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26.這いまわる舌、土の香りに縋って(★)
「へぇ……ここが奏人 君の……」
谷原 さんは言いながら目を細めた。例えるならそう――粗探しでもするかのように。
「ミニシアター、ですか。まったく……いちいち癪 に障 るガキだ」
谷原さんの視線の先、部屋の中ほどにはプロジェクターが、その向かい側にはガラスボードが取り付けられている。
「あれは分析に使うんです。ガラス板はホワイトボードの役割も担っていて――」
「熱心なことで」
鼻で嗤われる。心底後悔した。分かり切っていたことなのに、どうして説明なんか――。
「そんなことより」
「っ!」
引き寄せられた。僕の顎 が谷原さんの肩に乗る。
「やっ……ンッ……!」
耳を食まれた。熱く湿った舌の感触、粘 着いた水音に蝕 まれていく。
「んン! ん……っ!!!」
耳の中に舌が入ってくる。鳥肌が立った。腕から全身へ。漏れかけた悲鳴を右手で押さえ込んだ。視界がまた潤み出す。
「あぁ、そういえば……今日は奏人君なんでしたっけ?」
「へっ……?」
何かが軋む音がした。身体が冷たい。
「っ……、……~~っ」
関心を逸らさないと。でも、一体どうしたら? どの行動、言葉を選んでも誘発させてしまうような気がして。
「そっちの方が盛り上がりますかね?」
嫌だ。それだけは絶対に。何か。何かないか。視線を下向ける。――あった。
「おや?」
臆病風を払い除けて後ろ脚に力を込める。
「……失礼します」
谷原さんのベルトを掴みつつ膝を折った。経験はない。けど、手でやるよりはいくらかマシなはずだ。吸い付いて、舐めればきっと。
「あ~、いいですいいです。それはまた別の機会に」
「……………」
引くべきか。いや、引けば間違いなく求められる。この手で奏人を貶 めるようにと。
「っ! えっ……」
谷原さんの手が僕の手を掴む。緩く触れる程度だ。強制力はない。
「ズボンを脱いでベッドの上へ。それから四つん這いになってください」
僕のままで? 問いかけて止める。下手に刺激しない方がいい。
「……分かりました」
黒いズボンを脱いだ。下着も一緒だ。深緑色の下着にはシミ1つなく、僕のそれもしな垂れたままだ。欠点に救われる日がくるなんて夢にも思わなかった。
「っ! ……っ、……」
尻に谷原さんの手が触れて――揉み拉 いていく。いや摘まんでいるといった方が近いのかもしれない。僕の尻は薄いから。
「ん~……尻はいまいちですね」
「……すみません」
「ナカに期待することとします」
違いがあるのか。浮かびかけた疑問を打ち消す。
「四つん這いになります」
「ええ、ぜひ」
「あっ……その前に……」
「はい?」
ベッドに深緑色のシャツを敷いた。下腹部が触れるあたりだ。厚手だからある程度は吸い取ってくれるだろう。
続いて枕。ズボンを丸めつつポケットからハンカチを取り出す。これは留持 さんから借りたものだ。巻き込むわけにはいかない。さりげなく奏人の枕の下へ。そのまま枕と一緒にベッドの端に置いた。
「律儀ですね~」
「……ダメですか?」
「まぁいいでしょう」
ほっと胸を撫で下ろしつつ、即席のズボン枕を空いたスペースに置いた。
不意に音が立つ。何か軽いものが床に落ちる音。見れば谷原さんは白いYシャツ、黒のパンツ姿になっていた。脱ぎ捨てたコートとジャケットは床の上に。畳むでもなく無造作に置かれている。
「何か?」
白いYシャツからは凹凸が見て取れた。けどそれは筋肉の陰じゃない。スカスカだ。病的なまでに痩せている。
「……いえ」
干渉する必要もないだろう。曖昧 に返しつつ足の諸々を脱いでベットの上へ。そのまま眼下に目を向ける。真っ黒だ。布団カバーも、シーツも、枕も、何もかも全部。
「ッ!? えっ……?」
尻の上を分厚く湿ったものが撫でていく。舌だ。舐めてるんだ。シャワーすら浴びてないのに。
「んっ……~~っ」
ズボンに顔を埋めると土の香りがした。たぶん公園で付いたんだろう。
「あっ……」
留持 さんと話したのはほんの2時間前。にもかかわらず、遥か昔のことのように感じた。
「ふっ……! んっ……」
谷原さんの舌が中心のふくらみを舐め上げた。僕の背中の糸がぴんっと張る。
「ちょっとばかし小便臭いですね」
「あっ! ~~っ、当たり前です……ッ」
「はははっ、まぁ……アナタのなら大歓迎なんですがね」
「は……? あ゛ッ!」
睾丸を噛まれた。条件反射か、腰が勝手に跳ねた。逃げようとしたのか、それとも強請 っているのか、僕にも分からない。
「うっ……」
舌が割れ目に沿って上っていく。ナメクジみたいだ。触れた個所に体液が――唾液が残る。
「奏人君とはどこまで?」
「最後まで」
気付けばそう答えていた。見栄か。そうだな。見栄だ。それも嗤ってしまうぐらい安っぽい。ハジメテはもう済ませている。奏人に捧げたのだと、そう思わせることで少しでも谷原さんを落胆させたかったんだ。くだらないな。本当に。
「最後まで?」
閉じられたそこに指を押し付けてくる。吸い終えたタバコの火を消すように。
「よくもまぁ……」
「本当です」
「お世辞にも男を知っているようには見えませんが?」
「ご無沙汰なんです」
「では、その痕は?」
「大会前だから挿れるのは避けて、その……愛撫だけに、う゛っ!? ……~~っ」
ねっとりとした冷たい何かが尻にかかった。唾液だ。谷原さんの口から滴る透明な体液が僕の尻を濡らしている。
「あっ!? ふぅ……ふぅ……っ」
中に指が入ってきた。第一関節のあたりまで挿れて――引く。その動作が癖になったみたいに何度となく繰り返していく。胃が痙攣する。顔をズボンに押し当てて土の香りに浸る。
「それが事実であれば……ねぇ……」
「本当のこと、ですよ」
「アンタが素直に股ァ開いてりゃ、ああはならなかった」
「っ!」
「違いますか? 尚人 君」
シーツを握り締める。反論の余地はない。まさにその通りだ。僕のせいだ。全部僕の。
「ぐっ!? ……っ、……ハァ……ん゛っ……」
中の指が太くなった。増やしたんだろう。お腹の中で指が暴れ回っているのが分かる。足をバタつかせて肉の壁を引っ掻いて。
でも、こんなの序の口だ。これからペニスを挿れるんだ。太さも、長さも、獰猛さも、指の比じゃない。
ズボンを握り締めて、額を擦り付ける。言葉を必死に呑み込む。決して口にしてはいけない。それを求めていいのは善人だけ。僕は罪人。履き違えるな。
「うっ、ぐ……っ!」
胃液が駆け上がってくる。食道が、胃がヒリヒリする。
「さて……そろそろいただくとしますか」
「っ………」
穴から谷原さんの指が抜けた。後悔がどっと溢れては消えていく。
これから行われるのは愛の営みなんかじゃない。愛を踏み躙 る行為。思えば僕にぴったりの罰だな。嗤いつつ、ズボンの枕から顔を上げる。傾けて見た先には、黒くて丸い置き時計があった――。
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