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第5話

「良いものばかりだ。でも、自分で見つけたものはない」  そう言って、ユーハンは懐から巾着袋を取り出した。子供が持つには上品な印象の袋には、あの石が入っていた。 「これが一番の宝だ。初めて自分で手に入れたからな」  にっと無邪気な笑顔が、沢で見つけた石は本物の宝なのだと伝えてくる。豪華な棚に並ぶ珍しい置物や贅沢な弓矢とは違う、素朴な宝を、ユーハンは心底気に入っているのだ。  思い入れに値はつけられず、拾った石でも大切にする。飾らないユーハンを、今までよりもっと好きになった。  そんな、大切な友達のため、リキョウは書写会に臨むことに決めた。貴族の子の書字がどんなものか気になるのもあるけれど、ユーハンの隣で経験できる数少ない機会を逃したくなかったのだ。  そして書写会の日、城に行ったリキョウは、ユーハンのお下がりの服を着せてもらった。絹の上着は、豪華な刺繍が入っていて、見た目よりもとても着心地が軽くて柔らかい。髪も、もうすぐ成人する男子らしく、上半分を髷にしてもらい、根元には髪飾りをつけてもらえた。 「きれいな髪をしているな」  ユーハンが、思わず、といった様子でおろしている部分に触れた。 「そう……かな」  頬が赤くなるのを感じた。ユーハンは人の容姿に無頓着な印象だったから、より照れくさい。忙しなく瞬きをするリキョウに、今度はユーハンのほうが気恥ずかしそうにする。 「書写会は城を出たところにある中殿で行われる」  照れ隠しに、書写会場のほうを指差したユーハンは、気を取り直し、貴族のような身なりになったリキョウに笑いかける。 「いこう」  筆を懐にしまって、二人はいざ中殿へと向かった。ここは役人の試験が行われる場所でもあり、子供の書写会とはいえ、準備されている机も硯も上等なものばかりだ。隅に隠れて会場の様子を確認したあと、ユーハンは気後れしているリキョウに言った。 「リキョウは最後のほうに、他のやつらと混じって後ろの席に座ってくれ」 「わかった」  もう一度会場に視線を向けると、中央の席をあけて、前列からシュインたちが席に着いていくのが見えた。子供とはいえ、身分の高い子から前に座るのだと一目でわかる。ユーハンの隣に座るように言われなくてよかった。王子の古着を着せてもらったとはいえ、貴族の子を差し置いて前列に座る度胸はない。  席に着く合図を求めてユーハンを見ると、にっと笑い返された。 「頼んだぞ、リキョウ」  肩をぽんぽんと叩いてリキョウを送り出したユーハンは、数拍遅れて何食わぬ顔で会場に入り、シュインの隣、前列中央に座った。リキョウも、目立たぬように端を歩き、最後列に着く。 「揃いましたね」  そう言って入ってきたのはユーハンの教師だった。机がすべて埋まり、参加者全員が揃っているのを確かめた教師は、審判の廷臣を呼んだ。  三人の貴族男性が壇上に上がり、席に着いた。真ん中に座っているのはシュインの父親だろう。姿勢正しく座っているシュインほうをちらちらと見ている。 「私が詩を読みます。復唱はしません」  教師が説明を終えて、いざ始まるというときだった。中殿の出入り口が一瞬ざわつき、直後、壇上の廷臣が立ち上がり、頭を下げた。 「子供たちの真剣な姿は良いな」  弾んだ声で言ったのはシキの国王ズハンだった。軽快な足取りで書写会場に入ってきた王は、背筋を伸ばして座る子供たちを一通り眺めながら、壇上へと歩いていく。 「儂も審判をしよう。よいかな」  国王の登場は予定外だったようで、急遽壇上に椅子が運ばれた。シュインが単独で有利にならないように、ユーハンが呼んでいたのだろうか。状況がわからないリキョウをよそに、他の子たちが一斉に頭を下げた。リキョウも慌てて頭を下げる。廷臣も教師も深く頭を下げると、王は満足そうに椅子に腰かけた。 「続けてくれ」  周囲が頭を上げたのに倣って顔を上げると、ズハンはにこやかに会場を見回していた。初めて間近で見た王は、ユーハンと似ていて、想像よりも体格が大きくて、何より温和そうだ。 「では、始めます」  教師のかけ声で、子供たちが筆を握った。リキョウも、持ってきた自前の筆先に墨をつけ、背筋を伸ばして紙に向かう。  教師が詩を読み始めた。よく通る声が読み上げるのは、中等文学の書に出てくる詩だった。門外の学舎ではここまで学ばない。しかしリキョウは、父に教わって何度も練習している。この詩はそれほど有名というわけではないが、季節の語や情景の表現が巧みだと父が言っていた。ただ、使われている漢字が複雑で、間違えやすいものが多く、難しいぶん良い練習になるとも。  父の手本を思い出しながら、一字ずつ丁寧に書いていった。場違いではないかとか、怪しまれていないかとか、席に着くまで気になっていたのに、筆を持つと雑念は飛んでいく。