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第6話 褐色のファウンテン
なぜ六月に文化祭があるのか、僕には理解できない。
午前中かろうじて踏みとどまっていた土曜日の空は、昼過ぎになってやっぱりダメでしたというふうにしょんぼり降り出した。
文化系の部活やステージのあるやつらは朝からばたばたしていたが、僕のクラスは教室を使った展示発表で、設営してしまえばそれでほぼ終わりだ。帰宅部や体育系部活の人間が交代で受付をすることになった。昼前に当番を終わらせていた僕は、撤収作業の始まる四時まで自由の身だ。
友だちのいる別のクラスに顔を出し、普段何をやっているのかわからない文化系の部活の展示をひやかし、ついでに中村先輩のクラスにも行ってみたが、先輩の姿は見当たらなかった。
どの教室をのぞいても、大抵は面白みもやる気もない無難な展示発表ばかりで、見ているうちに眠くなってきた。文化祭で授業がないのをいいことに、ゲームで夜更かししてしまったのだ。
眠れるような場所があればいいが、なかなか見つからない。それで、学校の隣のコンビニから目覚ましにコーラを買ってきた。校内の自販機は炭酸飲料を全く置いてないのだ。
「お、ちょうどいいところに松元!」
来客用のスリッパの音が響く廊下を、あくびしながら休める場所を探して歩いていたら声を掛けられた。半分脳みそが眠ったままとろりと振り向くと、小さな銀色のものが飛んできた。
ギターのケースを背負った水泳部副部長の佐野が、同じように楽器ケースを持ったやつらに囲まれるようにして立っていた。背が低くく、よくて中学生。高校生にはとても見えない。元気ないたずら坊主の弟みたいで、女子部員や後輩たちにもよく「副部長かわいー」と頭をぐりぐりされている。
「どうしたの?」
僕はとっさに受けとめた銀色の鍵と佐野を、交互に見ながら尋ねた。
「横田先生に鍵、返しといてもらえる? 部室に楽器置いてたんだ」
見覚えのある鍵には、プールと書かれた青いプラスチックの札がついている。
「いいけど……僕も部室使っていい? 撤収が始まるまでには先生に返しとくからさ。眠くて……休める場所を探してたとこなんだよ」
「もうすぐ俺たちの演奏始まるのに、見てくれないの?」
拗ねながらも、佐野は了承してくれた。「部外者が入って来ないように、入口の鍵は掛けとけよ」と言い残すあたり、ちゃんと副部長してると思う。
二階の体育館へ登る大きな階段と、一階のプールへ入る階段は別のものだ。一階に横付けされた短いステップを登り切ったところに、先輩がいた。
プールの入口ドアのあたりは踊り場のようになっていて、まわりを囲むコンクリートの壁が目隠しになっている。水泳部関係者なら、一人になれる場所としてここを思いつくのは自然かもしれない。
目を閉じて、頭と右肩をコンクリートに預けていた先輩は、足を投げだし、腹のあたりで軽く指を組んでいた。左側には空になった紙コップ。夏服のグレーのズボンのポケットから耳までコードが伸びる。近づくと小さく音が洩れていて、片方のイヤホンが外れていた。寝てるんだな、と僕は思った。
「……純生」
目を閉じたまま、先輩が困ったように小さく僕の名前を呼んだ。先輩の夢の中で僕は一体何をやらかしてるんだろう? 気にはなったが、寝言に返事をしてはいけないと言う。先輩の前にしゃがんで起こそうか迷っているうちに、先輩は勝手に目を覚まして、まぶしそうに僕を見た。
「なんでこんなとこにいるの?」
イヤホンのコードを巻き取りながら僕につっけんどんな質問を投げかける。あんまり機嫌はよくなさそうだ。やっぱり何かやらかしてたんだな夢の中の僕。でもそれ、現実の僕とは関係ないです先輩。
「眠くて。部室で寝ようと思ってきてみたら、先輩がいたんです。それだけです」
「……俺、何か言ってなかった?」
ぶんぶんと勢いよく顔を横に振ると、先輩は失笑した。そのままカップに手を伸ばし、空だったことを思い出したように、コンクリートの床にまた置く。
「飲みます?」
ビニール袋から出したペットボトルはまだ冷たい。先輩が頷いたので、カップに褐色の液体を注ぐ。
「じゃあ、お礼にアメを上げよう」
少し機嫌が良くなったのか、先輩が笑ってズボンの左ポケットから細長い包みを出す。と、既に開いていた包みからこぼれ落ちて、褐色の液体に白い粒がいくつかダイブする。
やばい。
「メントス爆弾!」
僕は叫んで、褐色の飛沫から先輩を守ろうとした。RPG(グレネードランチャー)を撃ち込まれたときは、そうやって大声で叫んで、仲間の兵士をかばうのだ。勢い余って抱きついたような形になったのは事故だ。
「純生?」
戸惑うような声が耳元でする。息がかかってくすぐったい。だかそれは問題ない。気になるのは、予想された感覚がないことだ。つまりはシャツが濡れる冷たさが。
「……あれ?」
先輩の首に手を回したまま恐る恐る振り返る。紙コップの中のコーラはまだ盛大に泡立っていたものの、噴出には至っていない。泡の収まり始めた紙コップを取って、「炭酸は抜けてると思いますけど、飲みます?」と差し出すと、先輩は軽く眉間に皺を寄せて首を横に振った。
「メントス爆弾って何?」
「動画で見たことありません?」
ウィキペディアには「メントス」の項目に「メントスガイガー」という記事がある。人工甘味料の入っている炭酸飲料のペットボトルにメントスを投入すると、間欠泉のように勢いよく噴出するのだ。
動画サイトでも、他にどんなものを投入するとこの現象が起こるのか、飲み物の種類で噴出程度は変わるのか、検証していたりする。
そう説明しても、「そんなこと言って、俺のこと押し倒したかっただけじゃないの?」とまるで冗談扱いだ。
「じゃあ、証明してみせますから。メントスください」
「上手くいったら今度はキスでも迫るつもり?」
と、あくまでもからかう先輩から白い粒を四つもらって、階段の下、雨のあたるコンクリートのたたきの上にペットボトルを置いた。もったいないけど、残りのコーラにメントスを全投入する。
駆け足で階段を昇ると、見計らったように噴出が始まった。やっぱり、開口部の大きい紙コップではなく、口の細いペットボトルでやらなければ起こらない現象らしい。
二人で階段の一番上に座って、噴水のように吹き上がるコーラに歓声を上げていたが、ふと我に返った。
先輩にキスしてくださいって、言わなきゃならないんだろうか? ……いや、あれはいくらなんでも冗談だろう。
頭を振って、噴出の収まったペットボトルを取りに行く。まだ三分の一ほど残っていた。
「どうするのそれ?」
聞かれたので、答えは行動で示す。
「残った材料はスタッフがおいしくいただきました!」
空のボトルを片手に宣言する僕の耳に、先輩の爆笑が響いた。
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