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第一章 やかましい同居人 茜姉ちゃん

 土曜の夜、美山先輩と待ち合わせをした。職場から程近くの繁華街で、千紘は初めて来る場所だった。駅前広場の銅像付近で、先輩は待っていた。   「すいません。遅れました」 「いいっていいって。アタシもさっき来たとこだよ。で、あの子が例の?」 「ああ、はい」    挨拶させようとして振り返ると、千紘がいない。あっち、と美山先輩が指を差す。千紘は、展示されている蒸気機関車に興味津々だった。   「おい! 勝手にうろちょろするな!」 「なァ~、これがキカンシャ? 顔がねーぜ」 「顔なんかあるわけねぇだろ。あれはアニメの中だけの話だ」 「乗りてー!」 「乗れるか! これはもう走らなくなった機関車なんだ。んなことより、先輩に挨拶しろ」 「センパイぃ~?」    千紘はようやく、初めて会う女性の存在に気付く。   「こんにちは。アタシ、美山茜です。颯希くんと同じ会社で働いてるんだ。よろしくね」    小さい子供に接するような態度で先輩は挨拶をしてくれるが、千紘は相変わらずぼさっと突っ立っているので、俺はその頭を軽くはたいた。   「いてッ」 「ほら、お前も挨拶。散々教えただろ」 「え? え~っとォ……つか、サツキクンって、アンタんことだよな?」 「ったり前だろ!」    ばし、と強めに尻を叩いた。   「いてェ! んな怒んなって~」 「そーだぞ、颯希くん。厳しくしすぎちゃかわいそうだよ」 「先輩も、急に下の名前で呼ばないでください」 「え~? だって、名字じゃ混乱するかなって」    美山先輩は千紘に目線を合わせ、「キミの名前は?」と問う。先輩の背が高いせいもあり、千紘を見下ろす形になる。   「千紘!」 「千紘くんか~」 「あっ違った。瀬川千紘っす! 歳はァ、十五っす! 昼間はガッコー行って~、家ではテレビとか見てるッす!」 「おい、ちゃんと敬語を使え」    俺が注意すると、美山先輩は「いいよいいよ」と笑い、「それよりさ」と俺に耳打ちした。   「どうしよう。この後」 「店決めてきてくれたんじゃないんですか」 「決めてはきたけどさ~。千紘くん、思ったより大きいから。もっと大人向けのお店でもよかったかなって」 「いくつだと思ってたんですか……」 「小学一年生とか? いや、だってほら、話聞いてる限りそういう感じだったし! 字の練習してるとかさ」 「まぁ、あながち間違いじゃないですよ。精神年齢はそんなもんです」    先輩は若干釈然としない様子ではあったが、とりあえず移動することにした。俺は、千紘がうろちょろしないよう、手を掴んで引っ張るように歩いた。   「いつもそんな感じなの? 手……」 「こいつ、すぐどっか行くんで。特に初めての場所だとテンション上がっちゃって」 「あはは、パパは大変ですな~」 「パパとか言わないでください」    できることなら首輪にリードを繋げてしまいたい。手を繋ぐよりも確実に迷子防止になる。俺の苦労も知らず、千紘は「あっちからもこっちからもイイにおいがするぜ~」などと騒いでいる。飲食店がひしめき合うエリアなのだから当然だ。    着いた先は居酒屋兼定食屋といった風貌のチェーン店で、家族連れやグループ客で賑わっていた。座敷席に通され、靴を脱いで上がる。美山先輩に呼ばれて、千紘はその隣に座った。   「こら、靴は揃えろっていつも言ってるだろ」 「えェ~~」    千紘は文句を言いたげに口を尖らす。   「アカねーちゃんもそろえてねーじゃん!」 「あかっ……おい、誰のことだそれは」    千紘は美山先輩をびしっと指差す。頭が痛い。溜め息も漏れる。   「……ひとに指を差すな。