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08.侵入者

 大仰に開く扉の向こうに広がっていたのは、それまでと雰囲気が全く異なる景色。  石を切り出したまま組まれた壁と床にレリーフがはめ込まれた造りだったものが、表面が磨かれ細やかな装飾の刻まれた上質な石材に切り替わっている。松明で取っていた明かりも煌々と光を灯す魔法石を埋め込む方式になっていた。希少な魔法石が壁どころか天井にもふんだんに使われていて、遺跡の奥の方だというのにむしろ扉の奥の方が明るく感じるほどだ。  その豪奢な装飾と佇まいに、聖地という言葉がピッタリだなとリレイは改めて思うのだった。  「こ、ここが一番奥です」  一際多くの装飾と魔法石が散りばめられた巨大な扉の前で、イチェストは立ち止まり振り返った。その顔は引きつっている。  それもそのはず、扉の向こうから微かな空気の流れがやってきている。扉が少し開いているのだ。  そして…… 「魔力を持った奴の気配がする」  間違いない。先の装置で感じた魔力と同質のものを持った何かが居る。人か、人に近い習性を持つ魔物か、それとももっと精霊に近い何かか。  しん、と落ちる沈黙。  その中で、すうっとイチェストが大きく息を吸い込んだ。   「はーっ……くそーっ俺の楽々出張返せーっ!」    思ったより扉に厚みはないらしい。勢いよく開け放たれたそれの向こう側に向かって、イチェストが大声で文句をぶつける。その姿は滑稽だが、開いた扉を塞ぐように一瞬で盾の魔力が網を張った。鼠一匹逃がすまいと言わんばかりに細かく形作られたそれは間違いなくイチェストのもの。既にこの男の仕事は開始しているのだ。  だが奥に居た何者かは微動だにしない。むしろ雪崩れ込んできたリレイ達を見定めるように視線を投げ返してくる。    その姿は魔物よりは人に近い。肌の血色のよさから死霊系の魔物ではなさそうだ。装備は剣、鎧は戦士や騎士がよく身に付けているハーフプレート。しかし鎧の下は法衣の様な服装であることを考えると魔術師系の剣士だろうか。  しかしその顔に既視感を覚えて、リレイの方が硬直してしまった。 「な……に? どうして」 「……お前、トール……か」  同じように目を丸くした男はぽつりと名を呼ぶ。その声は低く抑揚もない。記憶の中にある人物とは印象がかなり違うが、真っ直ぐにリレイへ向けられている瞳はどこか懐かしい。 「何言ってんだ、コイツは――」  庇うように前に立つハーファは戦闘態勢に入ろうとしていた。それをすんでのところで制止し、少し後ろへ下がらせる。 「ワース……?」 「え。リレ、イ……?」  思い出した名を呟くと、目の前の男は少し頷いた。ハーファの困惑した視線が飛んでくるけれど、それに構う余裕はリレイにはなかった。  目の前に立っているのはここに居るはずのない、むしろ居てはいけない人間だったから。    ワース――真名はワースラウル。  ……リレイの生まれた家に残っていたはずの、異母弟。  騎士としての能力を持てず根無し草になった兄と違い、剣術も魔術も幼くして修めた優秀な魔法騎士。家門の未来を担うはずの次期後継者。 「ワース! お前何やってる……どうして神殿の聖地に入り込んだりしているんだ!」  まずい。コソドロが入り込んだという話とは比べ物にならない。  順当に成長してきたのなら、ワースは国に仕える騎士になっているはずだ。神殿の管轄する聖地を荒らしたなんて話になったら……その火種は本人を焼くだけで済むはずがない。国の関与が疑われれば、協定はどうなる。反故になったりしたらそこに住む人間はどうなるんだ。  けれど、焦るリレイをよそに目の前の男は悠然と立っている。 「調査だ」 「お前のは不法侵入っていうんだ。