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13.不穏の足音
遺跡の探索から1週間。
リレイとハーファの2人は神殿からの呼び出しで足止めを食らい、思うように動けずにいた。
秘匿調査に居合わせてしまったのがまずかったのだ。
教会と国から調査で見聞きした事についての箝口令 承諾の誓約書を書かされたり、巨大化したグランヴァイパーの様子や戦闘パターンについての聞き取り調査に協力させられたりと、完全に向こうのペースで調査が続く。
ワースの奴はさっさと国に帰ったというのに、自分達がいつまでも拘束されている事がリレイはすこぶる不満だった。
最初の方はハーファの休養になると好意的だったものの、さすがに1週間連続で毎日数時間だけ呼び出され続けるのは面倒がすぎる。お陰でおちおち遠出も出来ず、近場の採集依頼で小金を貯めながら次は何処に行こうかと話を続ける日々だ。
リレイは根っからの冒険者気質ではないけれど、行きたい所が増えてくると流石に冒険心がうずいてくる。
そんなこんなで8日目。一週間続いた呼び出しがようやく終了して解放された。
「はー、やっと終わった……秘匿調査って大変なんだなぁ……」
ふてくされたようなハーファをなだめながら酒場のドアを開けた。空いていたテーブルに腰を下ろして、飲み物と軽食を頼む。
「イチェストが仮面のような顔だったな……」
楽々出張を熱望していたイチェストだったが、予想通り残務処理に追われているらしい。最初は疲れたような顔を見せていたのに、3日を過ぎた辺りから笑顔がびくともしなくなっていって――今日の聞き取り調査でも張り付いた笑顔で淡々と答えていたのでかなり不気味だった。
「あんな不気味な笑顔そうそう見ねぇよな」
めちゃくちゃ可哀想、とハーファは屈託なく笑う。
迫りすぎて蹴りで沈められた直後はしばらく態度がぎこちなかったが、やっと元に戻ってきた。悪いのはリレイ自身だとはいえ、呼びかける度に距離を取られたり警戒されるのは中々にキツいものがあったのだ。
もうそろそろキスも再開していいだろうかと、リレイはハーファの唇を眺めながら考え始めた。採集依頼ばかり受けていたが、そろそろ討伐依頼を取って寝る前に1回くらいできやしないだろうか、と。
性懲りのない男である。
「あ……」
料理と飲み物が運ばれてきた所でぴくりとハーファの笑顔が固まる。何事かと振り返ると、見たくない男の姿があった。
「……何しに来た」
歩いてくるのは国に帰ったはずのワースだ。家には帰らないと拒絶したはずなのにまだ出てくるとは……今まで音沙汰がなかった分、急に接触を図ってくるのは裏で何か企んでいるのかと疑ってしまう。
ゆっくり近付いてきたかと思えば、口にするのは先日と同じ言葉。
「トール……家に帰ろう」
「しつこい。さっさと失せ――」
今度こそ叩き出してやろうと杖を構えたが、その腕をぐいっと後ろに引っ張られる。何事かと振り返った先にはハーファの真剣な顔があった。
「リレイ。何かアイツ変だ」
「……変?」
「えーと、何か、焦ってる、っていうか悲しそう……? とりあえず話聞いてやってほしい」
何を言い出すのかと思わず凝視すると【眼】を開いているようだった。ハーファは戦闘に関係する気配や力量の把握に特化していると思い込んでいたが、ひょっとして感情も読み取れるのだろうか。
返答に困っていると、くいくいと掴んだ袖を引っ張りながらじっと見つめてくる。
「聞くだけならいいだろ。な?」
「…………聞くだけだからな」
どうにもハーファに弱くなっている気がする。じっと見つめてくる瞳に逆らえず、渋々頷いた。
ひとまずワースを席に着かせて、届いた飲み物をすする。
「もう……ダメそうだ」
「……お前伝える気あるのか?」
のっけから繰り広げられる端的な物言いに頭痛がしてきた。ハーファ曰く深刻そうな雰囲気らしいが、 いつも通りすぎて違いが分からない。
元々乗り気ではないだけに聞こうという意欲が余計に削がれていく。どうしたものか。
「ティレニア様の様態が急速に悪化している」
唐突に聞き覚えのある名前が出てきて、サンドイッチを持ち上げようとした手が止まった。
「母の治療術も受け付けなくなってきているんだ。もう、長くはもたない……」
ふいとワースの瞳が伏せられる。なるほど、だから慌ててやってきたのかと理解した。
あの人は生まれつき体が弱い。治癒魔術に秀でたワースの母親に診て貰いながら離れで療養しているはずだ。
家を出る時には既に部屋から出られずにいたから、ずるずると体調を崩していったとしても不思議ではない。自分の母親から状況を聞いたのだろうか。わざわざ報せにくるとは律儀な男だ。
「分かっていた事だろう。自分が生きるので精いっぱいのくせに……無理をして俺を産むからだ」
ティレニアはリレイの母親だ。妊娠当時を診ていた当時の医師から、出産は命に関わると言われていたらしいと聞いている。
それでも子を望んだ。そのために自分は居るのだからと命を懸けた。だというのに産まれてきたのは出来損ないだった。そのせいで苦労を強いられた……不幸の人。
そんな人に対して己に何が出来るというのかと、リレイは低く笑った。
その様子をじっとワースが見つめてくる。言外に責められているようで居心地が悪い。
「それで本当に後悔しないのか」
