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21.供物(★)

 どれぐらいの時間が経っただろう。ぼんやりしている内に扉が開いた。 「ンなとこで寝んなよ。風邪引くぞ」  苦笑い。でも、棘はない。普段の奏人(かなと)だ。あれは夢だったのか。僕が困惑している間に、足音が遠ざかっていく。  向かう先は廊下。手には着替えを持っている。お風呂だろう。脱衣所の扉が閉まる音が聞こえた。僕は両手を付いて起き上がる。 「バッキバキ……」  それにベタベタだ。いつもならシャワーを浴びて帰る。けど、昨日はパウダースプレーで済ませてしまっていた。奏人と話す用があったから。これでベットに入るのは流石に気が引ける。 「……うっ! ……ててっ……」  覚束ない足取りで部屋に入り、少し歩いたところで腰をおろした。背中はひんやりとしている。ウォールミラーだ。目の前には深緑色のトレーニングマット。その向かいにもウォールミラーが3枚取り付けられている。 「……ひどいな」  髪はボサボサ。目元には(くま)ができていた。 「…………」  振り返って手近な鏡に目を向ける。首の真ん中ぐらいのところに赤黒い(あざ)のようなものが付いていた。キスマークだ。フラッシュバックする。鈍く焼けるような痛み、肌を吸う音、奏人の涙。そして、暗くて底の見えない瞳。 「……っ」  奏人は知らない。僕の身体のことを。事実を知った時、奏人は変わらず求めてくれるのか。 「っ!」  扉が開いた。奏人だ。黒いTシャツに、明るい青の短パンを合わせている。 「奏人……」  目の前を通り過ぎていく。石鹸の香りがした。 「……早いね」 「ああ。もう時間がねぇからな」  奏人は言いながら僕のクローゼットを開けた。予定通り出場するつもりなんだろう。案の定、奏人はジャージを取り出した。上下黒。背中と胸には白字で『KOUFU FS』と書かれている。 「……っ」  僕は立ち上がり、奏人の背に手を付いた。黒いTシャツをゆるく握る。 「僕……もう分かったから……」 「……………」 「同じ気持ちだから、……だから――」  奏人が振り向く。試すような目だ。澄んでるけど、とても鋭くて。 「……っ」  僕は目を(つぶ)って奏人に顔を寄せた。唇が重なり合う。食んで、吸って、また食んで。 「………」  奏人は応えない。されるがままだ。試してるんだろう。きっと。 「……はぁ……ハァ……っ」  唇を離して、うっすらと目を開けた。触れるほど近くにある奏人の唇はしっとりと濡れていた。 「……好きだよ。奏人」  もう一度顔を寄せる。 「っ! んンっ……!」  唇と唇とがぶつかり合う。奏人は貪るように、噛み付くようにしてキスをしてくる。僕もそれに(なら)った。涎が顎を伝って落ちていく。 「口、開けろ」 「……?」  言われるまま口を開く。 「っ!」  奏人の親指が僕の口端を引っ張った。 「ぁ……ぅ……んぁ……ハァ…かな、ぁ……んぅ……っ」  舌が入ってきた。舌と舌とが絡まり合う。熱くて、冷たくて、苦しい。奏人に押される形でずるずると後退していく。僕の背後にはベッドがある。 「……っ、……なお……ハァ……」  注がれる吐息、唾液はどこまでも甘い。僕のは――どうなんだろう。 「っ!」  脹脛(ふくらはぎ)がベッドを捉えた。同時に押し倒される。深緑色の羽毛布団が僕の身体を包み込んだ。 「かっ、かなと……」  ダメだ。知られてしまう。その前にちゃんと僕の口から話さないと。 「ぼっ、僕……その……っ!」  ズボンがずり落ちた。下着も一緒だ。僕の不完全なそれが奏人の目に触れる。 「こんなとこまで一緒なんだな」 「えっ……? ひっ……! なっ、何……?」  ぬるりとした液体がそれにかかる。奏人の口から滴っている。唾液だ。 「嫌か?」  首を左右に振る。