変なあだ名を付けるな」 「だってよォ、茜のねーちゃんだから」 「お前、ふざけてるのか……」 「えー? いいよいいよ、アカねーちゃん。お姉ちゃんって一回呼ばれてみたかったんだよね。颯希くんは呼んでくんないし」 「当たり前でしょ……ていうか、いいんですか。こんなトンチキなあだ名を付けられて」 「いいっていいって。ほーら、千紘くん。もっかい呼んでごらん」 「そー言われっとなんかヤダ」 「何だそれ! キミ、天邪鬼だね」    先輩は、けらけらと気持ちよく笑った。    *    子供の前だからお酒は飲まないと言っていたくせに、美山先輩は初っ端からビールを頼んだ。俺も、元々そのつもりだったからビールを頼んだ。千紘は唐揚げ定食を選んだ。家でも食べられるのに、余程好きらしい。   「あと、子供用のフォークを――」    俺が店員に頼もうとすると、千紘がばっと手を挙げた。   「いらねー!」 「何言ってんだ。いるだろ」 「いらねーの! 今日はこいつで食うからよ!」    箸を鷲掴みにし、得意げに掲げる。偉そうにふんぞり返るほどのことではないと思うが。   「おー、千紘くんお箸使えるんだ。えらいね~」 「こんくらいヨユーっす!」 「先輩、あんまり甘やかさないでください」    俺が想像していたよりは、千紘は箸を使おうと頑張った。    最初、鷲掴みのまま唐揚げを突き刺すものだから、「そんな持ち方ならフォークを使わせるぞ」と脅かすと、渋々ではあったが持ち直した。正しい持ち方には程遠く、所謂バッテン箸になってはいるが、何としてでも箸で唐揚げを食べてやるという気合だけは感じた。   「なァ~、そっちの、食わねーなら食いてー」    俺と美山先輩とでシェアして食べていたお造りを指して千紘は言う。   「自分の分は食っただろ。欲張るな」 「だってよ~、全然減らねーじゃん」 「飲みながらだと遅くなるんだ」 「まぁまぁ颯希くん、そうケチケチしないで。いいじゃないのぉ、一切れくらいさ。ほーら千紘くん、おいしいお刺身でちゅよ~」    美山先輩は、結構酔っているらしかった。刺身に醤油をつけて、千紘に食べさせようとする。千紘も、「あ~ん」と口を開ける。みっともない迎え舌になっているので、今度しっかり注意しておこうと思った。   「どうだい。おいしかろう」 「ンン~~?」    千紘はもぐもぐと咀嚼しながら、険しい顔をする。眉間に刻まれた皺が、一本、また一本と増えていく。鼻の穴がヒクヒクして、しまいには瞳を潤ませた。   「ッ……か、かれェ~~ッ!」    泣きながら、水をがぶ飲みした。   「カレーのかれェのとはちげーけど、なんかすげーかれェ! んだこれェ~、鼻の奥がツーンってなるよォ~!」 「ありゃりゃ、わさび多かった? ごめんね」 「わしゃびィ~?」 「お詫びに甘いものでも奢ってやろう」    美山先輩は、デザートのメニュー表を開いて千紘に見せた。   「だから、甘やかさないでくださいって」 「え~? いいじゃんねぇ、デザートくらい」 「そーだそーだ、颯希のクソケチ!」 「お前、後で覚えてろよ……」    千紘は、よりにもよって一番大きくて豪華なスペシャルパフェを選んだ。テーブルに運ばれてきたそれは、なかなかの迫力だった。    背の高いグラスにたっぷり詰められた生クリーム、アイスクリーム、カスタードプリン。グラスからはみ出るほどに飾り盛られたたっぷりのフルーツ。千紘は目を輝かせ、犬みたいに涎を零した。   「うェへへへ、これェ、オレ一人で全部食っていーのォ?!」 「どーぞ。全部千紘くんのものだよ」 「やッ……」    やったー! と喜びを表すのも忘れ、千紘はスプーンを突き刺した。プリンとクリームとイチゴとを同時に掬って頬張る。うまく口に入り切らなくて、唇がクリームまみれだ。   「ゥう……ンめェ~~!」 