自分の手と教師の声に集中して、最後まで書ききった。  途中で躓いていたら、暗記していないかぎり書ききれない長さの詩だった。手ごたえを感じながら顔を上げると、何人かの子が肩を落としているのが見えた。 「後列の者は前列の書紙を集め、提出しなさい」  最後列にいたリキョウは、横の席の子に倣って立ち上がり、自分の書紙の上に他の子の紙を重ねていく。最前列はシュインだ。シュインのほうから書紙を重ねてきて、そのときまじまじと顔を見られた。  先日ユーハンの内殿で目が合った、庶民の子だと気づかれているのがわかる。着ているのがユーハンの古着かどうかまではわからないだろうけれど、最上級の衣装を庶民が纏っていることに疑問を抱いているのも、鋭い視線が知らせる。  だが、それも一瞬のことだった。王の御前で、不必要な会話も接触もするわけにはいかない。学舎の子供たちとちがって、シュインも他の子も、身分の高い大人がいる場での分別がある。足をひっかけられることもなく、無事書紙を集めたリキョウは、シュインの字にざっと目を通した。丁寧で正確で、まるで大人の書写だ。リキョウだって書字には自信があるけれど、シュインを負かせたかと問われれば、審判にしかわからないとしか答えられない。それくらい、シュインの腕は確かだった。 「席で待つように」  集めた書紙を教師に渡し、最後列に戻ろうとしたとき、ユーハンの視線を感じてそちらを見た。目が合うと、やったか、と訊かれた気がした。なんとも言えないので、微妙な笑みで返すしかなく、俯きがちに後方へ戻っていくリキョウを、ユーハンとシュインはじっと見ていた。  席に戻って、恐る恐る壇上に視線を向けると、王と廷臣が順に書紙を確認していた。王はユーハンと同じく表情豊かで、書紙を見た感想はその面様だけでも伝わってくる。 「シュインはますます腕を上げたな」  ズハンが笑いかけると、シュインの父親は得意げながらも謙遜する。 「精進に限りはありません」 「はは。シュインは厳しい父を持ったものだ」  ユーハンの性格は父親譲りか。明朗に笑ったズハンは、次々と書紙に目を通していく。 「ユーハンの字は相変わらずだな。儂に似てしもうたか」  性格だけでなく、字も似ているとは。おおらかな王は、誰よりも楽しそうに審判を続ける。 「これはまた、良い腕前だ」  王が一枚の書紙を持ち上げ、感心に深く頷いた。しかし、末尾の名を見て首を傾げる。 「ジン・リキョウ。ジン家とは聞かぬ名だな……」  参加者を見回した王が、自分を探しているのは気づいたが、どうしていいのかわからず、リキョウは固まってしまった。会場がにわかにざわつく。 「ジン・リキョウはどこだ」  シュインの父に呼ばれ、気後れしながらも立ち上がった。視線が集中し、萎縮するリキョウに、王が微笑みかける。 「ジン家の名は聞いたことがない。父親はどこに勤めているのだ」  門内で行われている書写会なら、なんらかの役職がある父親をもつ子のはず。庶民に話しかけているとは思っていないだろう王に、リキョウは正直に答える。 「町の役所で書記をしています」 「町の役所? 門外のか」 「はい」  微かなどよめきが起こり、参加者の子供たちが幾人もリキョウを振り返る。  場違いだと思われているのはわかっている。だがリキョウは俯かなかった。父を誇りに思う息子の、真剣な表情に応えるためか、ズハンは門外の子でありながら参加していることについて言及しなかった。 「習字の師は誰だ」 「父です」  躊躇うことなく言えば、ズハンは感心の笑みを浮かべた。 「よほどの腕であろうな。今まで知らなかったとは損をした気分だ」  わははと笑った王につられて、リキョウも笑顔になった。最前列でユーハンも笑っているのが、その姿が見えなくてもわかる。 「しかし良い字を書くな、ジン家の子よ。整っているのもそうだが、読むのが快い」  心底感心した様子で、王は廷臣に書紙を見せた。 「甲乙つけがたいが、どうだ、皆も今日の勝者は決まったと思わぬか」  王がリキョウの書紙を審判の廷臣たちに見せながら、同意を求めると、三人の審判も頷いた。シュインの父親は納得がいかない顔をするかと思ったが、息子を贔屓したい親心よりも王への忠誠心が勝っているのだろう、静かに頷き、リキョウの成果を広げて参加者に見せた。 「ジン・リキョウ、よく顔を見たい。近う寄れ」  手招きされ、足音を立てないように気をつけて壇の前まで行くと、王は楽しそうに笑った。シュインの父親の視線は、それは冷たいものだったが、ズハンの柔和な笑みに相殺されて、不思議と嫌な気分にならなかった。 「将来は、書記になるつもりか」 「はい。父のような書記になりたいです」 「そうか。文官という職と、その試験は知っているか」 「はい」

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