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10.恋、目を逸らして
4年にも及ぶ、週3の入れ替わり生活。その裏には、徹底した情報共有、観察、追及がある。例えようもないぐらい手間だけど、欠かさず続けてきた。奏人 は自由を得るために。僕は贖罪のために。
「オンナと話してたろ。バス停の所で」
「……東雲 さんだよ。そんな呼び方しないで」
東雲 日菜子 さん。19歳。奏人と同じ体育学部所属。身長は160センチ前後。中学の頃からバレーボール一筋で、ポジションはリベロ。周囲をぱっと照らすような明るい子で、少しおっちょこちょいなところがある。所謂『愛されキャラ』で、彼女の周囲からは人が絶えることがない。
奏人とはグループワークをきっかけに話すようになった。東雲さんは一生懸命だったけど、から回ってしまいミスを連発。そんな彼女をフォローしたのが奏人だった。
さっさと終わらせたかった。そんな淡泊な動機が伝わることはなく、東雲さんは奏人に恋をした。好意はだだ洩れで、学部内ではちょっとした話題になっている。けど、当の奏人に応える気はない。活動の邪魔になるから。
「東雲さん、今日も素敵だったよ。薄い灰色のワンピースに白いカーディガンを羽織って……。髪も巻いてて、すごく大人っぽかった」
「…………」
「ほんと……すごいよね。奏人と仲良くなる前はお化粧だって――」
「だから?」
不協和音が鳴り響く。伝わらない。東雲さんのひたむきさが。思いの深さが。
「……ああ、そうか。なるほどな」
合点がいったようだ。でも、奏人の眼差しは、変わらず呆れと軽蔑で澱 んでる。
「虚しくないわけ? 俺で近付いたって、お前ではキスも、セックスも出来ねーんだぞ」
「……は?」
悪寒がした。何、言ってるの……?
「ああ、そうか。俺で近付いてナオを売り込むんだな?」
「違う! 僕は……っ」
「ほんとバカだよな。お前って」
一方的な会話。まるで聞く耳を持ってくれない。拒絶してるんだ。愛を。
――いや、違う。怖がってるんだ。愛を。
「東雲さんなら大丈夫だよ」
「…………」
「あの人達とは違う。すごく、すごく優しい人だから。失敗したって嗤わない。寄り添ってくれるよ」
「おめでたい奴だな」
「東雲さんのこと、ちゃんと見てあげて」
「見た。その上での結論だ」
「もっとちゃんと――」
「あのオンナは俺が好きなわけじゃない。俺を好きな自分が好きなだけ。だから気付かねえ。それだけだ」
「……っ」
苛立ちの影には深い悲しみがある。断言出来る。僕もまた同じ思い――稚拙で身勝手な思いを抱えているから。
「半分嘘だって知ったら、オンナは確実に爆発する。哀しむんじゃない。キレるんだ」
「哀しむよ。東雲さんならきっと」
「恋は盲目だな」
「~~っ、だから! 違うんだってば」
僕はそもそも恋愛をしていい立場にない。この手で、脚で人を傷つけてしまった。そんな僕に人を愛する資格はない。
「とにかく今は大人しくしとけ。谷原 が復帰した」
血の気が引く。灰とコーヒーの臭いがする。
「調 が駅で見かけたらしい」
谷原 樹 さん。38歳。スポーツ紙の記者だ。1年ぐらい前に前任から引き継ぐ形で空手、フェンシング、射撃の担当に。その傍ら、芸能記事も担当しているらしい。
フェンシングスクールのコーチ・甘利 さん曰く、谷原さんは一際執念深いらしく、半年ぐらい前には若手の女優さんを自殺に追い込んだらしい。幸い一命は取り留めたものの、彼女は引退を表明。谷原さんは、責任追及から逃れるような恰好で休職をしていた。
「オンナのこと、巻き込みたくないんだろ?」
もちろんだ。でも、それはいつまで? まったく目途が立たない。奏人に恋する東雲さんは、とても楽しそうではあるけれど、同時に切なげでもある。奏人や、奏人の友達からはぐらかされる度に、傷付いているのが見て取れた。報われるのならそれもいいのかもしれない。でも、報われないのだとしたら――。
「サニー、テレビON」
テレビがついた。ミーティング終了の合図だ。奏人は慣れた手つきでスマホを操作。録音を停止する。
「今日はメモでいい」
「……分かった」
「手ぇ抜いたら承知しねえからな」
奏人の言うメモ=ボイスメモのことだ。基本は夕飯時の報告会の録音。別途用意するのは、遠征なんかで報告会を設けられない時、補足の必要が出てきた時の2パターンのみ。今回みたいな中断からのケースは初めてのことだった。
谷原さん復帰の話もある。質の高い情報共有は必要不可欠なはずだけど、それでも奏人はデータだけで済ませようとしている。十中八九、東雲さんの話題を避けるために。戸惑ってるんだろう。さっきのやり取りで分かった。悲嘆するにはまだ早い。
「あっ。おい、見ろよ。空知 の親父と弟だ」
バレーボール日本代表の記者会見。男子選手達。そして監督――走 のお父さんの姿があった。吊り上がった目は走と瓜二つだ。けど、纏う雰囲気はまるで違う。薄氷と炎。まさに対局だ。
「それでは期待のホープ・空知選手から一言お願いします」
呼びかけに応じて1人の選手が立ち上がった。大きい。180後半、いや190センチはありそうだ。お兄ちゃんの走は160センチもないのに。
糸目の弟さんの受け答えは完璧だった。メディア受けのいい言葉を選びつつ、選手としての品位も保ってる。横で聞いているお父さんも誇らしげだ。
「きっついな」
「……そうだね」
走も弟さんと同じように、物心ついた頃からバレー漬けの日々を送っていた。でも報われず、終いには見放された。そうして居場所を求めて、猿渡 君達と繋がった。そんな場所だったのに、走は手放してくれた。庇ってくれた。報復を受けることも厭わずに。
テレビの中で、弟さんがケラケラと楽しそうに笑ってる。走にもあんなふうに笑って欲しい。出来ることなら、射撃部のみんなと――。
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