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第26話 藍に乱点(16)
「それでも、死んじゃうよりはマシだからそのときはやってねって、救命救急講習の講師の方が言ってました。できたら一生聞きたくないですね、手のひらの下で肋骨が折れる音」
僕が笑顔で説明すると、先輩は「怒ってる?」とうなだれた。
「別に怒ってないですけど、こういうイタズラは止めてください。びっくりするから」
「わかった……」
「ひょっとして、くるくるされるの、つまんなかったですか?」
「いや、そんなことはないけど……あれはあれでなかなか良いものだった」
先輩が緩んだ顔を見せる。
実はこの人、エロエロ魔神なんじゃなかろうか。
絶対に、ろくなこと考えてない顔だ。だけど、たぶん、学校の誰も見たことのない、誰も知らない、先輩の顔だ。
僕は安心して立ち上がり、制服のシャツに腕を通す。先輩も浴衣を脱いで、Tシャツとジーンズに着替えた。
窓から見ると、灰雨は上がっていた。
「そろそろ帰ります。これは洗って返します。灰で汚れちゃったから」
僕は畳んであった浴衣をバッグに入れた。浴衣は、すそのあたりについた灰雨が乾いて、ばらばらに乱れて散った白い点の模様に見えた。
「送っていくよ」
先輩と一緒に建物の外に出ると、温泉地のような硫黄のにおいがした。火山灰がたくさん降った翌朝は、たまにこんなにおいがしていることがある。
電車通りに出ると、まだ神社は明るかったけど、お祭りから帰る人たちがぽつぽつ歩いていた。
僕たちのお祭りは終わってしまった。
来年、先輩は遠くに行っているだろう。そして、僕は受験の夏を迎える。
家に帰り、母に事情を話して浴衣を渡すと渋い顔をされたが、送られてきた写真データを見せると態度を変えた。
「あらっ、イケメンじゃないの! 今度うちに連れてきなさいよ」
セミより母のほうがうるさいくらいだった。
「お前、意外と浴衣が似合うがね。大学受かったら買ってやろうか」
風呂あがりの父が横からのっそり携帯の画面を覗き込むと、茶だんすの上の財布をとって千円札を二枚渡してくれた。
「その先輩て、最近よく話に出てくる先輩やろ。世話になってるなら、今度ラーメンでも食べてくればいいが」
「お父さんは、純生には甘いから……」
母があきれたように台所に戻る。
甘いんだろうか。
怒られるときは怒られてると思うけどな。こんなこと滅多にないし。
でも、甘いといえば……。
〈というわけで、お小遣いもらったので、白くま食べにいきましょう!〉
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きっと、断られることはないだろう。そんな予感がした。
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