許可もなしに神殿に入っていい筋合いが何処にある」  言葉少なに返すのはこの男の昔からの悪い癖だ。懸念を伝えると、ああ、と鈍い返事を返してくる。 「近々、国家連合の魔物掃討が計画されている。事前調査でこの地下に大型が居るという予測が立ち、実地調査を国から神殿へ申し入れた」  話によると魔物生息の可能性があるとは現時点では明かせず、秘匿調査になったらしかった。そのせいでイギリギリに申請を出したイチェストの調査と予定の調整が付けられなかったのだろう。  ……確かに、神殿の管理する聖地に魔物の巣があっては威信もくそもない。 「いやいや、ここは神殿の管理下、それも聖地なんで。よりによってここに大型なんて」  そう、大々的に可能性の話をすれば、イチェストの様な反応をする人間を疑いの底に叩き落とす事になる。神殿としてはこっそりと調査をさせて所見なし、万一居たとしても秘密裏に討伐して、涼しい顔をしていたいのだろう。  しかし、どうやら事前調査の予測は正しかったようだ。 「……え……何この揺れ……」  ぐらぐらと地面が揺れ始め、笑っていたイチェストの顔が強ばっていく。単に地震のようにも思えるが、響いてくる何かが這うような音がそれを否定していた。  ミミズか、蛇か。聞こえてくる音量から考えるとかなりの大きさのように思える。 「来たぞ。……今季はここが塒だそうだ」  ワースが剣を抜くと同時に、壁の一部を結界ごと食い破って大蛇が出てきた。全長は目視できず、その口は人間ごとき丸呑みに出来そうな程に大きい。光を反射してぎらつく鱗の合間に嵌っている赤い目は、ぎょろぎょろと眼前の人間達を威嚇しているように思えた。    地中の大蛇、グランヴァイパー。  鉱物で出来たような輝きと固さを誇る鱗を持ち、日の当たらない地下に棲む蛇型の魔物だ。大きな牙には麻痺毒が仕込まれており、噛まれて動けなくなった獲物をくびり殺す。  生き餌のみならず死体も貪欲に食らう性質を持ち、洞窟内で救援を待っていた瀕死状態の冒険者が数多犠牲になった事例がある。それ故ダンジョンの掃除屋と恐れられ、ギルド内でも警戒度の高い魔物だ。  結界の外側から出てきたということは、ここに住み着いているという訳ではなさそうだと辺りを見る。他に仲間を率いている様子もない。 「へぇ、回遊性だったのか。ずいぶんな大きさだが……聖地の結界も協定の掃討作戦もガバガバだな」  掃討作戦は事前調査に引っ掛かるか、作戦開始時にその場へ居合わせなければ討伐対象に含まれない。比較的ゆっくり大きくなるはずの種がこの大きさになっているという事は、かなりの年数を逃げ仰せたのだろう。  観察している間に大蛇が鎌首をもたげた。杖を抜くとハーファも同時に構える気配がする。 「ヌシ級の魔物って……う……嘘だろ……」  ブツブツと呟き始めたイチェストは何だか危なそうな雰囲気がするが、張り巡らされた盾の魔力は揺らがない。多少の動揺ではびくともしないその魔力はさすが盾の神官兵といった所か。   「……聖地を塒なんかにすんな馬鹿野郎――っ! 俺の出張休暇を返せぇぇぇ――!!」    何への怒りをぶつけているのか最早分からないが、大広間全体に響くのではないかと思うほどの大音量でイチェストが叫んだ。途端に身体が軽くなり、じんわりと力が沸いてくるような感覚が広がっていく。支援魔法の能力強化だったらしい。  ……魔法というより……魔物の雄叫びのような発動だったが。 「絶対逃がさないからな……! いくぞハーファ!!」 「えっ!? ……お、おう!」  イチェストの言葉と共に大蛇に突き破られた結界が埋まっていく。ぎっと鬼気迫る顔を向けられたハーファは、追い立てられるように駆け出した。

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