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第六章 番外編 会えない時間が②
昼間、茜が家に訪れた。
「おはよ……って、ほんとにおはようって感じだね。もう十一時だよ?」
「んん……」
「寝惚けてる? そんな状態で玄関開けちゃダメだよ、危ないなぁ」
小言を言いながら、茜は部屋を片付ける。シンクに浸けておいた食器を洗ってくれ、床に放っていた制服をハンガーに掛けてくれた。
「ごはんでもどうかなって思って来たんだけど、どう?」
「めし?」
「うん。千紘くんの好きなもの、何でもいいよ? でも、寝惚けてるなら無理かなぁ?」
「ムリじゃねぇ! 四十秒で支度すっから!」
「そんなに急がなくてもいいよ~」
千紘は瞬時に覚醒し、身支度を整えた。
茜が連れてきてくれたのは、近所のファミリーレストランだった。千紘は起き抜けにも係わらず、チーズインハンバーグエビフライ&ソーセージ添えをばくばく食べた。
スープバーでコーンポタージュとミネストローネを交互にお代わりし、ドリンクバーで謎ドリンクを作っては茜と馬鹿笑いした。
「ちょっと~、それ大丈夫なのぉ?」
「色はやべーけど、味はけっこーイケるぜ!? 颯希にも飲ませたことあっし!」
「ホントに~??」
「だいじょーぶだって! 試しに飲んでみてよ!」
茜は訝しげにストローを銜え、鼻の頭に皺を刻んだ。
「うげぇっ、やっぱクソまずじゃん! 騙された!」
「ぎゃははっ! 引っかかったぁ~!」
「んもう~~! もう~! 悪い子!」
「がはは! ダマされっ方がわりーんだ!」
久しぶりに、まともな食事をした気がした。レトルト食品やコンビニ弁当もおいしいのだが、毎日となると飽きるというか、疲れてくる。一人の食事も味気ない。
それに、せっかくの休日を一人きりで過ごすなんて、考えただけでしょんぼりしてしまう。茜が来てくれて、外へ誘い出してくれたおかげで、随分と気が紛れた。
「ほんとに送らなくて大丈夫?」
「大丈夫だってェ。オレんこといくつだと思ってんの。こっから家戻ってまた駅に来るんじゃ、遠回りだし面倒だろ? オレぁ一人で帰れっからさ」
茜とはレストランの前で別れた。真っ直ぐアパートに帰ってもよかったが、あのがらんとした静かな部屋に戻ることを思うと気分が乗らず、千紘は寄り道をした。
古本屋をぶらぶらして、レンタルビデオ店で良さげな映画を探し、会員カードを颯希が持っていることを思い出して諦めた。
コンビニ前の灰皿から流れる煙に咳き込み、喫茶店の前を通って颯希のことを思い出し、パン屋で焼き立てのミニクロワッサンを大袋で買って、公園のベンチで食べた。
小鳥が寄ってくるから、クロワッサンをほんのちょっとだけ千切って撒いてやった。鳥達は我先にと地面を突っつく。
「わはは、うめーか? やっぱコンビニの菓子パンとはちげーよなぁ」
焼き立てだから外はサクッと香ばしく、中はふっくら柔らかく、クロワッサンならではの食感と贅沢なバターの風味が味わえる。これを、小鳥とではなく颯希と一緒に食べられたなら、今日はどれほど素晴らしい休日になったことだろう。
「はぁ~あ」
考えると溜め息が漏れてしまう。
颯希も今日は休みのはずだから、京都観光でも楽しんでいるのかな。いいなぁ、京都。行ったことないけど、聞いた限りだと楽しそう。神社仏閣やら仏像やらはあんまり興味ないけど、颯希が案内してくれるなら楽しそう。
観光客向けの土産物屋や食べ物屋がいっぱいあるって言ってたし、そういうのは普通に楽しめそう。
「ぁんだよぉ、自分だけ楽しみやがってぇ」
