28 / 37

28.決別、闇に染まる覚悟(★)

「なっ……~~っ、てめェ!!!」  怒号が飛ぶ。奏人(かなと)のものだ。心が潰れる。助けて。救いを求めるように一筋の願いに(すが)った。  叶うならこのまま消えてしまいたい。僕の存在、そのすべてが消え去れば今のこの状況だって――。 「わっ……!」  腕を引かれた。奏人との距離が縮まる。気付けば目の前に。硬く誇らしい胸に僕の鼻先が触れる。 「っ! だっ、ダメ!」  咄嗟(とっさ)に奏人の胸を押した。 「なっ……」 「っ! ちっ、ちが! ぼっ、僕、汚いから……っ」  手の中には汚れたティッシュ。鼻をすするだけで酸っぱい臭いがする。それに何より――。 「……っ」  尻に力を込める。注意を払いながら穴にティッシュを宛がった。紙が一層湿っていく。 「バーカ」 「んっ……!」  強引に頭を撫でられる。いつものように。乱雑に。 「だっ、ダメ! 汚っ――」 「汚くなんかねぇよ」  奏人は微笑んだ。例えるならそう――すべてを包み込むように。 「……っ……っ、……」  温かい。  涙が溢れ出す。止まらない。 「そうですよ。汚いなんてとんでもない。……最っ高にそそりますよね? 奏人君」 「アンタな……」  一変して凄まじい怒気を帯びる。怖い。矛先は谷原(たにはら)さんに向いている。理解していても息を呑まずにはいられなかった。 「……タダで済むと思ってんの?」 「ええ。何せ私はアナタ方のを握ってるんでね」 「はっ、ろくな証拠もねえくせに」 「さて、それはどうでしょう?」  谷原さんの顔が悪意で(にじ)む。マズい。あれを流す気だ。 「まっ、待ってくださ――」 『君達の秘密を知る人間は全部で3人。……武澤(たけざわ) 頼人(よりと)さん、滋田(しげた) (ひろ)さん、そして僕、留持(るもち) (りょう)だ』 「……は?」  奏人の声が引き()る。驚き、恐怖、怒り。感情が目まぐるしく変化して――。 「留持……ヤローがバラしたのか……」  そのすべてが留持さんに向く。 「違う! 違うんだ。僕が迂闊(うかつ)だったから――」 「お門違いも甚だしい」 「あ?」 「悪いのは留持さんではない。アナタでしょう、武澤 奏人君」 「……………………」  奏人の瞳が暗く、沈んでいく。響いたんだ。みんなの声が、行動が。 「っ! 奏人――っ!」  不意に瞳が鋭くなった。どうして? 「あっ……」  察した。  ――力づくで止めるつもりなんだ。  5年前の光景がフラッシュバックする。恐怖で染まったみんなの顔。先生を始めとした協会関係者に何度となく頭を下げる父さん、母さんの姿。四方八方から向けられる軽蔑と危懼(きく)の眼差し。  断言出来る。奏人には無理だ。とてもじゃないけど耐えられない。壊れてしまう。心も、身体も、何もかも全部。 「~~っダメだ! 奏人!!」 「そうですよ。暴力に訴えるなど、周囲にどれほどの迷惑がかかることか」 「大丈夫だ。俺が上手く――」 「分からない人ですね」 「あ?」 「尚人(なおと)君はね、これ以上アナタに罪を重ねてほしくないのですよ」 「……っ」  奏人の表情が歪む。痛みを感じてくれているんだ。 「……良かった」 「あ?」  奏人の声が怒りと困惑で揺れる。当然の反応だ。我ながら軽率だったと思う。でも、たとえ冷静であったとしても結果は変わらなかった。そのぐらい嬉しかったんだ。 「……ごめん」 「何笑ってんだよ」  奏人を在るべき場所へ、みんなのところに帰す。そのためなら僕は――。 「ここは僕に任せて」 「は?」 