時間にごめん』  そして電話は切れた。  俺は驚くほどに大人しくなっていた。  自分の気持ちに応えてもらってはいないのに。  不思議な満足感で満たされて。  俺はまたベッドに横になった。  その後、夢の続きを見ることはなかった。  久しぶりに動画サイトとリンクした総合掲示板を訪れた。  調べるのは勿論彼のこと。  彼についての掲示板のみを調べる。  するとかつての方の掲示板で、少しではあるが、書き込みが増えていた。  ただ、その書き込みは俺を複雑な気分にさせた。  内容は、以前彼から聞いたコメントについてだった。  『あんな事件起こしておいて、まだ歌ってるな。』というやつだ。  それに対しての批判意見だった。  すぐ消されたコメントの割に結構見た人がいたんだな、と思った。  意見の数々はどれも、似たようなものだった。  『あれは彼らのせいじゃない。』  『彼らが悪いんじゃない。』  そんな声だ。  それを見て、皆、彼や彼の仲間を責めていない、と安堵はしなかった。  どう考えたって、それらの意見は素晴らしいものではなく。  正常な人間なら、誰でもそう考えると思ったから。  ただ、彼を応援する人は確かにいるんだと、単純にそう思った。  彼の歌を待つ人間がいる。  それは嬉しいことだと思う。  俺には関係のないことではあるけれど。  彼が一人でも歌えるようになるきっかけになると思ったから。  その反面。  どんな意見であっても、彼に何らかの影響を与えはしないだろうかと心配になって。  怖くもなった。  良いことも悪いこともひっくるめて、彼に対する意見が怖いと思うときがある。  何かの火種になりそうで。  何らかのいざこざが起こりそうな気がして。  そんなものが彼を傷つけないか心配で。  そんな心配をして、俺に何かができるわけでもないのに。  気分は複雑に揺れていた。  やっぱり、あの黒い靄はそんな人たちの思念じゃないだろうか?  彼と彼の歌を取り巻く、全ての人の思念。  もしかしたら、俺の思念も含まれているのかもしれない。  ただ、……あの瞳だけが理解できない。  今の名前での掲示板には一つコメントがついていた。  彼とかつての彼が同一人物であることは語らない、というのは暗黙の了解だ。  そのコメントを書き込んだ人物が、そんな事情まで考慮していたのか分からないが。 『彼の歌が聴きたい。』  と、一言だけ書いていた。  彼の歌を望む人間はいるんだ。  彼が早く歌えるようになればいいのに。

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