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第五章 繋がる心 おかえり

 新しい朝が来る。朝露に濡れる心配のない朝だ。カーテンの隙間から朝日が漏れて、千紘の瞼をくすぐった。   「そろそろ起きろよ」 「ンがっ……」    颯希に鼻を摘ままれて、千紘は目を覚ました。ベッドに腰掛けた颯希は、宝物に触れるような手付きで千紘を撫で、頬にキスを落とした。   「おはよう」 「……はよぉ」 「朝飯食べろ」 「あさめし……」    久々に聞く言葉だ。このところは朝も昼もなく、食べられる時に食べられるものを食べていた。   「どうした。まだ眠いのか」    ぼんやりしていたところに、次々とキスが降ってくる。頬だけでなく、額に、瞼に、もちろん唇にも。   「ンぁ、やめ……くすぐってーって」 「起きねぇならこのままだぞ」 「ぁ、わか、わかったって、起きるからぁ」    千紘が言うと、颯希はあっさりと寝室を出ていった。色々と心が追い付かない千紘は、珍しく溜め息を吐く。    全く颯希ときたら、今まで千紘がおねだりしないとキスしてくれなかったくせに、今朝は一体どうしちゃったんだ。まるで恋人みたいに甘やかして。えっちしたから……? 昨晩のことを思い出し、千紘はベッドで身悶えた。    そうだった。昨日、颯希としちゃったんだ。いっぱいキスして、体を貫かれて、女みたいにあんあん喘いで……。今更羞恥で死にそうになった。    昨晩どうやって眠ったのかよく覚えていないが、全裸でないことから察するに、颯希が後始末をしてくれたのだろう。ローションだの精液だので汚れた体を隅々まで清められたのかと思うと、それもまた恥ずかしくて死にそうだった。   「千紘、早く来い」 「あ、い、今行くから」    行く、という言葉も別の意味に聞こえて、なんだか恥ずかしい。意識しすぎかもしれないが、千紘は思春期真っ只中の健全な少年なのだ。仕方がない。    キッチンは、パンの焼ける香ばしい匂いが満ちていた。香りだけで涎が溢れる。焼き立て熱々のトーストに、颯希がたっぷりのバターを塗ってくれる。千紘も配膳を手伝い、二人で食卓を囲んだ。   「いただきまァす!」    千紘は元気よくトーストにかぶり付いた。表面はカリッと香ばしく、中はふわっと柔らかく、溶けたバターは甘じょっぱくて、口の中にじゅわっと広がる。まさに神の朝食。   「ぅンまぁ~~!」    やっぱり、これを食べなきゃ一日が始まらない。ここしばらく食べずにいたが、よく平気だったなと我ながら思う。   「そんなにうまいか」 「うまい! 世界一うめェ朝メシだぜ!」 「よかったな」    颯希は微かに頬を緩ませ、コーヒーカップを傾ける。この見慣れた風景も、今の千紘の目にはとても新鮮で素晴らしいものに映った。    幸せは温かくて気持ちよくて、バターの味がして、コーヒーの香りがする。そのことを千紘は知った。   「颯希ぃ」 「なんだ」 「好きだぜ」    ごふっ、と颯希はコーヒーを吹き出した。口に手を当て、ゲホゲホ咳き込んでいる。千紘はここぞとばかりに囃し立てた。   「あーあー、汚しちゃったぁ~。大人のくせにぃ」 「おまっ、お前が急に変なこと言うからだろ」 「変じゃねーだろぉ。思ったこと言っただけだしぃ。颯希もオレんこと好きなんだからいーじゃん」 「……」    颯希は険しい顔をして口元を拭う。   「えっ、好きじゃねーのォ!?」 「好きじゃねぇ」 「は!?」 「愛してんだよ」    いきなり胸倉を掴まれて引き寄せられ、強引に唇を奪われた。舌を捻じ込まれ、温かい液体が注がれる。コーヒーだ。しかもブラック。千紘は咄嗟に吐き出した。   「ぅ゛っげェ~ッ、ゲロまずッ!」    香りはいいのに、味は酷い。苦くて酸っぱくて、薬みたいな味がした。舌に纏わり付いて離れない。   「ぺっぺっぺ! くッそぉ、変なモン飲ましやがって~!」 「あーあ、汚しちゃったな。これでおそろいだ」 「悪い大人め!」 「これに懲りたら、大人を揶揄うのはやめろよ」    千紘は牛乳でコーヒーを紛らわす。その様子を、颯希は楽しそうに見守っている。初めて結ばれた夜の翌朝とは思えない、ロマンチックの欠片もないキスだったが、いつかこの味を思い出して笑う日が来るのだろう。だが、それはまだ当分先のことになりそうだ。

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