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第16話 いつでも会いに来て ♢壱成♢
『あー……ごめん、壱成明日も仕事だよな? ちょっとだけでいいから、顔が見たくてさ』
カーテンを開けて外を見ると、駐車場の来客用スペースにノブの車が停まっていた。
すぐそこにノブがいる。心臓が早鐘を打つ。
『こんな時間にごめん。すぐに帰るからちょっとだけ――――』
「明日は休みだから大丈夫だ」
『え、マジで? よかったっ。じゃあ、いまから行ってもいい?』
「ああ、待ってる」
『ん、すぐ行く』
エントランスを解除してから、俺は慌ててパジャマから服に着替えた。
着替え終わったタイミングでインターホンが鳴る。
走って玄関まで行きドアを開くと、そこにノブがいた。
黒い髪に黒い目、メガネのノブだ。京じゃない、ちゃんとノブだ。
俺を見てふわっと優しく微笑むノブに、すぐにでも抱きしめてほしくて胸が高鳴った。
「こんな時間にごめんな、壱成」
「時間なんて気にしなくていい。いつでも大丈夫だ」
どんなに遅くてもいいから、いつでも会いに来てくれ……。
素直にそう伝えたい。でもセフレが言うセリフではないなと我慢した。
中に入って鍵を閉め靴を脱ぐノブを眺めながら、抱きつきたい気持ちを必死で抑える。
スーツ姿のノブを見て、こんな時間まで仕事だったのかと心配になった。疲れているだろうに、それでも会いに来てくれたことが嬉しくて胸がジンとした。
ノブをリビングに通し、俺はキッチンに向かう。
「ソファに座っててくれ。いまなにか飲み物を――――」
「壱成、抱きしめてもいいかな……」
「…………っ」
「もうずっと、毎日壱成を抱きしめたくて、死にそうだった」
ゆっくりと俺に近づき、そっと手にふれてくる。
「……ノブは、大げさだな」
俺はそっとノブの肩にもたれかかった。すると、ノブの優しい腕が俺を温かく包み込む。
俺も、毎日ノブに抱きしめてほしくて死にそうだったよ。
ノブの背中にゆっくりと手を回しぎゅっと抱きしめると、俺を包むノブの腕にも力が込められた。
胸が張り裂けそうだった。心臓が破裂するほどの勢いで高鳴りをあげた。
「壱成……」
耳元に、喉から絞り出されたようなノブの声。そのあと、消え入りそうな「好き」という言葉がかすかに耳の届く。
その瞬間、俺の身体は震えて涙がにじんだ。
うそだろ……こんなことで泣くのか、俺は……。
こんなに弱い人間だったのかと、自分で自分が信じられなくてうろたえた。
でも、この『好き』は俺のものじゃない。俺じゃない誰かに向けた『好き』だ。勘違いするな。
そう自分に繰り返し心で叫びながら、涙を必死で抑え込んだ。
「ありがとう……壱成」
ゆっくりと身体を離し、ノブが泣きそうな表情を見せる。
どうしてそんな顔をするんだ。やっぱり身代わりの俺じゃ、ノブを癒すことはできないのだろうか。
「あ……ノブ、なにか飲むだろ?」
「今日はこれで帰るよ」
「え……っ」
「明日早いんだ。ほんと、ただ顔が見たかっただけだから。ごめんな」
「そう……なのか。そうだよな、仕事だよな」
休みがほぼ一緒の京と勘違いをした。俺は都合のいいようにノブと京を混同させてしまうようだ。
靴を履き終わったノブが、なかなか腰をあげようとしない。
「ノブ、どうした?」
「あのさ、壱成。明日の午後って予定ある?」
ノブは後ろを振り返らずにそう聞いてきた。
「午後……特に、なにもない。休みはいつも家のことくらいしか予定はないよ」
「そうなんだ。あ、俺さ。明日の仕事は午前中の案件だけなんだよね。終わったらまたデートしない?」
ノブが『デート』という言葉を口にした瞬間、明日もノブに会える、と嬉しさで胸が高鳴った。
もう帰ってしまうのかという落胆のあとの喜びで、舞い上がりすぎた俺はすぐには言葉が出なかった。
「……あ、無理、だった?」
「ち、違う。なにも予定はないから大丈夫だ」
「ほんと?」
やっと振り返ったノブが「やったっ」と、嬉しそうに顔をほころばせる。それを見て、また俺の涙腺が刺激された。
「じゃあ明日、午後に車で迎えにくるよ。何時がいい?」
「終わったら……終わったらすぐ来るのはだめなのか?」
「…………じゃあ、すぐ来る」
「ああ……待ってる」
案件とやらが、はやく終わればいい。少しでもはやくノブに会いたい。
「あ、今度からはさ。壱成の仕事が休みで会える日があったら連絡ちょうだい? 俺、わりと融通きくから、休み合わせるからさっ」
ノブの言葉は、まるで恋人みたいだと思った。
セフレのままでとお願いしたのに、まったくセフレらしくない。
「……わか……った」
「ん、絶対なっ」
それでもノブに会いたい気持ちは抑えられなくて、俺は気づかないフリをする。
自分の中でセフレだと思っていればいい。ちゃんとブレーキをかけて……これ以上好きにならないように……。
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