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7.天上の闇(2)

 夢の中でまた俺は歌った。  横には化物がいる。  化け物は俺の歌を気に入ったようだ。  じっと、耳を傾けているように見える。  悲しそうな目を時々ゆっくり瞬きさせて。 『おまえって歌が好きなんだな』  尋ねると。  化物が俺に目を向けた。  それから一度だけゆっくり瞬きする。  そうらしい。 『じゃなんでそんな悲しそうな顔するんだ?』  化物の体が少し前に曲がった。  恐らく、俯いたんだと思う。  ゆっくり瞬きを繰り返して。  その姿がやっぱり彼と重なった。 「-最近どう?」 『-ん。まぁ、なんというか……』  俺の質問が悪かったな。 「-夢は見てる?」 『-見てる』  やっぱり暗い中で一人きりで眠っている夢だそうだ。 『-でも、少し変わったんだ』 「-どんな風に?」 『-俺は寝てて、そしたら、どこからか声が聞こえるんだ』 「-へぇ?」 『-その声は小さくて、誰の声か分からないけど』 「-そうなんだ」 『-うん』  誰の声だ?  と、思いつつ、俺の声だろうか、などと考えてみる。 『-俺は、その声を聞いて、起きたくなるような気もするんだけど』  やっぱり起きたくないなって……。 「-そうか」 『-うん』  なんなんだろうか?  彼は別の夢を見はじめて。  俺は相変わらずあの夢を見て。  お互い別の道を歩みはじめている?  もう、あの夢は終わったのだろうか?  もし、彼が夢の中で聞いている歌声が俺のものだとしたら。  なぜ俺も彼もそれぞれに同じ夢を見続けているんだ?  夢の中で始まる俺のコンサート。  もう何度歌ったか分からない。  誰に頼まれたわけでもない。  強制されているわけでもない。  でも、ただ俺は歌い続ける。  化物という、ただ一人の観客を相手に。  自分で言うのもなんだが。  だいぶ上手くなってきた気がする。  自分の思ったように声が出るようになってきたし。  苦手な部分も減ってきた。  でもそうやって調子に乗ると……。 『……っと』  失敗した。  歌が止まってしまった。  ……今日はこのぐらいにしておこうか。 『なぁ、化物』  俺は化物に声をかけた。 『おまえは誰なんだ?』  何から生まれた?  なぜ存在する?  おまえの正体はなんなんだ?  質問攻めにするけど。  化物はやっぱり黙っていた。  ゆっくり瞬きをして。  その二つの目をじっと見つめた。  その時。  ふわっと、黒い靄が揺らめいて。  ほんの一瞬だったが。  あの人が見えた気がした。  化物の青い目と、あの人の悲しげな目が重なって。  黒い靄の中に、あの人を見た、気がした。  とっさに手を伸ばした。  もしあの人がこの中にいるならば。  この靄から引き摺り出したい。  でも、やっぱり靄を掻いただけで。  中には誰もいなかった。  なぜだ。  なぜ、あの人と化物がああも重なるんだ。  化物はあの人の敵じゃなかったのか?  あの人を取り巻く無数の人間の思念じゃないのか?  そして、なぜあの人は夢に現れなくなった?  疑問は溢れ続けるのに。  それを解決する糸口が見つからなかった。  そんな夢を見続けたある日。  彼が言った。 『-夢の中で、貴方の声が聞こえたんだ』 「-え?」 『-小さかったけど、でも貴方の声だって分かるぐらいには聞こえた』 「-そうなんだ」 『-うん』  やっぱり俺の声だったんだ。  ということは?  やはり俺たちは別の夢を見ているわけではなく。  同じ夢の中の、どこか別の場所にいる。  ――と考えた方がいいんだよな?  夢の中。  俺は家の中を探した。  できるだけ暗いと思える所を順番に。  でも、あの人はいなかった。  仕方なく俺は奥の座敷に戻り。  座り込んで、また歌った。  傍にはやっぱり化物がいて。  俺は飽きたころにまた語り出す。 『あの人は、いつ現実で、一人で歌えるようになるんだろうな』  天井を仰ぎ、溜め息をつく。  こんなこと、化物に言っても仕方がないのに。 『俺さ、あの人が好きなんだ』  またもや、こんなこと、化物に言っても仕方がないのに。  なのに、止まらない。 『最初はあの声が好きだった』  最初は頭の中でずっと鳴り続けて不快ではあったけど。  綺麗だということはちゃんと認めていた。  あの人の声は綺麗で。  胸が痛くなるほどに澄んでいて。  なのにどこか艶かしくて。  世界がどこまでも広がるような表現力があって。  どこまでも穏やかで優しい。 『で、あの人自身に会って』  その歌声そのままな人だって思った。  穏やかで、優しくて、清冽で、柔らかくて、少し儚い感じで。  そして強くて、弱い。 『俺はあの人自身を好きになった』  そうは言っても、彼のことをどこまでも知っているわけじゃない。  でも、恋は盲目って言うだろ?  まさにそのとおりなんだよ。  俺の気持ちは盲目的だと思う。  彼を何が何でも守りたいと思うし。  彼が笑えるのなら、それだけで満足だ。 『だから、早くこの夢から解放させてやりたい』  彼が心の底から解放されて、歌えるようにしてあげたい。  その時だった。 (イ、イ……ノ……?)  どこからか声がした。  俺は声の主を探して、辺りを見回した。  俺の目は化物を前に止まった。  この中から……?  俺は化物をじっと見つめた。  化物の青い瞳も俺を見つめている。  そして、また声が聞こえた。 (ソ、シタ……ラ、モ、……ゥ……)  声が途切れた。 『何だ?』  俺は必死に耳を傾けた。  が、化物は砂塵の様に消えてしまった。  気持ちの悪い目覚めだった。  『そしたら、もう』なんなんだ!  八つ当たりで枕を壁に投げつけた。  バイトから帰り、部屋でネットサーフィンをした。  彼のことに関して調べていたわけではない。  ただ適当に、サイトからサイトへ流れるだけ。  でも、別のウィンドウからは彼の声が流れていた。  ……本当にいい声してるよなぁ。  『男』ってのは分かってるんだけど、それをどこかしっかり認識できない声って言うか。  リズムや音程が怖いくらいに安定してるから、機械的にも聞こえるけど。  声が放つ表現力も半端ないだけに、すごくバランスが良い。  デスクに突っ伏した。  早く、新作が聴きたい。  いつアップしてくれるんだろうか。  でもあんまり急かすわけにもいかないしな。  『時間が解決してくれる』って彼も言ってることだし。  そんなことを考えながら、彼がチャットにインしてくるのを待ったが。  その日彼はインしてこなかった。  でもそんなことは時々あったので、大して気にも留めなかった。  そんな日もある。  そう片づけて俺はネットサーフィンを続けた。

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