「あはは、ヤギみたい」 「外では静かにしろ」    俺と先輩が真逆の感想を述べる中、千紘はがつがつとパフェを貪り食った。その性質上、フルーツソースやクリームやらがぼたぼた零れるが、千紘は一向に気にせず夢中で食べ進めた。   「うめェ、マジうめェ、マジで……アカねーちゃん、大好きィ……」    口の周りもテーブルもベタベタに汚しながら、千紘は突然告白する。   「お前、急に何言ってんだ」 「だってェ、こんなん初めて食ったからよ~。うますぎてやべェよ~」 「千紘くん、パフェ食べるの初めてなの?」 「颯希はケチクソ野郎だからな~、こんなん食わせてくんねー」 「アイスもプリンも果物も、家で時々出すだろうが」 「ちッげーの! こーゆー特別感がいいんだろ! アイスもプリンもうめーけど、一緒に食うともっとうめー! そーだ! アカねーちゃんも一緒に住もーぜ。んで、オレんこといっぱい甘やかしてェ?」    美山先輩はにやーっと笑い、いきなり千紘を抱きしめた。テーブルが揺れてグラスが倒れそうになり、俺は慌てて押さえた。   「それって~、アタシにホントのおねーちゃんになってほしいってこと~?」 「ンン? そう? かな? たぶんそう! 颯希はアニキだからァ、アカねーちゃんはアネキな!」 「うふふふ、そっかぁ~」    先輩、かなり酔っているらしい。その豊満な乳房に包み込むような形で、千紘をきつく抱きしめる。ソースやらクリームやらでブラウスが汚れてしまう。千紘も千紘で、苦しいなどと文句を垂れつつも、このおいしい状況に鼻の下を伸ばす。   「先輩、そういうのよくないですよ。そいつ、まだ子供なんですから。刺激が強すぎます」 「えぇ~? だってかわいいからさ、千紘くん」 「えへ、えへ、オレってかわいーの?」 「お前も安易に喜ぶな。酔っ払いの言うことなんて全部適当なんだよ」 「テキトーじゃないよぉ、ホントのことだよ~?」 「なーなー、オレかわいーのォ?」 「かわいくない!」    俺は、腕力で二人を引き剥がした。   「先輩、酔いすぎです」 「ちぇ~。颯希くんはお堅いなぁ」 「服、これで拭いてください。落ちなかったらクリーニング代出しますよ」 「いいよぉ、アタシが勝手にやったんだもん」    まだ綺麗なおしぼりの、使っていない面を表にして美山先輩に渡した。   「お前も、いつまでもきったねぇ食い方してんじゃねぇ。拭いてやるから大人しくしてろ」    俺は千紘を羽交い締めにして、紙ナフキンで口の周りを擦った。   「いてッ! いてェって~。もっとやさしくしてよォ~」 「うるせぇ静かにしてろ。ったく、外で食べる時くらい行儀よくできないのか」 「し、してたもん! いつもよりギョーギよくしたもん!」 「全然できてねぇ。これからはもっと厳しく躾けるか」 「やッ、ヤダヤダ! メシは楽しくなきゃヤダ~!」 「じゃあ静かにしてろ」    ごしごしと口を拭き、ついでにテーブルも拭いてやる。   「大体お前、俺のことケチだのクソだの、言いたい放題言いやがって」 「んだよ~。怒ったんか?」 「怒ってねぇけど。普段俺にはあんなこと言わねぇくせに」 「あァ~? あんなことって、どんなことだよォ~?」 「……」    俺には、感謝の言葉の一つもないくせに。俺だって、お前にたくさん旨いものを食わせてきたのに。お前が初めて食べた旨いもののほとんどは、俺が用意したものだってのに。それなのに、初めて会った女性に対して、簡単に好きだのと言いやがって。    そこまで考えて、俺は、自分が非常によくない思考に陥っていることに気が付いた。これではまるで嫉妬じゃないか。幼稚で愚かな衝動だ。俺らしくもない。   「な~、なァよ~。んな怒んなよぉ~。謝るからさぁ」    千紘が急にしおらしい態度を取る。俺の大人げない嫉妬心には気付いていないらしい。   「急に黙んなよな~、こえーからよ」 「……別に、怒ってない」 「ホントか?」 