ぴりりとした低い声。表情があまり変わらないはずの弟だが、その奥に揺らめく憤りの気配がわずかに漂ってくる。
リレイとワースはいわゆる異母兄弟だけれど、ワースはリレイの母親にも懐いていた。だからこそ先の長くない彼女に会わせようとしているのだろう。
……けれど。
「あの人が会いたいとでも言ったのか? 違うだろ」
あの人はそんなことを望んでいない。たとえ死に面しているとしても、そこで翻るほど柔らかい意思の持ち主ではない。
鋼のような意思をもっているからこそ、世界から与えられた膨大な魔力をその身に湛えたまま人の形を保っていた。十年と少ししか共には居られなかったけれど……同じ道に進んだからこそ、それがどれだけ困難な事なのか魔力に押し潰された先人の例をいくつも目にして知っている。
「……お前に聞いている」
目の前の男が発しているとは思えない、ひどく低い声がした。
「お前は後悔しないのかと、聞いている」
かつて自分に向けられていた父親の声に似ていて思わず背筋が伸びる。ワースの目にはらしくなく、ぐらぐらと強い感情が煮たっているように見えた。
――そんな問いは、愚問だ。
「……帰れ」
「トール!」
後悔しかしていない。
逃げたことも、見捨てたことも。
沸き上がってくる後ろめたさからすらも必死に逃げて、逃げて、逃げて、必死にもがいて振り切りながらここまで来た。
「帰ってくれ……」
今更それに向かい合う勇気なんか、リレイのどこにもありはしない。
ワースが姿を消した後、宿に戻ろうという提案を受けて戻ることにした。
ちらちらと少し気まずそうに視線だけ寄越していたハーファが、部屋に戻ると顔を覗き込んでくる。けれど何か言いたそうにしているその口はぱくぱくと開いたり閉じたりしている。
事情を全く知らないだけに踏み込んで良いものか、戸惑っているようだ。
「なぁ……ティレニア、って人」
「母親だ。俺が冒険者になる前から弱っていたから、別に不思議じゃない」
自分は今どんな顔をしているんだろう。口角が全く動かないから笑えてはいない。ハーファを心配させるような顔でなければいいのだけれど。
じ、と覗き込んでくる瞳。
ワースと違ってそこに感情のようなものは感じないが、逆にそれが恐ろしく思えてくる。何を考えているのか分かれば身構えることが出来るのに。
「リレイ」
「すまない、一人にしてくれ」
気遣わしげな声に名を呼ばれて、咄嗟に拒否反応が出てしまった。自分でハーファに近付いておいて虫のいい話だが……今は触れられたくない。
「帰ろう」
だけど、相棒殿にそんな希望は通用しなかった。
先程の拒否など無かったかのように力強い瞳がリレイを見つめる。
……きっとそういう所だ、ハーファが今までのパーティと上手く行かなかったのは。【眼】の力もあってか、ここが問題の根本だと確信を持って人の痛いところに踏み込んでくる。
そんな遠慮の無いところが少し……鼻につく。
「帰らなきゃダメだ。ずっと会いたいって顔してんじぇねえか」
ハーファの瞳に映り込んだ自分は酷く情けない顔のように思えた。視えてしまっているんだろうか。狼狽えて、迷って、泣きそうになっているリレイの姿が。
「お前はあの家を知らないから簡単に言える! 俺一人を逃がすのに、あの人がどれだけ……」
何も知らないくせにと喚きたくなる。
会えるものなら会いたい。申し訳なかったと伝えたい。けれどあの人は自分の人生を棒に振ったのだ。魔法剣士どころか剣すら握れず、期待に応えられなかったリレイのために。
そんな出来損ないとはいえ自分を外へ逃がした事で、家の人間や父親からどんな扱いをされてきたのか想像も出来ない。
どの顔を下げて、会いに行けるというのか。
「だったら!」
バチン!とハーファの両手が勢いよくリレイの頬を挟んだ。中々痛い。
「……オレが連れてく。逃げなきゃいけない所なら、絶対にオレが連れて帰る」
こつんと額を触れ合わせて、ハーファはゆっくりと瞳を閉じた。しばらくその状態で手の平が頬を撫でていたけれど、甘えるように頬を寄せてくる。
「ついて来てくれるよな、相棒」
ぎゅうっと抱き締められて、その暖かさに踏み固めてきたはずの決心がぐらぐらと揺らぎ始めた。
『ずっと会いたいって顔してんじゃねぇか』
ハーファの声がリレイの中にゆっくりと染み込んでくる。言葉になったそれは蓋をしたはずの部分を揺さぶって、事もあろうにこじ開けていく。
「……ありが、とう」
ワースと再会してから、意識の隅であの家の影がちらついて心が戸惑っていたのに。二人一緒ならどうにかなるような気さえするのだから、不思議なものだ。
街が寝静まった深夜、リレイはベッドを抜け出して手早く身支度を整えた。
「……すまない、ハーファ」
ハーファはまだベッドの中ですやすやと寝息を立てている。明日出発しようと交わしたリレイとの約束を信じて。
けれど、あの家に連れていく訳にはいかない。家の連中がハーファの存在に気付けばろくでもない事を考えるかもしれない。特に選民思想が強い父親はまず良い顔をしないだろう。もし逃げ切れたとしても、彼らの言葉がハーファの心を傷付けるかもしれない。それは腕輪でも魔術でも弾くことは出来ないものだ。
そもそも近付けない事が一番の対策になる。
「少しだけ、待っていてくれ」
眠るハーファの唇にそっと口付けて、手早く書いた手紙を置いて部屋を出た。
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