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7.天上の闇(5)

 夜、いつものようにボイスチャットにインすると。  彼が先にインしていた。  マイク付きヘッドホンをつけ、早速彼にコンタクトを取る。  まずは挨拶から始め。  なんとなく取り留めのない話をしたりした。 『―あの、実は』 「―ん?」 『―……ちょっと、歌ってみたんだ』 「―ほんとに⁉」 『―うん』  一人で歌えたんだ。  胸が弾む。 『―まだアップするにはまだまだなんだけど』 「―うん」  電波を伝って、俺のパソコンに何かが送られてきた。  届いたのは一つのファイル。  送信者は彼だった。 『―良かったら、聴いてみて』  デモの段階だから、音も悪いし、編集も何もしてないけど、と断る。 「―分かった。早速聴いてみてもいい?」 『―え……。ん~、……いいよ』  多分照れ臭いんだろうな。  その気持ちは分かるが、もう抑えられない。  俺は彼とのボイスチャットを一時中断し、そのファイルを開いた。  勿論ヘッドホンをつけたままで。  小さなノイズの後。  彼の歌声が聞こえた。  確かに音はあまり良くないが。  ずっと待ち焦がれていた彼の新しい歌声だった。  胸が真っ白な何かで埋め尽くされて、苦しい。  ぎゅっと詰まる気持ち。  涙が溢れそうになる感覚まで込み上げて。  思わず何かに祈ってしまいそうになる。  『――が好きすぎて生きてるのがつらい。』ってこんな時使うんだなあ、と実感する。  聴き終わった後、またボイスチャットに戻った。 『―どうだ――』 「―エクセレント!」  食い気味で答える俺に、彼が笑い声を立てた。 「―耳が幸せ」 『―あはは』  何でだろうなぁ。  本人に直接、なんでこんなに素直な感想を伝えられるんだろう。  ましてや同性の、似た年頃の人間に。 「―これ、ブログとかでアップするの?」 『―ん? いや……』  少しまごついた後、彼は言った。 『―あげる』  そして、せめてものお礼だ、と付け加えた。 「―え!」  と、いうことは……。 「―じゃ、これ公開しないの?」 『―ん~。アップしたくなったら、また歌い直してするかもしれないけど……』  それは公開しないよ、と言う。  マジで‼  と、いうことは。  と、いうことはだよ?  俺だけの彼の歌‼  やばい! やばいですよ‼  何がやばいって、俺がやばい!  俺の心臓も、脳みそも全てがやばい‼  どうしていいか分からず、思わず頭を抱え込んだ。  俺の周りに花が咲きはじめる。  キラキラとした無数の星が散りはじめる。  『きゃっきゃっきゃっ』といった感じの擬態語が飛びはじめる。  俺の周りがどんどん女子高生の記念写真みたいに賑やかになっていく。 『―あの……』  ああ! だめ‼ 今声かけないで……‼  本当にどうかなってしまいそうなんだ‼ 「―えっと……」  ありがとう、大事にします。  それだけ言うのが精一杯だった。  頭を抱えたまま。  ごめん、と頭の中で一言。  夢の中の彼を思い出しポツリと謝る。  多分、今夜は眠れない。  暫くして。  俺はまた例の掲示板を覗いた。  また少しだけだが、コメントがついていた。  彼の高音は異常、とか、どうやったらあんな歌が歌えるんだ、など。  簡単で素直な賞賛のコメントばかりだった。  幸い、一連の事件は自然と鎮火していて。  画面に浮かぶ文字の羅列に穏やかなものを感じ。  これが彼の言う『時間の解決』というものなのだろうと判断した。  夢の中。  俺はまた彼に歌を教えた。  以前から彼に教えている歌だ。  化物が現れる日もあるので、彼と会えるのは毎夜ではなかった。  最近化物が現れる日は彼が現れず。  彼が現れる日は化物が出てこない。  ただ。  彼がいる日、化物は庭に居るのかもしれないが。 [ア……ア、ア……~……~~♪]  だいぶ歌っぽくなってきた。  だんだん歌えるようになってきたことが嬉しいらしい。  まだ欠片ながらも、彼は楽しそうに音を紡いでいる。  でも、本人は楽しげではあるが。  そんな彼の姿に、俺は少し苦笑してしまう。  声は確かに素晴らしいものだけど。  彼がまだまだ歌になりきらない幼稚な音の欠片を、楽しそうに紡ぐ姿に。  もどかしいような、一種の残念感を覚えると言うか。  とにかく、複雑な感情が芽生えるのだ。  しかし疑問だ。  彼の姿を眺めそう思う。  現実の彼は驚くほど曲を覚えるのが早かったのに。  目の前の彼はお世辞にも早いとは言えない。  彼はまだまだ大きめの欠片を零すだけ。  そんなまま、その日は夢から覚めた。  また一日を終え、彼とボイスチャットをした。  疲れていても、彼とのチャットは楽しくて。  これといった話をしてなくても、沈黙に気まずさを感じない。  でも話したくなればなんてことない話を楽しんで。  自然な空気が流れていた。 「―そういえばさ」  ふと会話が欲しくなり、俺はこう切り出した。 『―ん?』 「―歌、だいぶ覚えてきたよね?」 『―へ?』 「―あ、俺が夢の中で教えてる歌のことだけどさ」 『―え……?』  彼が戸惑った声を上げた。  そんな彼に俺も戸惑った。  てっきり、『いやぁ、なかなか覚えられなくて』みたいな返事がすぐ返ってくると思っていたから。  実際、彼が歌を覚えるスピードには、夢と現実で結構な差があって。  実は、そんな返事を見越して、なぜ覚える早さが違うのか、俺は尋ねてみるつもりだったのだ。  彼もそれを分かっているだろうと思っていたのだが……。  しかし、俺の予想は根本から見当違いだったのだ。 『―えっと、あの……』 「―何?」 『―……俺、何か教わってたの、かな?』  ……え? 「―何って、最近ずっと教えてたじゃん」  あの屋敷の一番奥の部屋で。  俺がふと思い出した曲を歌ってみたら。  あんたはその歌に興味を持って。  俺はその歌を歌って聴かせて。  あんたはそれを真似て覚えて。  でもまだそれは途中で。  あんたはまだ全部覚えきれてないんだけど……。  一通りの説明を終えると、彼は未だ戸惑ったままの声を零した。 『―俺……、貴方に会ってないよ……?』  え? 『―俺はずっと、闇の中で横になってて』  でも、どこからかずっと歌声は聞こえてて。  その歌声を聞く夢を見続けているんだけど……?  頭の奥がスーッと冷たくなっていった。  無言になった俺の様子を、彼はなんとなく察したんだと思う。  そして、それを承知で、彼は言葉を続けたんだと、思う。  困惑したベールを纏った彼の声が静かに言葉を作った。 『―貴方は、誰と会ってるんだろう、……ね?』 「―だれ、なんだ……」  それだけを言うのが精一杯で。  彼のひっそりとした淡い声だけが、頭の中で何度も回り続けていた。

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