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第2話
それだけ言って、ユーハンはじっと滝を見た。そしてまたリキョウに視線を戻す。
「リキョウは、何が得意なんだ」
「習字だよ。父と同じ書記になりたいんだ」
「今度、書いたものを見せてくれ」
初めて、同じ年ごろの子から書字を見せてほしいと言われた。嬉しくて、自然と笑顔が弾けた。
「うん」
リキョウの笑顔につられて、ユーハンも破顔した。身なりと話し方は気位が高そうだけれど、笑うととても明朗だ。
初めて、友達ができたかもしれない。町に新しく越してきた子だったらいいのにと、願わずにはいられなかった。
「実はね、この沢には、きれいな石が隠れてるんだ」
宝の石のことは、今まで誰にも話したことはなかった。なのに、とても自然にユーハンとは分かち合いたいと思った。友達になれる期待も確かにその理由なのだけれど、一番は、とりとめのない石でも、ユーハンはそれが宝になることをわかってくれると感じたからだ。
「水晶のような石か?」
「ううん。あまり光らない石がほとんどだよ。でも、形が何かに似ていたり、筋が入っていたりするきれいな石はたくさんあるよ」
道端の石ころと大差ないことくらいわかっている。それでも、ユーハンは馬鹿にしないとなぜか信じられた。きれいだと思う石が見つかれば、それがどんな石だって、きれいだと笑い合える。ユーハンを見つめると、明るい笑顔が返ってくる。
「それなら、俺も一つ探してみよう。良いのを見つけてやるぞ」
やっぱり、ユーハンはわかってくれた。嬉しくて、リキョウは笑顔を弾けさせた。
これでもない、あれでもないと言いながら、二人で今日一番の石を探した。石だらけの沢で、地面をじっと見下ろしているばかりなのに、なぜか楽しくて、他愛のないことを言いながらくすくす笑っていた。
「見つけたぞ、リキョウ。これは良い石だ」
半時ほどして、ユーハンが一つの石を見せてきた。
「見ろ。まるで碁石だ」
ささくれ一つない指先が掴んでいたのは、沢に転がっていたとは信じられないくらい、きれいな円盤状の石だった。
「本当だ。大きな碁石だね」
碁石との違いは、その大きさと、先手か後手かわからない鼠色だ。しかし、白か黒に塗って、遠くから眺めれば、誰もが碁石と勘違いするだろう、完璧な形をしている。
「リキョウは良い石を見つけたか?」
「まだだよ。今までたくさんきれいな石を見つけたけど、全部川の底に投げてしまったから、最近はあまり良い石が見つからないんだ」
何年も石を探しては投げているし、新しい石なんてそう増えるわけもない。良い石はもう見つけてしまっているのだ。
「なぜ投げてしまうんだ?」
純粋な好奇心を向けられ、リキョウは無意識に声を抑えて言った。
「他の誰も見ないままなら、この沢にあるきれいな石は全部、僕のものだからだよ」
誰のものでもない沢にある限り、石が自分のものでないことぐらいわかっている。気持ちの宝物庫というだけだ。ユーハンは、馬鹿にしない。そのことに心配はないけれど、宝を独り占めしようとした業突く張りだと思われたくなかった。
不安を抱きながらもユーハンを見ると、晴れた空のように清々しく笑っていた。
「リキョウの財宝の在処を知っているのは俺だけなのか?」
「うん」
「それは光栄だ」
リキョウの秘密を知って、ユーハンは大層喜んでいた。
「だが、この石は持って帰るぞ。部屋に飾りたい」
そう言って、ユーハンは見つけた碁石状の石を高く持ち上げて、リキョウに見せてから、懐にしまった。
「リキョウの財宝を見せてもらったからには、俺の宝も見せねばならないな」
「ユーハンの宝?」
「ああ。大切にしている物があるから、今度見せよう」
「ありがとう」
また会う約束に大喜びするリキョウに、ユーハンは小指を立ててみせる。指切りの合図だ。胸を高鳴らせ、小指を結ぶと、ユーハンも同じくらい楽しそうに笑った。
「約束だ」
指切りのまじないを唱えたときだった。木々のあいだから男性の切羽詰まった声が聞こえてきた。
「王子ー! 王子ー!」
大きな声で王子を呼んでいるのは、帽子を被って、腰に剣を提げた、強そうな二人の男性だ。ユーハンを振り返ると、諦めたような、きまりの悪そうな顔をしている。
ユーハン。言われてみれば、王子の名だ。リキョウより一歳年上の、現王ズハンの嫡男ユーハン。門外の子は門内の子と関わることがないから、まさか沢で出逢った男子が、門内の子、しかも王子だとは思ってもみなかった。
「王子!」
護衛の一人は、ユーハンを見つけた瞬間、崩れ落ちそうになっていた。一体何時間探していたのか。何かの理由で門外に出たユーハンが、護衛の目を盗んで森に入ったのは容易に想像がついた。ユーハンなりに理由があったのだろうとは思うけれど、誰かをこんなに心配させてまで、森に入らなければならなかったのかと不思議になった。
「どうして一人で森に入ったの?」
ユーハンに訊けば、もう一人の護衛に睨まれてしまった。
王子とは、気軽に話しかけていい人ではない。身分の違いを思い知らされ、口を閉じたリキョウを見て、ユーハンが大きな声で言った。
「リキョウは俺の恩人だぞ。話すのは当然のことだ」
王子と護衛とはいえ、大人に向かって上から物を言う子供を初めて見た。驚きつつも答えを待っていると、ユーハンは拗ねた顔をした。
「一人で出かけたことがないから、一人になりたかったんだ」
いつも独りぼっちのリキョウにはわからない、王子の悩みがそこにあった。
「そっか」
王子も大変なのだな。きっと、この護衛がいつもどこにでもついてきて、一人きりになれる時間がないのだ。その息苦しさを想像するのは難しくないけれど、黙って一人になろうとしたのは、よくなかったと思う。探していた護衛の表情は、処罰を恐れているというだけではなく、真剣にユーハンの身を案じていた。
「でも、心配する人がいるってわかっているなら、突然消えるのはよくないと思うよ」
せめて一声かけたほうがいい。そう単純な話でないのも察しているが、心配をかけるのはよくないと、単純に思った。
「そうだな」
まだ拗ねた顔をしているけれど、ユーハンは護衛に向き直る。
「悪かった」
ユーハンが詫びたのに、護衛は恐縮した顔をしていた。もう一人も、素直に詫びたユーハンと指摘をしたリキョウを交互に見ながら、驚きを隠していた。
町に戻ると、事態は想像以上に悪く、門内の役人まで王子を探しに出てきていた。農民がほとんどの町は騒然としていて、ユーハンは懲りた様子で役人に事情を説明した。
「またな。リキョウ」
駕籠に乗る直前、ユーハンは笑顔でそう言った。そうして、滝のそばでできた友達は、とても呆気なく町を出て、リキョウが足を踏み入れることが叶わない、門の向こうへと帰っていった。
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