「本当だ」 「ホントのホント?」 「本当だって言ってんだろ。早く食っちまえ、アイス溶けるぞ」 「ぅおッ!? ホントだ溶けてる!」    千紘は慌ててスプーンを持って、パフェの掘削を再開した。    *    一度は断ったものの、結局美山先輩に奢ってもらってしまった。先輩はもう一軒飲みたい気分らしく、店の前で別れた。   「アンタも行きゃあよかったのに。オレぁ一人で帰れんぜ」 「生意気言うな。俺はもう結構飲んだからいいんだ」    先程の意味不明な衝動は、酒のせいにして忘れてしまおう。その方が精神衛生上いい。しかし、次の千紘の一言で、せっかくの酔いが醒める。   「でもよ~、アンタら、そーいう関係なんじゃねーの?」 「……待て。どういう意味だ」 「ンぇ、付き合ってんじゃねーのォ? あー、つまりアレ、恋人とか、彼氏……彼女? 的な」 「……俺と美山先輩がか」 「アンタとアカねーちゃんが」    思わず、盛大な溜め息が漏れる。一体、何がどうしてそうなるんだ。   「だってよ、オレが来る前は、二人でよくメシ行ってたって」 「仕事帰りに一杯引っ掛けてただけだ」 「今日だって仲良しな感じだったぜ」 「一緒に仕事してるんだから、普通だろ」 「それに、オレがアカねーちゃんにくっついてたら怒ったじゃん! は~ぁ、おっぱい気持ちよかったなァ!」 「っとにお前は……下品なことばっか言うな!」    ぐいと鼻を摘まむと、「いてッ」と声を上げる。   「だってだって! ホントのことじゃん! おっぱいふわふわで喜んでたら怒ったじゃん! もっとふわふわしたかったのにィ!」 「バカっ、んなこと大声で言ってんじゃねぇ」 「アレ? でも、先に抱きついてきたんはアカねーちゃんの方だよな? っつーことは? ンン? アンタ、何に怒ってたんだ?」 「だから、別に怒ってないって」 「いーや! ぜってー怒ってたね!」    千紘は首を捻り、足りない頭脳をフル回転させる。そして、閃いてしまった。   「そっか! オレがアカねーちゃんに好きっつったのが悪かったとか?! どーだこれで! ファイナルアンサー?」 「お前、またテレビの影響受けやがって……」    だが、千紘の推理はあながち間違っていない。だから困る。   「なァな、どーなんだよ! 答えろよォ~」    千紘が騒がしく纏わり付く。   「……まぁ、そうだな。大体合ってる」 「マジ!? やーった。賞品はァ?」 「んなもんあるかバカ」 「あでも、別にアンタん女盗るつもりはねーからな。そう怒んなよ」 「……別に、お前に先輩を盗られると思ったわけじゃねぇよ。お前が……」    隣を歩く千紘は、何とも間抜けな面をしていた。ぼけっとして、口なんか半開きで。こんな面したガキが、美山先輩を奪えるとはとても思えない。俺は、千紘の癖っ毛をわしゃわしゃと撫で回した。   「ぅわっ!? んだよ~」 「お前が美山先輩にあんまり懐くもんだから、それがちょっとムカついた」 「はァ~!? なんでそれがムカつくんだよ!」 「飼ってる犬が、自分以外のやつに愛嬌振り撒いてたらムカつくだろ」 「はァ~ん? ……それってェ、オレぁアンタん犬っつーこと!?」 「そうは言ってないだろ。例えばの話だ。まぁでも、お前犬っぽいよな」    なおも頭を撫で回していると、千紘は濡れた犬がするみたいに頭をぶるぶる振るった。そして何が恥ずかしいのか、それとも怒っているのか、顔を赤くしてむっと口を尖らせた。   「あんまし撫でんな!」 「なんだ、怒ったのか」 「怒ってねーケド!」    そんなに飲んだつもりはなかったが、やはり酔っているらしい。千紘のそのふくれっ面が、なんだかとても愛しく見えた。

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