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第10話 初夏の三角点(3)
「ホテルで僕をどうするつもりなんですか?」
炎天下の駅前ロータリーにやってきた送迎バスを見て、とりあえず突っ込んでみる。バスの横っ腹に書いてあるのは、市の南端あたりにあるホテルの名前で、名前くらいなら僕も知っていた。
「どうにかしてほしいの?」
涼しい顔でマイクロバスに乗り込む先輩の返答はさすがだ。今日の服装と同じで隙がない。
自分だけ、水色の上着に白いシャツ、薄茶色のズボンなんて、他所行きみたいなおしゃれして、反則だ。
スーツケースをごろごろ引いて、旅行だからちょっと格好も気合い入れてきました風の年齢層高めの集団の中で、Tシャツ、ジーンズ、スニーカーという、近所で犬の散歩するときと変わらない格好の僕は浮いている。Tシャツは、帰省した兄からもらったどっかのショップのものなのがせめてもの救いだった。
三十分ほどバスに揺られて、目的地に着いた。
山の上にある建物は少し古いが手入れはされていて、眺めがよかった。東の海側に向かって、下方にゴルフ場が広がり、反対の西側には小高い丘があって、風力発電の白くて巨大な風車が一基立っていた。ぞろぞろと降りる宿泊客に付いて建物の中に入ろうとした僕を、先輩が呼び止める。
「目的地はあっちだよ」
先輩の指さした方向には、よく晴れた初夏の青空をバックにした白い風車。バスの中で何しに行くのか聞いても、「内緒」とにこにこするばかりだったけど、なるほど、今日は風車見学ツアーでしたか。
丘への登り坂は急で、さすがに先輩も上着を脱いだが、台風の強風圏突入レベルに近い風のおかげで、暑さは気にならなかった。
頂上に近づくにつれ、変なものが見えてきた。
平たくなった丘のてっぺんは、絵本のお城のテラスみたいな、でこぼこに積まれた灰色のコンクリートブロックがぐるりと囲んでいる。その上に、やはりでこぼこの手すりの灰色の四重の塔。お姫さまが住んでいるような細長いのではなく、幅が広くて、世界史の資料集にあったバベルの塔の絵に似ている。
塔の正面は、車が数台停められるような広場になっている。そこから大きめのコンクリートの階段が二つ、八の字形についていた。階段の合流部に文字の多い説明看板があり、階段にはさまれた植え込みには咲き残りのツツジの花の赤がところどころ散っていた。
丘のてっぺんにある塔の向こうはコンクリートを流した遊歩道が続いていて、大きな風車の支柱が上半分だけ首を出している。
こっちだよと、先輩はさっさと階段を上がっていく。追いかける途中で立ち止まって看板を読むと、「一等三角点」とある。明治時代に定められて、戦前は陸軍が管理していたそうだ。そのせいか、無骨で要塞の廃墟っぽくてちょっとカッコイイ。
塔は、上に登る階段と、ぐるりとまるく囲む回廊でできていた。回廊の床には赤茶色のレンガが敷きつめられて、そういうところも昔の建物っぽくて良い。
階段は〇度と百八十度の位置に二つずつ設置してあって、階を登るごとに九十度ずれていく。回廊を回って登ってを繰り返し、塔の頂上に着いた。コンクリートブロックの手すりの向こうに風車の頭の部分が見える。
中心には幅五メートル、高さ一メートルくらいの段があって、芝生が植わっている。そのまた中心に二十センチ四方の石柱が埋め込んであり、それが三角点らしかった。
海側の通路に、強い風に吹かれて立つ先輩を見つけた。隣に僕も並ぶ。
空を飛ぶ鳥の視界が、目の前にあった。
いつも横から見上げる湾越しの火山を、今日は斜め上から見下ろす。まるで空撮みたいだった。僕の家のある市の北側に向かって、今日も灰色の噴煙が流れている。ここはこんなに風が強いけど、海はきっと穏やかなんだろう。光を反射する波は、ジオラマの箱に敷かれた青いガラス粒のように静止して見えた。
「ここ、一番好きな場所なんだよ。好きな人と来たかったんだ」
風の音がうるさかったけど、言葉ははっきりと聞き取れた。
先輩には好きな人がいる。だけど付き合ってはいない。彼女がいたら、こんなにしょっちゅう僕と遊んでるわけがない。
告白したらうまくいくに決まってるのに、来年には進学で県外に出るつもりの先輩には言えないんだろう。
本当はその人と来たかったんだろうな。
「先輩の好きな人って、同じ高校ですか?」
僕に横顔を向けたまま、「うん」とうなずく先輩の耳が赤くなっていた。
「三年生?」
「いや、二年」
「……どんな人?」
誰ですか? とは聞けなかった。
同じ学校の同じ学年なら、名前を知ってしまえば意識せずにはいられないだろう。その子のことをうっかり僕まで好きになってしまったら話がややこしくなるし、なによりも先輩に申し訳ない。
だから、誰ですか? とは聞けない。先輩が好きな人には興味があるけど。
「地味だから目立たないけど、きれいな子だよ。でも、性格はすごく可愛くて、癒し系っていうか……」
「美人で可愛くて癒し系とか、最強ですね!」
やばい。僕もそういう女の子は好きだ。名前聞かなくてよかった。
「スタイルもよくて……」
「巨乳ですか?」
地味系美人=眼鏡っ娘(眼鏡外したら美人)の隠れ巨乳が頭に浮かぶ。
それ、なんてエロゲですか先輩!
「いや、巨乳とかじゃなくて……」
「美乳ですか! そうか。先輩は大きさより形なんですね?」
「……何の話だよ純生」
呆れたように先輩がにらむので、僕は逃げるように回廊をぐるっと移動してまわりの風景を楽しんできた。一周回って元のところに戻ってくると、先輩は僕に背中を向けたまま「このままずっとここにいようか」と風に飛ばされそうな声で呟いた。
「いいですよ」
先輩に並んで、海と火山を見ながら僕はこたえる。
夜景は絶対きれいだろうし、夏の大三角もくっきり見えるだろう。
なによりも、こんな要塞の廃墟みたいな場所で野営なんてそそられるではないか漢 なら!
――明日は学校だとか、そんなことはどうでもよかった。勉強とか進路とか、全部忘れてしまいたかった。
二年の僕だってこうなんだから、三年の先輩はもっとしんどいに違いない。
しかし、ぐうと鳴った腹の音が僕たちを現実に引き戻す。吹き出した先輩が「ご飯食べに行こうか」と手すりから離れた。
「そのあと風呂入って、三時のバスで帰ろう」
「風呂道具持ってきてませんけど。タオルも」
「大丈夫。タオルは貸してくれるし、シャンプーなんかも備え付けのがあるから」
なるほど、だから着替えだけでいいのか。便利だなホテルって。
強い風の中、僕は階段を降りていく先輩の後を追いかけた。
何年か経ってからでいい。どこかから帰って来たこの人と、今度は本当に、ここから夏の星座を見れたらいいなと思いながら。
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