誰に向けたわけでもない文句が口を衝く。むしゃくしゃしてきて、ブランコを漕ぎまくった。子供のいない貸切状態だから、やりたい放題だ。
滑り台を滑って、逆走して、また滑って、鉄棒で大回転して砂場にジャンプして、ジャングルジムから飛び降りて、ウサギを模したスプリング遊具を揺らしまくった。
「瀬川くん?」
ブランコを立ち漕ぎしまくっていたら、どこからか声がした。
「お~、小林ぃ」
「何してるの? こんなとこで」
「べっつにぃ。暇潰し。オマエこそ何してんだ?」
「パン買った帰りだよ」
「ああ、クロワッサン?」
「そうそう。たまに食べたくなるんだよね」
ベンチに置きっぱなしになっていたパン屋の紙袋を見て、千紘も同じ場所へ行っていたことを小林は察したようだった。
「ここで全部食べちゃったの?」
「お~よ」
「颯希さん、まだ出張から帰らないんだ」
「あいつんこたぁどーでもいいだろ」
小林は荷物をベンチに置き、ブランコを漕ぎ始めた。
「寂しいんだ」
「はぁン!? 誰が!? オレがぁ!?」
「だからこんなとこで拗ねてるんだろう?」
「スネてなんかねーしぃ! オマエといいアカねーちゃんといい、オレんこと赤んぼかなんかと勘違いしてんだろ!」
「赤ん坊とまでは……でもそういうとこだよ」
小林はくすくす笑う。
「なにがおかしーんだよぉ……」
「ううん。キミってほんとかわ――おもしろいよね。夕ご飯、うちで食べてく? 一人の食事は寂しいでしょ」
「んー……でも、遅くなっと困っからなぁ」
「どうしてさ。どうせ今夜も一人なんだろう?」
「んでも、早く飯食って風呂入って、颯希ん電話待たねーといけねーからさ」
「毎日電話してるの? 颯希さんもマメだね」
「おうよ。だから全然寂しくなんかねーんだかんな。むしろ自由を謳歌できてラッキーって感じだしぃ」
「ふぅん。まぁ、寂しくないならよかったよ。困った時はいつでも頼ってくれていいんだぜ」
「へーへー、どうも。んな時ゃこねーと思うけどな」
小林と別れ、千紘は一人家路につく。夕暮れ間近の空に、青白い三日月が浮かんでいた。
*
今夜は少し早く、九時過ぎに電話が鳴った。千紘は威勢よく受話器を上げ、「もしもし!」と叫ぶ。
「うるさ……んな叫ばなくても聞こえるって」
「別に叫んでねーぜ! 颯希ん耳がよくなったんだ」
「何だよ。昨日寝ちまったから怒ってるのか?」
「おこっ……ちゃねーけど。だって、話したいこといっぱいあっからさ」
「ゆっくり聞かせてくれよ。昨日の分も」
千紘は、今日あったことを詳しく颯希に報告した。十一時まで寝こけていたことは怒られるから伏せておいて、茜とレストランに行ったところから話した。
何を食べて何を飲んで、どんな会話をしたか。その後どこへ行って何をしたか、何をできなかったか。小林が登場すると、颯希の相槌の声はワントーン低くなった。
「お前、また変なことされてねぇだろうな」
「変なことって何だよぉ、颯希のえっち」
「キスとかキスマークとかだよ。お前、二度とさせるなよ、マジで。あいつは危険だ」
「だーいじょぶだってぇ。あん時のあれは、オレが颯希にヤキモチ妬かせたいっつったから、協力してくれただけだもん」
「だといいけどな」
「そうに決まってんだろ~。オレぁ、変なことされんなら、颯希じゃなきゃヤダもん。颯希なら、いくら変なことしたっていーぜぇ? 特別大サービス」
「変なことって何だよ。エロガキ」
「え~? だからぁ……キスとか?」
「あとは?」
「き、キスマーク、つけたりとか……」
颯希の唇が首筋に吸い付く妄想をして、体が熱くなる。
「それだけでいいのか?」
「え、あ、とは……」
颯希の唇がペニスに触れる妄想をして、腰が重くなる。
「こら、何想像してんだよ」
「な、にって……く、口でしてほしい、とか……」