「大丈夫だから」 「寝言は寝て言え」 「そうですよ。これで(ようや)く役者が揃ったというのに」 「はっ……?」  血の気が引く。まただ。頭が無意味に回転する。気持ち悪い。 「……奏人には手を出さないって、そう言ってくれたじゃないですか」  声が震える。ダメだ。もっと強く出ないと。 「共に償わずしてどうします。お2人でなさったことでしょう」  首を左右に振る。その度に絶望が深まっていく。だけど、ここで引くわけにはいかない。引けば奏人にまで危害が及ぶことになる。 「おっ、お願いです! 奏人だけは――」 「では、手始めに奏人君をイかせてください」 「~~っ、何を言って――」 「分かっただろ。口じゃどうにもなんねーんだよ」 「っ!」  肩を押された。身体が離れてく。それと同時に奏人が大きく踏み出した。ダメだ。止めないと。浮いた足で床を叩く。 「っ!? おいっ!!」  奏人の背中に半ば倒れ込むようにして顔を埋めた。透かさず両手で自由を奪う。 「離せ!!!!」  奏人は僕ごと身体を揺さぶって逃れようとする。でも、絶対に離さない。離したら終わりだ。 「いい加減にしろ!! ~~っ、何考えてんだ!!!!」 「くっくっく……滑稽(こっけい)ですね」 「あ?」 「殴りたいなら殴ってどうぞ。私は一向に構いませんよ」  安い代償なんだろう。痛みと引き換えに得られるスクープ、それに付随する快楽を思えば。 「……っ」  苦渋の選択。どっちも正しくない。誤りだ。間違いなく奏人を傷付ける。けど、もうやるしかない。奏人を在るべき場所に帰すんだ。 「くそっ……ぐっ!? おいっ!」  奏人を羽交い絞めにしたまま、谷原さんの横に倒れ込んだ。全体重をかけて身動きを封じる。 「バカ!! いい加減に――ッ!? ……ふっ、ン……っ!」 「ハァ……っ……」  奏人の耳を食む。コリコリしてる。耳殻に沿って舌を這わせると、切なげな声が返ってきた。 「~~っ、バカ! 何考えて――~~っ、ぁッ!」  穴に舌を捻じ込んだ。途端に抵抗が緩む。耳にキスをすると呼応するように背中が跳ねた。 「あっ! ……や、めっ……っ」 「ふふっ、ははははっ! やはりアナタはイイ」 「~~っ、ナオ! 止めろ! こんな、……っ、~~っ、こんなの……っ」 「っ」  奏人の声が潤み出した。途端に身体が固まる。 「おや? どうしました?」 「~~っ、嫌だ!! なおっ……!!」  動かなきゃ。早く、早く。 「……っ、な、お……っ」  黒目がちな瞳から涙が零れ落ちた。あの日の光景がフラッシュバックする。 「あっ……」  それと同時に、幼い日の僕が現れた。 『カナトはまちがってない! おかしいのはオマエだッ!』  奏人を守りたい。ただその一心で食ってかかる。策も何もあったものじゃない。力任せ。勢いで押し切ろうとしている。 『カナトにあやまれッ!』  そのくせ自信に満ち溢れてる。でもこれは、。モノマネだ。テレビで観たヒーローの模倣。守るためには光の側に立たないといけない。いや、立っていたい。そんな身勝手な願望を抱いていたんだ。――バカだな。本当に。 「…………」  心の荒波がすっと鎮まる。頭が冷えた。すごく落ち着いている。思えばこれは切り替わる時の感覚に近い。僕から奏人へ。奏人から僕へ。 『えっ? ……っ、えっ……』  小さな僕が目に見えて動揺し出す。 『う゛っ、……あっ……~~~どっ、~~っ、どっかいっちゃえ! この――ッ!!!??』  霧散して――消えた。跡形もなく。僕はただ嗤っただけだ。あっけない。くだらないな。