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13.家族の香り

「漫画、どこ?」 「いや……だから、もう――」 「あったあった」  奏人(かなと)はベッドに寝転んで例の漫画を読み始めた。 「ナオ」  威圧的に。反面おねだりするように名前を呼ばれる。感情の糸が絡まり合うのを感じながらベッドに腰掛けた。 「っ! ……わっ……!」  お腹に奏人の腕が回る。直後、僕の身体は後ろに倒れ込んだ。奏人の胸からお腹のあたりに枕するような恰好になる。  右を向くと、満身創痍な主人公・モンディと目が合う。衝立みたいに奏人の表情を隠してる。それがちょっと不安で、寂しくもあった。 「ん……」  顔を更に傾けると心臓の音が聞こえてきた。奏人のものだ。力強くて優しい音。僕はこの音が好きだ。すごくほっとする。 「ん……?」  何かが顔に被さった。紙のにおいがする。本だ。気付いたのと同時にぷしゅっと何かが爆ぜるような音がした。甘酸っぱい香りが漂う。 「それ、桃味だけど」  傘の隙間から伝える。奏人は桃が嫌いだから。  母さんの実家が桃農家なのもあって、僕らは小さい頃から桃に親しんできた。結果、奏人は遠ざけるように。6年間の居候期間を経て、大嫌いになってしまった。 「~~っ、まっず」  理不尽だ。僕は結構好きだった。嫌なら飲まないでほしい――のに、また口を付ける。僕は堪らず起き上がった。 「別の取ってくるから――」 「アニキから連絡きてたぞ」 「……そう」  武澤(たけざわ) 頼人(よりと)。23歳。僕らの4つ上。五輪空手-組手の初代金メダリスト。立派で、それでいて優しい自慢の兄さんだ。  でも奏人は、そんな兄さんのことを嫌ってる。胡散臭いだの、偽善者だの。兄さんの話題を振る度に、否定の言葉が返ってくる。原因はたぶん嫉妬だ。  奏人と兄さんは似た気質を持っている。共感力、実行力もある優しくて芯のある人。にもかかわらず、違ってしまった。奏人は兄さんと会う度に、名前を聞く度に痛感させられる。だからこその否定。自衛なんだろうと思う。  兄さんも理解してくれている。努力もしてくれた。けど、実を結ぶことはなくて、その内に静観せざるを得なくなった。物理的な距離と多忙さも相まって。かれこれ10年になる。兄さんが今、このタイミングで動き出した理由は定かじゃない。でも、気にする必要はない。些細(ささい)なことだ。 「当日ヨロシクとさ」  今週の土曜日から3日間に渡ってフェンシングの大会が開催される。会場は東京・代々木。大手スポンサー企業主催の国内戦で、大半の有力選手が出場する。3週間後の全日本に向けて、弾みと調整をかけるために。 「試合観にくる暇あンなら、谷原(たにはら)にネタの1つでも握らせろってんだよ」 「そんな言い方……。忙しい合間を縫って観に来てくれるんだからさ」 「応えんのはお前だぞ」  周期に従うなら、当日僕は奏人になる。入れ替わった状態で家族に会う。これは全力で避けるようにしていた。大会当日も何かしらな理由を付けて対面を避けていたほどだ。一緒に観戦するなんて、これまでの僕らからすればあり得ないことで。 「十中八九、谷原も来る」 「……そうだね」 「キツいんだろ? 俺で谷原の相手すんの」 「それは……」 「ほらな。無理だろ。どー考えても」  背中が温かい。2本の脚が僕の両脚を挟んだ。 「変な気ィ遣うんじゃねーよ」  肩に顎が乗る。 「どーだっていいだろ、あんな奴」 「…………」  頭に浮かぶのは、寂し気に笑う兄さんの顔。僕がもっと上手く立ち回れていたら。そうやって悶々とするだけで、これまで何もしてこなかった。 「兄さんも大切な家族だよ」 「…………」 「少しずつでいいからさ、仲良くしていこうよ」 「……はっ」 「わっ!?」  唐突に背中を押された。折れ曲がって下向いた時には、奏人は正面に立って伸びをしていた。手には散々不味いと(けな)したジュースが。まだ、半分以上残ってる。 「捨てるの?」 「飲むよ。お前はさっさと寝ろ」  察した。奏人は着手するつもりなんだ。FSの要とも言える作業に。 「何か手伝えることない?」  奏人は困ったように笑う。ないんだろう。きっと。僕が手伝えることなんて。それでも何かあるんじゃないかと、往生際悪く頭を回転させる。 「かっこいいとこ見せてくれよ。明日、練習場でな」  奏人は明日、古巣の甲府FSを訪れる。名目上は僕へのアドバイスのために。実際の目的は【更新】だ。僕の攻撃・防御パターン、ステップや剣、その他の仕草をデータとして集積。自分の身体に落とし込むことで僕になる。類まれな分析能力と、剣才の賜物。才能の無駄遣いだ。 「漫画はまた今度」 「……うん」 「おやすみ」 「……おやすみ」  扉が閉まる。それを確かめてから立ち上がって、勉強机に向かう。マットを捲ると1枚の紙が出てきた。昼間手にしていたものと同じ紙製のターゲット。真ん中の点が寸分の狂いもなく打ち抜いている。そんな的の右下、空白のスペースには筆記体でこう書かれていた。『GOOD LUCK♡ Ryo Rumochi』と。  僕は無言のまま頭を下げた。失敗は決して赦されない――。

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