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04.距離

 大陸の東にある山岳地帯。  その中腹にある街から少し離れた位置の、放棄されダンジョンと化した鉱山跡。その入り口を潜ってリレイとハーファはダンジョンを脱出した。 「すぐに見つかってよかったな」 「うん。中の探索より来る途中の方がキツいな、ここ」  ハーファが手に持った革袋には受けていた依頼の目的物が入っている。  傾斜のついた足元と放棄された道で行う探索や戦闘に苦心した分、平らに均されて内部の見取図が残っていた鉱山跡はまだ動きやすかった。  魔物の行動パターンもそこまでの特殊性はなく、食らった鉱石のせいか守りが固いぐらいで比較的簡単に数を倒すことが容易で。討伐数を稼ぎやすい魔物はその分素材を回収する好機が多い。  お陰で鉱山跡に入って半日と経たずに依頼が完了したのだった。   「さて……野営するなら隣の洞窟だと思うが」  行き道で所要日数2日と手こずった分、帰り道もそれなりに時間がかかるだろうと容易に予想される。きつい傾斜のある地形のせいか平地の森よりも焚火跡は明らかに少ない。  代わりに鉱山跡への入り口横にあった洞窟には焚火跡と切り出された石の寝台、その上にはマットレス代わりなのか藁が敷き詰められた四角い袋がひとつ置かれていた。ギルドの話によると鉱山が生きていた時代の簡易休憩所だったらしい。 「ここで野営するか、俺の魔力を受け取って進むか……どっちがいい?」  じっとハーファを見つめると、その顔がひくりと引きつる。 「や、野営で! 野営でお願いします!!」  リレイに初めて口移しで魔力を与えられた一件以来、ハーファは野営をしようという提案にも素直に応じるようになった。ろくに抵抗出来ずキス攻めに遭ったのがよほど恥ずかしかったらしい。  とはいえそれ以外の所では無茶をして行動不能になってしまい、リレイから魔力の口移しを何度か受ける羽目になっているのだが。 「そうか。残念」  つうっとハーファの下唇を指で撫でると、一拍置いて顔が赤くなっていく。  わなわなと震える唇が何か言おうとしているが、肝心の言葉が飛び出してくる気配はない。結局何も言えなかったらしく、慌てた様子でリレイの手を引っ剥がして洞窟に向かっていった。  その様子が面白くて仕方ない。狼狽えた瞳が見つめてくる瞬間が楽しくて、あわてふためく姿が何だか可愛らしくて、もっと見ていたいと思ってしまう。 「……我ながら歪んでるな」  他人に気を許し始めると、人をからかうような態度ばかり取ってしまうのは悪い癖だ。どこまで許して貰えるのかと試すような事ばかりしてしまう。  何度もそれで痛い目に遭ったのに。能力持ちは特別珍しい存在なのに。全く学習する気配のない己にリレイは自嘲した。    洞窟の中に入り、薪に火をつける。携帯食料で簡単に食事を取った後はハーファの訓練の時間だ。 「視る対象を絞って取り込む情報量を抑えるんだぞ。眼を閉じるイメージで」 「……う、うん」  ハーファに力の使いすぎによる疲労を指摘して訓練しないかと提案をすると、すぐに食いついてきて始まったものだ。やはり他者より疲労しやすい事は認識していたらしい。  【眼】の力は通常より多くの情報を取り込んで高速で処理をすると文献にあった。取り込む情報は何かしらの刺激だったり魔力だったりと個人差があるらしいが、受けた情報を一気に処理する負荷があるのは変わらない。  開きっぱなしの瞳孔で日向を歩いていれば普通の眼でも何かしら支障が出る。ハーファの力は恐らくその状態なのだろう。 「俺の気配は視ずに、姿だけを見るんだ」  最初にリレイの力量を見破った【眼】を閉じさせる。自分の意思で開閉させる。  イメージトレーニングでしかないが、少しずつ疲労で動きが鈍くなるまでの時間は延びている。閉じるまではいかずとも瞳孔を小さくするくらいは出来ているのではないだろうか。  しばらく真っ直ぐな視線がじっとリレイを見つめていたが、急にふいっと外れていった。  疲れてしまっただろうか。この手の疲労は目に見えないだけに気を遣う。少しのサインも見逃す訳にはいかない。  俯いてしまったハーファの肩に手を置くと、ぼそぼそと何か言っているらしい事に気が付いた。 「っ……か」 「か?」 「顔っ……近い……」  絞り出されるような声。肩に置いた手には微かに震えるような振動が伝わってくる。その様子を見たリレイの頭が瞬時に仮説を立てて、悪戯心が一気に沸き上がっていった。  肩に置いていた手をするりと頬に当ててハーファの顔をすくい上げる。予想通り、見えた顔は真っ赤だ。 「これだけでも照れるのか? 本当に初だな」 「うっうるさい! こんな至近距離にならないだろ普通!!」 「まぁ、あえて距離を詰めて近付いてはいるが」  訓練と称して自分と見つめ合わせているのも、その距離を多少詰めているのも、何か面白い反応をするだろうかと期待してのこと。  予想以上に動揺してくれて何よりだ。 「いちいちからかうな馬鹿っっ!」  知ってか知らずかハーファは真っ赤な顔を更に真っ赤にしながら喚く。発する声は怒ったような声音だが、顔は動揺していますと文字が見えそうなくらいの分かりやすさで何の威力もない。  ゆらゆらと湧いてくる、何処かくすぐったい感覚にムズムズする。   「ハーファが可愛いのが悪い」  あ、と思った時にはもう遅かった。つい何も考えずに言葉をこぼすと、は?という言葉と一緒に目の前の顔が固まる。  