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12.私的な献身
見限られてから2年後――中学2年の春。僕の居残りの最中に事は起きた。
『奏人 のヤツ、デカい口叩いといてテンで大したことねぇの!』
糸目で背の高いクラスメイト――土田 秀喜 君は手を叩きながら嗤った。同情の余地はあった。彼もまた、奏人の台頭によって隅に追いやられた選手の1人だったから。
『フランクリンにボッコボコにされてさ。アイツ泣いてやんの! 目なんか真っ赤にしてさ~』
同調を求めるようにドロっとした視線を向けてくる。クラス替えをして以降ずっとこうだった。仲間だと思ったんだろう。
『……そう』
曖昧に返しながらシャーペンを走らせる。――と目の前に、スマホが差し込まれた。画面の中には、瞳いっぱいに涙を溜める奏人の姿があった。
『ざまぁねぇだろ? なァ?』
フラッシュバックする。一生懸命に頑張る奏人を、嘲り嗤う人達の姿が。
『いい加減にして』
気付けば口を付いていた。理性が燃える。止まらない。
『君みたいな人がいるから奏人は――』
――ははっ、……何を言ってるの?
『えっ……?』
――僕のせい、だろ?
『っ!』
そうだよ。悪いのは僕だ。奏人は僕を守ろうとして傷付いた。僕が内に籠ったりしなければこんなことには――。
『は? んだよ』
土田君もまた被害者だ。そんな彼に対して僕が出来ることはただ1つ。決まりきったことなのに、僕はまた逃げようとした。
『……殴るなり蹴るなり、好きにしてくれていいよ』
『はぁ?』
『同じ顔なんだ。ボコボコにすれば少しは気が晴れるんじゃない?』
『意味分かンねぇ……』
言葉とは裏腹に、土田君の目がギラつき始めた。何も怖くない。慣れているから。
『奏人は、僕がこんなんだから小さい頃から苦労してて……。それでキツくなったというか、隙を見せられなくなっちゃったんだ』
『はぁ~ん?』
『申し訳ないけど、僕は奏人に意見出来ない。だから――あぐっ!?』
殴られた。お腹。胃の辺りだ。痛みが重なる。
『うっ、ぐっ……』
背中を折って、逆流しかけた食べ物を押し込んだ。視界が湿り始める。
『んくっ……!』
顔が勝手に上向いた。髪を掴まれたみたいだ。
『へぇ~……?』
土田君と目が合う。口の両端がくっと持ち上がった。三日月みたいだ。
『悪くねぇ~な』
『あ゛っ! ~~っ……』
もう一発お腹に入る。顎は上向いたままだ。土田君の目が一層黒くなっていく。底が見えない。あの子と同じように。
『マジでチクったりしねぇだろうな』
『しないよ』
僕は言いながらYシャツを捲り上げた。脇腹からお腹にかけて赤黒い痣がベッタリとこびり付いている。
『~♪』
『場所を変えよう。ここじゃ人目につく』
『だな。へへっ、たっぷり可愛がって――』
『はぁ~? おいおい、ウソだろ土田ァ』
声を聞いた瞬間、息が止まった。ウソ? 何で……???
『俺が気に入らねえからナオをボコるだぁ? ンなダッセー真似しねえよなぁ!!!!!!!???』
『ばっ!!? おまっ!!!!!』
奏人は言った。学校中に響き渡らせるような大声で。土田君の顔がみるみる内に青褪 めていく。
『ジョジョジョッ、ジョーダンだっての!!! 本気にすンなバーーカ!!』
土田君は大慌てで駆け出した。奏人がいない、反対側の出入り口に向かって。
『ちゃんと顔出せよ』
報復するつもりなんだろう。フェンサーとして。徹底的に。
『わっ、わーってるよ!』
返す声は引き攣 っていた。煽ったのは僕だ。弁解しないと。
『ったく……』
『あっ……』
奏人が溜息をつきながら向かってくる。大急ぎでシャツをズボンの中にしまう。
『あっ! まっ、待って』
奏人の手がYシャツを引っ張った。右手で掴んで制止を求める。
『俺へのヘイト、全部買ってくれてたわけ?』
『違う。さっきのはたまたまで』
『……一発二発の怪我じゃねえだろ』
『空手の稽古でついたんだよ』
父さんが僕らに課した転向許諾の条件、それが『黒帯』の取得だった。奏人は中1の夏に。僕は3か月ほど前に達成。奏人が知らない期間が存在していた。
『下手くそ』
『ははっ、返す言葉もない――っ!?』
乱暴に頭を撫でられる。意図が分からない。
『かっ、奏人――』
『ほんと、バカだよな』
『……ごめ――』
何かが降ってきた。目だけ上に向ける。
『えっ……?』
奏人の黒目がちな目が、涙で濡れていた。こっぷりとした涙が頬を伝って落ちてくる。
『かな――』
『~~っ! 見んな! バカ!!』
背を向けた。けど、教室から出ていくことはなかった。変わらず傍にいる。その事実が何よりも嬉しかった。
『ごめんね』
『……赦さねえ』
『うん』
『……赦さねえけど、許してやる』
『……ありがとう』
――もう二度と奏人を傷付けない。そう誓った。その結果が今。愚戯を重ねる日々に繋がっている。
贖罪は言い訳に過ぎない。ただ怖かっただけだ。あの頃みたく、奏人に拒絶されてしまうことが。
「…………」
お馬さんから手を離して勉強机へ。デスクワゴンの引き出しを開ける。写真立てが伏せられた状態で入っていた。中には写真の他にカードが1枚。書かれているのは電話番号。フェンシングの絶対王者・滋田 寛 さんの連絡先だ。
「明日……なんだな。もう――っ!」
不意にドアが開いた。奏人だ。さっきと変わらずオリーブ色のTシャツに、黒の短パン姿。見たところご機嫌みたいだ。口の形がネコみたいになってる――。
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