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第六章 番外編 バレンタインデーにはチョコレートを④
体が重い。怠い。前に熱を出した時よりも悪い。ベッドに沈んで動かない。指一本動かせない。
「う゛……」
しかも酷い声だ。これが自分の声か? 嗄れているなんてもんじゃない。ガサガサのガラガラ。ハスキーボイスとかいうレベルじゃない。朝起きて第一声がこれだなんて、まずは事件を疑うぞ。
「起きたか」
「ん゛……ぉ゛あ゛よ゛」
千紘の声を聞き、颯希は苦い顔をした。
「無理に喋らなくていい。痛むだろ」
「ん゛ーん」
千紘は首を振るが、颯希は相変わらず苦い顔のまま。そっと頭を撫でてくれた。
「悪かったな、昨日」
謝るくらいならしなきゃいいのに。でも千紘は、昨日みたいなねちっこいエッチは嫌いじゃない。前後不覚になるまで気持ちよくなれるから。
「ん゛ー」
「怒ってないって? でも体辛いだろ」
「ん゛」
「何か食いたいものあるか? 飲みたいものとか」
食べたいもの。甘いもの。チョコレートが食べたい。
「分かった。今持ってくる」
それにしても、今何時なんだろう。朝かと思ったが、昼かもしれない。枕元に目覚まし時計があるのに、見るために首をもたげるのさえしんどい。
千紘は改めて自身の体を確認する。昨夜引ん剥かれたパジャマを、今はきちんと身に着けている。胎の奥の湿った感触も消えている。颯希が綺麗に掻き出してくれたに違いない。初めて中出しされた時、腹を壊して酷い目に遭ったから、以来颯希が気を付けてくれている。
だけど、千紘はちょっともったいないなと思っている。颯希の一部を摂取できるせっかくのチャンスなのに。腹痛は辛いが、颯希のせいでそうなっていると思えば耐えられるし、何なら少し嬉しいのに。
でも、颯希に大切にされるのはもっと嬉しい。大切に大切に、宝物のように扱われたい。そんなにしなくても大丈夫なのに、ってくらい大切にされたい。大切にされている、と実感すると、ますます颯希を好きになる。
颯希が、お盆に色々載せて持ってきた。チョコレートの箱や缶がいくつか、それからマグカップが一つ。
「ハチミツレモン作ってきたから飲め。起きられそうか?」
「んん゛……」
腰が痛くて動けずにいると、颯希が抱き起こしてくれた。背もたれ代わりに枕を置いてくれ、腰を労わってくれる。温かいマグカップを渡してもらい、千紘はゆっくりと口に含んだ。
「ぉ゛いし」
「喉にいいんだ。俺も昔、家族に作ってもらった」
ハチミツのまろやかな甘みとレモンの爽やかな酸味は完璧な組み合わせだ。仄かに香るジンジャーがアクセントになって飲みやすい。嗄れた喉に染み渡り、すっきりと癒される。
「チョコも食うか? どれがいい?」
ピンクのハート形がいい。指を指すと、颯希が取って食べさせてくれた。
「ほら、あーん」
「あ~」
甘酸っぱい、ベリー風味のチョコレートだった。舌の上でとろり蕩ける。千紘が頬を緩ませると、颯希も微笑んだ。
「ん゛?」
「いや。こんなとこ、会社の人らには見せらんねぇと思って」
二個目のチョコは、薔薇を模ったものをねだった。颯希がまた、あーんしてくれた。
「お前が相手だと、俺は冷静でいられなくなるのかもな。高校生にヤキモチなんて、いい歳した大人が恥ずかしいだろ」
恥ずかしくない。もっと妬いてほしい。元々妬かせるための作戦だったのだから、効果は抜群だ。むしろ効き過ぎてしまった。
颯希は千紘の襟を開き、赤く鬱血した痕を撫でた。じんじん痛むそれは、強く擦っても消えそうにない。
「お前がそんなに嫌なら、来年はもらわねぇようにするよ。指輪でも填めときゃ、大体察してくれるだろ」
「ふぅん?」
三個目は、猫を模ったホワイトチョコを食べさせてもらった。プレゼント用のお高いチョコだから、普段スーパーで買う板チョコとは味が違う……らしい。
千紘にはよく分からないが、颯希がバレンタインで大量にもらってきたチョコレートは、どれもこれもちょっとした高級品で、だから特別においしいのだ。
「……べつに、いーよ」
「でも、やなんだろ?」
「ん゛ー、でもぉ……オレがぜんぶ食うからぁ、いい」
颯希は、そんなに食ったら鼻血を出すぞ、とでも言いたげな顔をする。
「だってぇ、ふだん食えねーもんだからよぉ。年一回くらい、食いてーじゃん」
「食い意地ばっかり張りやがって」
「いーもん。腹いっぱい、うめーチョコ食いてーもん」
千紘は四個目のチョコを催促する。花柄がプリントされた、正方形のチョコレートだ。颯希は一旦それを口に銜え、口移しで千紘に食べさせてくれた。
「ん、む……♡」
甘い舌がぬるりと潜り込んで、チョコレートを押し込まれる。互いの熱で蕩けて、唇がチョコレートに染まる。絡み合う唾液も吐息も、全てがチョコレートだ。
「は……♡」
甘ったるくて、視界までチョコレートに染まりそう。
「ん……もっと……」
「……」
颯希は、千紘の唇に溶けたチョコレートを、べろりと舐め取った。
「おしまい」
「んぇ~、なんでだよぉ」
「一気に食うもんじゃねぇだろ。腹減ったなら、飯作ってやるから」
お盆を片付け始める颯希の首筋に、赤く鬱血した痕が覗いた。昨晩、千紘が付けたものだ。まだ消えずに残っている。千紘のものという証。
「じゃあ、オムライス」
「ああ」
「ケチャップでハート描いて」
「……まぁ、いいだろう」
「へへ。あとぉ、ちひろだいすきって書いてぇ?」
「そんなに書くスペースはねぇよ」
「でっけー卵焼いたらいーじゃん」
「わがまま」
「わがままでいーもん。颯希にだけだもん」
「ったく」
くしゃくしゃと頭を掻き撫でられて、千紘は満面の笑みを浮かべた。
千紘が颯希に付けた痕は首筋の一つだけだが、颯希が千紘に付けた印は数え切れない。薔薇の花びらのような紅が全身隈なく至るところに散っており、それに気付いた千紘は鏡の前で悲鳴を上げることになるのだが、それは夜になってのお楽しみ。
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