てっきりまた赤くなるのかと思いきや、みるみる真顔に戻っていく。戻るどころか、まるで幽霊でも見るような怪訝そうな顔になってしまった。 「……リレイの目、実はヤバいんじゃねぇの」  ついさっきまで顔が近いとか喚いていたくせに、今度はまじまじとリレイの目を覗き込んでくる。なかなか真面目に心配されているらしい。  そこは照れないのか……扱いの難しい男だ。 「失礼だな。見た目だけの話じゃない。俺に口説かれて、真っ赤でおろおろしてる姿が可愛い」 「小動物いじめて喜んでる奴みたいな感想言うんじゃねぇよ、いじわる魔術師」  気付く余裕がないのか、わざとなのか。口説かれているという軽口は冷静な口調で綺麗に無視されてしまった。  しかしなるほど、ハーファはリレイから小動物と同じ扱いをされていると思っているらしい。 「まぁ……確かに近いかもしれないが」  見ていて飽きない部分は大いにある。  意地っ張りで負けず嫌いのハーファが動揺すると、満足感のようなものがじんわりと滲んでくるのだ。  けれど。   「さすがに小動物相手に口付けて気持ちいいとは思わない」 「っ、え……ちょ、んぅっ」  同じ愛玩のキスでも、動物相手とは少し違う。  動物相手にするそれは可愛らしいという感情からくるこちらの衝動でしかない。動物は口付けられた所で何か反応する訳ではないのだから。  その点ハーファは違う。唇を重ねれば動揺して身を震わせるし、必死に息をしようとして合間に声をぽろぽろとこぼす。微かに開いたり閉じたりする唇の感触が、声と一緒にこぼれてくる吐息のくすぐったさが心地いい。触れ合っていたい。  そんな欲求を抱く相手が、動物と同じなのだろうか。 「ンぁ、ふ……っう、ん……」  一度触れるとハーファは抵抗しない。その気になれば蹴り飛ばすなり投げ飛ばすなり出来るだろうに。リレイとのキスを避けようとはするけれど、触れてしまったら唇を拒む事はしない。  一人ぼっちに戻る事を恐れているのだろうか。  それにつけ入る卑怯者に応える事はしないけれど、受け入れる。呼吸が追い付かずにとろんとさせた顔と瞳で、真っ直ぐリレイを見つめながら。  ……何だかんだで重ねていた唇を離した後、どかっと蹴り飛ばされた。今日は大丈夫だったのに何をしてくれるのかと真っ赤な顔で散々喚いて、ふて腐れたように床へ横たわってしまった。 「いや、わざわざ床で寝る必要ないだろ」  簡易の休憩所とはいえガタイのいい工夫用だけあって、石造りの寝台は結構な大きさがある。不本意ながら体格のよろしくないリレイは真っ直ぐ寝れば半分以内に収まってしまうほどだ。無理に片方が床で寝る必要もない。 「嫌だ。床で寝る」  そう言ったきり背を向けて振り向きもしない。すっかり拗ねてしまったようだ。 「ハーファ。こっちに来い」  石の寝台に腰かけて、ぽんぽんと横を叩く。  しばらく待ってみたが返事がない。無視を決め込もうとはいい度胸だ。 「ハーファ。はーあーふぁー」  抑揚や声の高さを変えて、ひたすら名前だけを呼び続ける。最初は反応しなかったが、何度も呼ばれ続けて何かを堪えるように背が段々と丸まっていく。  しばらく連呼していると、しつこさに我慢が出来なくなったらしいハーファが起き上がって振り向いた。 「うっせぇ! 床で寝るって言ってんだろ!!」 「せっかく寝台があるんだから使うべきだろ」 「いっこだけじゃねぇか! 何でリレイと一緒に寝なきゃなんねーんだ!」  完全に拗ねたハーファは頑として譲ろうとしない。こうなるともう押してもびくともしないだろう。  だが。 「ふぅん」 「……な、んだよ……」  振り向いたのならこちらのもの。こういう時は手を変えるに限る。  意識してにーっと口角を吊り上げて笑うと、ハーファの表情に警戒心が灯った。 「俺の事を意識してるのか。さっきの口付けで」 「……は……はぁ!?」  一瞬ポカンとした後、驚いた様子で勢いよく立ち上がる。あまりにも簡単に乗ってくる相手にニヤニヤと緩む表情が締められない。 「悪い悪い、最初から顔が近いだの言ってたな。意識している相手と同衾なんて、初なハーファに出来るわけないか」 「っ、な……違う! そんな訳ないだろ!!」  視線を外してごろんと寝台へ仰向けに横たわると、あれだけ無視を決め込んでいたハーファが聞けよと喚きながら近付いてくる。上から覗き込んできた顔は何処か焦ったような表情だ。  無言でじっと見つめてやると、その顔はぐっと口をへの字に結んだ。 「じゃあ、どうしてそんなに拒むんだ?」 「……拒んで、なんか……」  しどろもどろになるハーファに勝利を確信したリレイは、心の中の自分がもうひと押しだとにんまり笑ったような気がした。  それがバレたのだろうか。戸惑っていた表情がかっと悔しそうなものになる。 「っ……何だよその顔! もっと奥行けよ! 一緒に寝るなら狭いだろ!!」 「ふふ、そうだな。おいで」  勝った。  ご満悦で迎え入れたが、ハーファは本当に端っこに横たわる。それを中の方に引きずり込んで喚く相棒をふざけるように抱き締めた。背中だけれど、抱きついた体は暖かい。  しばらく何とか引きはがそうと格闘していたようだったが、背後から抱きつかれていて諦めたのかそのままの姿勢で脱力していった。    ……卑怯でも、いじわるでも、何でもいい。  居心地のいいこの場所に居られるなら。  抱えている感情が思ったよりも重たく変質している事に気が付いて、リレイは自分自身に苦笑した。

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