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第3話
それから一週間。王子が町に来ていたことはもっぱらの話題で、ユーハンがどんな子だったかリキョウに訊いてくる者も少なくなかった。しかし学舎では、目立ったことで、いつも以上にしつこく嫌がらせを受けた。廊下を歩けば後ろから押され、扉を通ろうとすれば目の前で閉められる。それでもリキョウは、仕返しもせず言い返しもしなかった。喧嘩になったら負けてしまうし、怪我でもすれば両親を心配させてしまうというのもある。が、なによりも、ユーハンという友達ができたことが、リキョウを変えた。
二度と会うこともない、偶然話した高貴な身分のユーハンは、自分のことなど忘れてしまうだろう。それでも、リキョウにとっては友達だから、そう思うだけで心強かった。
しかし、悔しさを感じないわけではない。沢に行くつもりで、終業後に急いで学舎を出ると、聞き覚えのある声に引き止められた。
「そんなに急いでどこに行くのだ」
声のほうを振り返ると、そこにはユーハンが立っていた。
「ユーハン」
驚いて名を口にすると、ユーハンの後ろに立っている護衛が眉を寄せた。
「王子……」
慌てて頭を下げると、ユーハンは目の前に来てリキョウの上腕を掴んだ。
「友達なんだ。頭は下げなくていいぞ」
王子が自分を友達と呼んだ。もう会うことはないと思っていて、それでも、心の中で友達と呼んでいたから、ユーハンも友達だと思ってくれていたのが、言いようのないくらい嬉しかった。
そんな二人の様子に、学舎から出てきた生徒たちは唖然としていた。リキョウが王子本人から友達と呼ばれていることに、衝撃を受けている。
ユーハンは、庶民の学舎に興味があったようだが、他の生徒には話しかけようとしなかった。会いたかったのはリキョウだと、満面の笑みが伝えてくる。
「今日はこのあいだの団子を買いたくて来た。店のものだろう。案内してくれ」
きっと門内にはおいしい団子屋があるだろうに。ユーハンはあの庶民の団子をまた食べたいと言った。
「母の実家の団子屋なんだ」
ユーハンを連れていけば、親戚中が驚くだろう。店まで案内すると、母も、叔父も叔母も、腰を抜かしそうになっていた。
そして、護衛のぶんまで団子を買ったユーハンは、店の前でそれはおいしそうに団子を食べた。王子が褒めれば団子屋の評判は上がる。それをわかっていてユーハンが団子を食べに来たのだと理解したのは、リキョウがもうすこし大人になってからだ。このときは単純に、団子を気に入ったのだと思っていた。確かにユーハンは団子をいたく気に入っていて、それから何度も町に来ては、リキョウと一緒に食べた。王子と団子とリキョウの話は瞬く間に町中に広まり、店は旅人がわざわざ寄っていくほどの名所になった。
そして、王子の友達になったリキョウは、嫌がらせを受けることはなくなった。
友達が増えたかというと、そういうわけにもいかなかった。学舎の子供たちは、王子の友達に失礼がないようにきつく言われただけで、今まで散々嫌がらせをしてきたのもあり、リキョウを遠巻きにするようになった。結局独りぼっちだけれど、ユーハンという友達ができたリキョウに、寂しい日はもう訪れなくなった。
ユーハンが七日も置かずに町に来るようになって三か月。季節は夏になり、静かな沢の涼しさが恋しくなるころ、リキョウは城へと誘われた。
自分のような庶民の子が、本当に城に入ってもいいのだろうか。不安を抱きながらも、リキョウは約束どおりの時間に城塞の外と内を隔てる門へと向かった。この日のために、母は大慌てで革靴を買ってくれた。古着屋のものだから、ところどころ色落ちしているけれど、服装がいつもどおりなのに靴だけ立派だとちぐはぐなので、着古しくらいがちょうどいい。
門の前に立ち、恐る恐る門兵を見ると、眉一つ動かすことなく、話しかけてももらえない。何と言えば、ユーハンに招かれたと信じてもらえるだろうか。
立ち尽くすリキョウに、さすがの門番も訝しがり始めたころだった。緑色の立派な上着を着た男性が勢いよく門の外へ出てきた。
「ジン・リキョウか」
「はい」
「ついてきなさい」
緑の服の男性は、踵を返すとずんずんと門の中へ速足で入っていく。慌てて追いかけるリキョウを、男性が振り返ることはなく、慣れない靴を履いた足で必死についていくしかなかった。門内は貴族の町で、色が塗られた柱や装飾がある建物が並び、整えられた木や花壇が鮮やかだ。しかしその美しさに感動している隙はなく、後ろで手を組んで歩く男性をただひたすら追った。
そして城の門をくぐり、たどり着いたのは、城の本殿の左端にある、王子の内殿だった。石段の手前で立ち止まると、開け放された障子戸の向こうに、机に向かうユーハンの姿が見えた。
町に出てくるときとはくらべものにならないくらい上等な衣服を着ているユーハンの後ろには、教師と思しき男性が立っている。教師が本を読み上げ、それをユーハンが書く書写の時間のようだ。忙しいのに無理をして呼んでくれたのだろうか。罪悪感を覚えかけたとき、リキョウの存在に気づいたユーハンが、にこっと笑って筆を置いた。
「リキョウ。待っていたぞ」
立ち上がったユーハンを教師が止めようとするが、ユーハンはお構いなしでリキョウのところまで下りてくる。
「いつからここにいたんだ」
「今来たばかりだよ。あの……」
出直したほうがいいのではないか。困り顔のリキョウに、ユーハンは苦笑を向ける。
「すまない。朝の乗馬で、時間を忘れて遠くまで行ってしまって、座学が遅れた。しかも今日は、俺の嫌いな書写だ。リキョウが来るまで逃げて誤魔化そうと思ったのに、さっき捕まってしまった」
失敗した、と頭を掻くユーハンは、座学をすっぽかすのに慣れているようだ。書写の途中で立ち上がるのもよくあることのようで、教師は呆れ顔でユーハンが戻るのを待っている。
「また今度、来るよ」
邪魔をするつもりはないし、門外の子には城の空気は息苦しい。今日のところは帰ると言ったのに、手首を掴んで引き止められた。
「だめだ。宝を見せると約束しただろう」
「王子、お戻りください」
遂に呼ばれ、教師とリキョウを交互に見たユーハンは、ぱっと何かを閃いた顔をした。
「リキョウも一緒に書写をしよう」
「ええっ」
「得意だろう、リキョウ」
笑顔で言ったユーハンは、リキョウも書写に同席させるのをもう決めてしまっている。
「王子、何を言い出すのです」
教師が止めようとするも、ユーハンが聞くわけもなかった。
「リキョウと一緒なら捗る。机を用意してくれ」
近くにいた召し使いに指示をしたユーハンは、掴んだままだったリキョウの手首を引いて、王子の部屋へ上げた。
「書写が終わったら宝を見せるから」
強引なのに、ただ楽しく過ごしたいだけだという純粋な気持ちが表情に出ているから、憎めない。そんなユーハンの机の隣に椅子と机が並べられ、書写の準備が整えられるまであっという間だった。呆気にとられて立ち尽くすリキョウを、ユーハンは両肩を掴んで椅子に座らせる。
「悪いな、リキョウ。巻き込んで」
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