「口で?」
「ふぇ、フェラチオ、してほし……♡」
「は……」
電話の向こうで、颯希が息を呑む。
「おい待て、お前今何してる?」
「な、んにもぉ……?」
「アホ、声で分かるんだよ。エっロい声しやがって」
「だ、ってぇ……あっ♡」
千紘は、左手で受話器、右手でペニスを握る。始めは触るだけのつもりだったのに、だんだんと上下運動が激しくなっていく。
「あっ、あん、さつきぃ……♡」
「……気持ちいいのか」
「うん、んんっ、きもちぃ、いいよぉ♡」
「今何してるんだ」
「ちんちん、さわってるぅ♡ ごしごし、ってぇ……っ」
「そうか」
颯希の声も若干上擦っている。千紘の声だけで、興奮しているのだろうか。そう思うと、千紘もますます昂ってしまう。
「口でしてやろうか」
「へぁ? えっ?」
「フェラチオしてほしいんだろ。先っぽ、掌でぬるぬるしてみろ」
言われた通り、掌で亀頭を包むようにして擦る。
「んぁぁ♡ きもち、さつきぃ……っ」
「濡れてる?」
「ぬれ、てるぅぅ♡ 口ん中みたい……ぬりゅぬりゅすりゅうぅ」
「裏筋擦ってみろ」
「やっ、やだぁ、そこ弱いってぇ……♡」
「弱いからするんだろ。ほら、気持ちいいとこぐりぐりしてみろ」
「あっ、あぁ、やだぁぁ♡」
裏筋はすぐイッちゃうからいやなのに、颯希に言われるまま強めに刺激してしまう。手が勝手に動くみたいだ。オナニーなのに、オナニーじゃないみたい。
「乳首も弄ってやろうか。くりくりって」
「やっ♡ あぅぅ♡」
千紘は受話器を肩に挟んで左手を空け、颯希の声を聞きながら乳首を弄った。指で摘まんでくりくり捩じって、先っちょをこしこし擦っていじめて。
「イクか? 乳首固くなってきてる」
「あっ、やぁぁ、イク、いくぅ……♡」
「イけよ、千紘」
「んン゛ぅっ――!!」
ぽたぽたと白濁が床に垂れる。
イッてしまった。リビングで。電話しながら。颯希の声に導かれるようにイッてしまった。千紘はしばし呆然として、受話器が肩から滑り落ちたことにも気付かなかった。
電話機のカールしたコードが床まで伸びて、受話器がぶら下がっている。はっとしてそれを耳に当てると、「千紘」と呼ぶ声がした。
「あ、あは、ごめん、オレ……」
「いいよ。俺も、その……」
なんだか、すごく恥ずかしい。よく分からないが、妙なプレイをしてしまったことだけは確かだ。今まで、わりと普通のエッチをしてきたから、こういうのは初めてだった。
「……しちゃったな。変なこと」
「う、うん」
「でも俺にされるならいいんだろ?」
「えっ! う、うん。いい……颯希は?」
「俺も、千紘とするならいいよ」
「そ、そか……えへへ。よかったぁ」
「ただし、どこか汚したならちゃんと拭いといてくれ。染みになったら困るからな」
「わ、わーってるっつの!」
気恥ずかしさからか少しギクシャクしてしまい、今晩の電話は終わった。もっと話したかったという気持ちと、もうまともに話してられないって気持ちが綯い交ぜになり、千紘は一人悶えた。
*
まさか、千紘とテレフォンセックスする羽目になるとは。俺は溜め息を吐いて受話器を置いた。
こんなにも珍妙なプレイは初めてだ。千紘とはもちろん、他の誰とだってしたことがない。初めてなのに、いや初めてだからこそ、異様に興奮した。
千紘の感じる声とあえかな吐息だけで、ここ数日活躍の機会に恵まれなかった息子が目を覚ました。一度眠らせたのに、またむくむくと育ち始めている。忌々しいが、慰めてやらなけりゃこちらも眠れそうにない。俺は再び下腹部に手をやった。
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