本当に。 「……仰向けにしましょう」 「はい」 「っ!? 触んな!!」  暴れる奏人を2人がかりで仰向けにした。 「さぁ、ご存分に」 「ぐっ!? てめぇっ……!!」  谷原さんは膝を、奏人の肘の上に乗せた。両方とも。()わば(はりつけ)だ。谷原さんのペニスが奏人の顔に触れる――かと思えば、しっかりと下着の中にしまわれていた。そのことが心底意外で、心底ほっとした。 「~~っ、ナオ、やめ……っ」  奏人の頬に涙が伝う。ごめん。ごめんね。内心で謝って顔を寄せる。 「んっ!? ふっ、んんんん……!!!」  薄い頬を包んで唇を奪う。奏人は更に激しく暴れ出した。首を左右に振ってキスから逃れようとする。望んだ形じゃないからだ。 「やっ、ぁッ……んぅん、んんんッ!」  角度を変えて唇を重ねていく。温かくて、やわらかくて、それでいて(ほの)甘い。苦くも辛くもない。僕はどうなんだろう。やっぱり苦くて辛いのかな。胸に針が刺さる。気のせいだ。意識を隅に追いやって、奏人の唇を吸う。 「がはっ! ごほっ、がはッ!!」  奏人が激しく(むせ)る。苦し気だ。開放して、自分の唇を手の甲で拭った。視線が奏人から外れて、黒い羽毛布団に移る。中途半端だな。心底自分が嫌になる。 「おやおや」 「ッ!? はっ!? おいっ!!」  奏人のズボンがずり落ちた。やったのは無論、谷原さんだ。奏人の少し小ぶりで血色のいいペニスが、谷原さんと僕の目に触れる。 「えっ……?」 「耳舐めと、キスだけで?」 「~~っ」  中心は反り返っていた。奏人は罰が悪そうに目を伏せる。頬は赤く、悔しさからか身が震え出す。 「………………」 「っ!? さわ、んな……っ!!!」  谷原さんの血色の悪い手が奏人のペニスを掴んだ。鷲掴み。酷く乱暴な手つきだ。 「本当に好きなんですね。のことが」 「っ!!!! アニキじゃねえ!!! ナオはナオだ!!!!」  同じだ。あの日と。 「……っ」  首を振ってを掻き消す。 「尚人君、哀れだとは思いませんか?」  奏人の表情が強張った。身を守ろうとしているんだ。緊張の糸を張り巡らせて。それでも糸は糸。一見鋭利でも(もろ)く、(はかな)い。 「いえ」  僕は否定の声をあげた。谷原さんの視線が僕に刺さる。 「ほう? では、何とお考えで?」 「尊い気持ちです」  率直な思いだ。嘘は一片もない。あるのは身勝手な罪悪感だけだ。 「尊い……ですか。そんな高尚なものではないと思うのですがね」  谷原さんが真に理解する日はきっと来ない。そう思うと何だか哀れで。 「挿れましょうか」 「なっ!? 止めろ!!! この変態ッ!!!!!!!!!」 「なんともまぁ……礼の1つも言えないのですか」 「黙れ!!! このクズ野郎が!!!!」  口を閉ざすべきだ。返せば返すほど大切にしてきた思いを踏みにじられることになる。   けど、言ったところで逆効果。火に油を注いでしまう。だから、一刻も早くこの蛮行を終わらせる。――終わらせるんだ。 「っ! ナオ!! 止めろ!!! ~~っ、ナオ!!!」  奏人の膝を跨いで、穴に指を入れる。あっさり挿った。抱かれることを覚えてしまったんだ。僕はもう文字通りの玩具だ。欠陥品ではあるけれど。 「あっ……」  中に挿れた指が濡れていく。谷原さんの精液と唾液で。 「どうしました? もう十分に(ほぐ)れているでしょう?」 「まっ、待ってください。一度全部出してから――」 「……はっ?」  奏人の瞳が一層黒く、深いものになる。底なしに。恐怖すら抱くほどに――。

ともだちにシェアしよう!