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8.天上の月(2)
「―最近変わったことない?」
いつものボイスチャット中。
俺は彼に尋ねた。
『―変わったこと』
ってのは、夢のことだよね?
そう尋ねる彼の声が少し重い。
訊かれたくないんだろうか?
そう推し量るが、そのとおりだったので「そうだ」と答えた。
『―えっとね』
少し間を置いて、彼が言葉を続けた。
『―白い光が見えたんだ』
俺は貴方の声を聞くたびに。
それがだんだん大きくなっているのに気づいた。
そして、ほんの少し前の夢だったんだけど。
『―俺は起きて、貴方の姿を探したんだ』
でも暗闇の中には誰もいなくって。
その時はそこで目が覚めたんだけど。
『―昨日、白い光が見えたから、その光に向かって歩いたんだ』
残念ながら、その白い光のところに辿り着く前に目が覚めてしまったけど。
「―へぇ。じゃ、もしその夢を次も見られたら、また俺たち会えるかもしれないな」
『終り』が見えるかもしれないな。
――だが。
『―うん……。そうだね』
相槌を打つ彼の声色は妙だった。
嬉しくないのかな?
そう思うと同時に気づく。
ああ、そうか。
夢が『続き』から始まらない限り、光には辿り着けないかもしれないんだ。
もしかしたら、永遠に辿り着けない光を目指す夢かもしれない。
まだ気楽には考えられないな。
そう気を引き締め、その日のチャットを終えた。
夢の中。
屋敷の一番奥の部屋に「彼」がいた。
俺が来たっていうのに。
「彼」は俺の方を見ない。
俺の存在に気づいていないのか。
それどころではないのか。
楽しげに、俺が教えた歌を歌っていた。
「彼」の傍に腰を下ろす。
「彼」は俺に気を取られることなく歌い続ける。
(歌を覚えたら、俺はもう用無しってことか……)
落胆の溜め息が零れた。
「彼」の歌声が座敷を舞う。
だいぶ綺麗に歌えるようになっている。
少し前まで破れかぶれで歌っていたのに。
そんな「彼」の声に耳を傾け。
ずっと「彼」の歌を聞いた。
[~~~~♪、ッ……]
「彼」の歌が止まった。
失敗したらしい。
そうなってようやく「彼」は俺に目を向けた。
少し怯えた目。
失敗したのを責められるとでも思ったのか。
『大丈夫。上手く歌えてるから』
続きを歌って。
そうねだって、「彼」の頬に触れると。
「彼」は頷いて続きを歌いはじめた。
「―どう? 白い光の夢は」
ボイスチャット中、俺は彼の夢の経過を尋ねた。
『―んと、だんだん光の方に近づけてて』
実は、その白い光まで辿り着けたんだ。
そして、光の先を覗き込もうとした時に。
『―目が覚めちゃった』
「―そうか」
ということは。
今夜、何らかの動きがある。
俺はそう確信し、覚悟した。
ところがその夜、俺は夢を見なかった。
疲れていたからかもしれない。
数日に一度の日がその日に限って来てしまったのだ。
こればかりは仕方がない……。
と、起きてから溜め息をついた。
メールで彼と連絡を取ったが、彼も夢を見ていないと言っていた。
出端を挫かれてしまった。
そして、夜、彼はチャットに現れなかった。
どうしたんだ?
とは思ったけど、ひとまず向こうからの連絡を待つことにして寝た。
鬱蒼とした森の中の一軒家。
その奥を目指して、俺は歩いた。
緊張していた。
いつもなら、「彼」に会いたくて足取りは軽いのに。
今日はすごく足が重く感じられた。
ゆっくり襖を開ける。
その先に、「彼」がいた。
「彼」は歌っていて。
歌は既に終わりに差し掛かろうとしていた。
歌い終わると。
「彼」は俺の傍へ寄ってきた。
それから俺の顔を見上げ。
嬉しそうに微笑んだ。
『こんばんは』
そんな声を零す。
「彼」は俺の声を聞いて。
ますます笑んで小さく頷いた。
こんな挨拶したことがなかったのに。
なんか改まった気になってしてしまった。
それにしても、この顔ってさ。
……恋してる顔だと思うんだよな。
だって、可愛すぎんだもん。
俺、自惚れてるかな……。
そう思いながら「彼」の頬に手をやった。
すると「彼」は白い腕を俺の体に絡めて、抱きついてきた。
えええ!
駄目だって。
そんな可愛いことしちゃ駄目だって!
俺勘違いするから!
そう慌てたが……。
今まで「彼」がそんなことをしてきたことは一度もない。
もしかして。
『あの、……』
あんたなのか?
尋ねてみた。
白い光を通して出てきたのか?
そう思って。
「彼」は顔を上げ、首を傾げた。
首を傾げるということは。
俺の言っている意味が分からないってことか?
『あんた』が分からないから、つまりは彼ではない、という否定の意味なのか?
どういうことなんだ?
そんな俺の困惑を全く無視して。
「彼」は俺の胸に体を預けたまま。
また歌いはじめた。
透き通った綺麗な声が俺の胸に響く。
『なぁ。ちょっと人の話聞いてくれよ』
このままでは拉致があかないと思い「彼」の体を離すが。
「彼」の歌声がやむことはない。
「彼」は楽しげに歌い続け。
『おい、聞けよ。おい』
両の肩を掴んで揺するが、それでも「彼」は歌い続けた。
楽しげに。
溺れるように。
そんな「彼」を眺め。
俺の背筋が冷たくなっていった。
これは彼じゃない。
さっきまであれほどまでに愛しい存在だったのに。
今、俺は「彼」が怖い。
享楽的に、中毒の様に。
漂うような恍惚とした表情で歌い続ける「彼」。
「彼」の両肩を掴む手までもが冷たくなっていた。
ふと顔を上げると。
また部屋の隅に化物がいるのが見えた。
『なぁ、おまえなら分かるんじゃないのか?』
「彼」が誰なのか知ってるんじゃないのか⁉
焦った声で化物に問う。
でも化物はいつもの悲しげな瞳を見開くばかりで。
俺はどこかに堕ちるようにして目が覚めた。
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