そんな僕を見て奏人は妖艶な笑みを浮かべた。をまざまざと痛感する。 「んっ……ァ……っ」  上下に扱いて先っぽに爪を立てた。割れ目を押し開くように円を描いていく。 「んっんっんっ……んぁ……っ」  背中に甘い(しび)れが走った。自分でするよりもずっと気持ちいい。でも、それでも遠くて。 「かわいいじゃん」 「~~っ、んっ、ぼく、はい……からっ……」 「見せろよ。お前がイってるとこ」 「~~っ、僕……その……おかしいんだ……っ」 「……は?」  奏人の手が止まった。幻滅の兆し。喉が引き攣る。でも、きちんと伝えないと。 「出る時もあるんだ。でも……っ、すごく遅くて……。正直言うと、出ない時もある」 「……………」 「……っ、ごめん。……ごめんね……」 「は? ナメんなよ」  奏人は挑発的に笑う。想定外な反応に言葉を失う。 「5年や10年じゃねぇんだよ」  自信とほんの少しの照れ。ひたすらに申し訳なかった。向けてくれる感情に、僕はどこまでも釣り合わない。 「俺が治してやるよ」  治るのかな。漏れかけた疑問を呑み込んだ。 「……時間切れだな」  奏人は僕から離れるとTシャツを脱ぎ出した。隆起した胸筋、6つに割れた腹筋、そして太く輪郭が明瞭な腕。空手、フェンシング、射撃のために磨いてきた身体だ。改めて思う。綺麗だと。 「あ~あっ、かったりぃ~……」  上裸のまま背を向けて歩いていく。向かう先には黒いスクールウェアが落ちていた。慌てて起き上がった。身体が重い。ベッドに手を付いて口を開く。 「お願い。行かないで」 「へぇ? ははっ、お前もノってきたな。悪くねえよ。その調子だ」  言葉とは裏腹に奏人の手は止まらない。ズボンも長いものに穿き替えて、仕上げとばかりに黒い上着を羽織った。『KOUFU FS』のロゴが、僕よりもずっとふさわしい人の背中に収まる。 「……何で? 僕になる必要なんて、もうないでしょ?」  奏人は押し黙る。奏人も奏人で譲る気はないらしい。 「試合に穴を開けないため? だったら平気だよ。僕が出るから」 「その身体でか?」 「……勝つのは難しいかもしれない。でも――」 「お前さ、俺のこと好きなんだよな?」  平坦な声。威圧的でさえあった。これも愛なのか。 「……好きだよ」 「だったら、俺に逆らうな。俺に従え」 「……っ……」  僕が応えることで、奏人の疑念は晴れる。そう思っていた。間違っているのか。いや、昨日の今日だ。まだまだ時間がかかることなのかもしれない。 「……分かった」 「帰ったら抱くから」  咄嗟(とっさ)に顔を上げた。またあの目だ。暗くて底の見えないあの目。 「ははっ、何だよお前。ふにゃチンのくせしてタチ希望なわけ?」  タチ。たぶん抱く側のことなんだろう。 「そういうわけじゃないよ。ただその……ビックリして……」 「お前がふにゃチンじゃなきゃ、抱かれてやるつもりだったんだけどな」 「へっ……?」  耳を疑う。頭が追い付かない。 「まぁ、治ったら抱かせてやるよ」 「……っ、僕はいいよ」 「『兄ちゃん』って」 「っ!」 「お前のこと、そう呼びながらイってやるから」  皮肉、なんだろう。歯が唇に刺さる。ほんのりミントの香りがした。 「決勝、16時からだからな」 「……うん」 「それまでにひと眠りしとけ。ああ、その前にちゃんと風呂入れよ。いいな?」  奏人は早口にそう言うと部屋から出ていった。手を洗う音を遠くに聞いて間もなく、玄関の扉が閉まった。後には僕だけが残る。 「……っ」  身体が沈んでく。気付けば僕はベッドに寝転がっていた。  入れ替わりを止めることは出来なかった。でも、止めさせる目途は立った。 「そう思って……いいんだよね……?」  息をついて目の上に腕を置く。顎に力が籠る。理由は分からなかった――。

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