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第2話

 読み誤った、駆け込んだ先は袋小路。数時間前にも同じ経路を通った様な気もする。見渡しても同じ様な楼閣許り、知らず知らずの内に同じ場所へと追い込まれて居た。彼に。  だとすればもう同じ回避は通用しない。屹度彼の事だ、回避した先に罠を仕掛けて有るのだろう。  其れでも立ち止まる事は死を意味した。思考を停止せずに、彼が諦める迄逃げ続けるしか途は残されて居なかった。 「追い駆けっこは此処迄です」  不意に背後の壁から訊こえて来た台詞。一度目と同じ方向に追って来る彼の姿は無く、罠は此の場所にこそ仕掛けられて居た事に気附いた。  罠と云っても其処に在るのは存在だけ。彼こそが魔人。怪物の捕食領域に入った事を躰が無意識に察知し、背筋を冷たい汗が伝い落ちる。此れ以上の逃げ途が無い事を悟って居た。 「ゴーゴリ、貴方が奪った物を返して貰います」  伸びる白い手と無機質な声。氷の様に冷たい指先が背後から肩を擦り首筋を撫で、顎の線をなぞって摑む。  конец(ジ・エンド)――数時間に渡る追い駆けっこが無慚にも終局を迎えた。  其の指先に殺意は無い。唯其の言葉通り対象が此れ以上逃げない様に捉える為のものだった。彼にとっては殺す迄の事でも無い、言葉通り奪われた物を奪還したいが為に数時間追い続けて来た。  唾液を飲み込む代わりに浅く呼気を吐き出す。そう、僕は彼が何を欲しがって居るのか最初からずっと判って居た。判って居たからこそ其れを持たざる僕は闇雲に彼の手から逃げ続けて居た。 「私がドス君から奪った? 其れって『貴方の心です』とか云うやつかい?」  僕達は犯罪者であっても盗賊では無い。情報を盗むのなら僕では無くシグマが適任者だった。僕がドス君から奪える物なんて小指の先ですら存在して居る訳が無い。  そんな僕がドス君から唯一奪える物が在るとするならば、言葉通り目に見えない物だ。だけど僕にドス君の心を奪える筈が無い。奪えたならば、其れはどんなに樂な事だったのだろうか。  ドス君の指が、顎から喉元を摑む様に滑り落ちて行く。規則的に打ち続ける脈拍が抑え付けられる事で明確に僕へと伝わって来る。其れは恐らくドス君に執っても同じ事で、僅かな脈拍の亂れで感情の機微を読み取ろうと為て居た。 「巫山戯るのも好い加減にして貰えませんか」  喉への圧迫感が高まる。そんなに大切だったんだ、って今なら少し解る様な気がするよ。  今迄で一番ドス君を身近に感じた瞬間なのかも知れない。背後から感じるドス君の気配と幽かな吐息が髪を、肌の産毛を揺らす。 「僕のゴーゴリを返しなさい」  そのドス君の声色に今迄感じた事の無い感情が含まれて居る事に気付いた。ドス君にもそんな感情が在ったんだと知る事より、気配に敏感な鳥達が其の殺気を察知し一斉に飛び立った飛翔音の方に驚いた。  哀しいのか、辛いのか、僕にはもう判らなかった。そんな感情は疾うに棄てて居て、凡て諦めて了ったあの瞬間に――。

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