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第17話 無理しないで
「なあ。榊さん、最近やっと調子戻ったな?」
「いやマジでほんとやばかったよな? 一ヶ月? いやもう二ヶ月か? ずっと心ここに在らずって感じでさっ」
「彼女できたかな?」
「それっ。思ってたーっ。やっぱあれだろっ。恋わずらいっ」
「うおー! やっぱそっか! オフ前は絶対ソワソワしてるしなっ」
楽屋でみんなが壱成の話で盛り上がっていた。
ノブとして壱成と会うようになって二ヶ月近く。みんなの言うとおり、壱成はやっと“京”を見ても平常心を保てるようになったようだ。
俺は、意識してくれているのが嬉しくて、わざと無意味にそばに寄った。
バレるかもという心配は、“ノブ”のほうでは多少あったが、それも最初だけだった。バレたって白を切り通す覚悟だ。
最近は、反応が無くなってちょっと寂しい。
明日はお互い休みで、また会う約束をしている。
本当は仕事が終わったらすぐ会いたいが、泊まることができない俺は仕事を理由に前日に行くのを避けていた。
でも会いたくて待ちきれなくて、いつも朝早くに壱成の家に行った。それでも、どんなに俺が早く行っても、壱成は嫌な顔ひとつせずいつも笑顔で迎えてくれる。
壱成にはセフレのままでと言われたが、俺は会うたびに恋人だと思って接している。ときどき照れたように頬を染める壱成に、俺はやっぱり期待してしまうんだ。免疫がないから赤面する、それだけじゃないと思いたいんだ。
一日デートをして、夜は壱成を抱く。
俺はセフレとしてではなく恋人として会いたい。だから毎回のように抱くのはやめようと最初は思っていた。
でも、俺がなにもせず帰ろうとすると、壱成は必ず諦めたような顔をした。
反対に、俺が壱成を求めると、安心したように素直に甘えてくれる。
抱いてほしいというだけじゃなく、まるでどこかセフレでいないとダメだと思っているかのような壱成が気にはなるが、俺が抱くことで安心できるなら、いつでもそうしてあげたかった。
だからいまは、会えば必ず壱成を抱いている。
「榊さん、ほんとに恋人できたのかな」
みんなが『彼女』という中、一人『恋人』と言い換えたのは秋人だった。やっぱり秋人は壱成のことを知ってるんだと確信した。
秋人は一人嬉しそうに頬をゆるませて「よかった」とつぶやいた。なにかを知っているから出てくる言葉だと思った。
「秋人」
気になって思わず声をかけ、みんなの前だったとハッとした。
「ん?」
「…………あ、いや、……やっぱなんでもねぇわ」
「なんだよ、どした?」
「なんでもねぇってば」
と俺は笑った。
最近、秋人に対する劣等感が消えたと感じる。いまなら、俺が本当はゲイだということを、秋人にも素直に打ち明けられる気がしていた。
きっと壱成への気持ちを自覚して、本当の恋を知ることができたからだ。
俺も秋人と同じように、本気の恋ができた。
今度、秋人と腹を割って話してみたい、そう思った。
「そろそろ時間だ。移動するぞ」
壱成が楽屋にやってきて号令をかけた。
「うぃっス」
「はーい」
みんなが返事をしながら腰を上げる中、壱成は秋人に近づいた。
「秋人、社長が呼んでる。ここが終わったら行くぞ」
「え、怖。なんだろ」
「お前がドラマのオファーを蹴りまくってるから、直々に話がしたいそうだ」
「ええっ? ドラマは自由でいいって言ってたのに、なんでいまさら?」
「さすがに蹴りまくりだ。そのうち仕事が無いのかとネットでささやかれるぞ」
秋人がBLドラマの主演のあとからドラマを避けているのは知っていた。
秋人にくる役のほとんどが恋愛ドラマだ。いまはもう結婚もしていて避けたい気持ちもわかるが、自由とはいえ仕事なんだからさ、と内心思っていた。いままでは。
でもいまならわかる。俺もいま恋愛ドラマの話が来たら躊躇するだろうと思う。
自分の本業は役者じゃない、アーティストだという気持ちが強いから、避けたくなる。
壱成以外とは、もうキスなんてしたくない。きっと秋人も同じ気持ちなんだろうと、いまなら理解できた。
みんなで収録のスタジオまで移動しながら、俺は壱成と秋人の会話に耳をそばだてた。
「俺、行きませんよ。ドラマに出るつもりないし」
「お前の気持ちはわかるけどな……そのうち干されたって言われるぞ」
「別にそんなのいいけど。……でもPROUDにとってはダメですよね……」
「時代劇とか、医療ドラマの役も来てるみたいだぞ?」
「えっ俺に? マジかっ。それすげぇやってみたいっ。行きますっ」
「ま、行かないって言っても引っ張ってくけどな」
二人の会話を聞いていて、無性に嫉妬にかられた。
よく見れば、壱成は秋人にだけは心を許している感じがする。お互いに秘密を共有していれば、それはそうだろう。
秋人はいつから壱成のことを知っていたんだろうか。
秋人だから話せたんだと頭では理解できても、胸がざわついて仕方がなかった。
ただ、秋人は明らかにネコだ。間違いない。だから秋人はライバルではない、そう思うだけでも気持ちが落ち着いた。
秋人はきっと、誰も壱成がゲイであることを知らないと思っているはずだ。もし俺が壱成を好きだと打ち明けたらどんな反応をするだろうか。
それはちょっとイタズラがすぎるな、と俺は心の中で一人ほくそ笑んだ。
次の日、壱成の家に向かう準備をしているとスマホが鳴った。壱成専用のほうだ。
「もしもし? 壱成?」
『……ノブ。……今日は、やっぱり会えない。すまん』
声を聞いて、すぐに様子がおかしいとわかった。
「どうしたの壱成。なんかあった? 大丈夫?」
『……ちょっと、熱が出て……』
「えっ、熱? 待って、すぐ行く。一人じゃご飯とか大変だろ。病院は?」
昨日は元気そうだった。でも仕事中の壱成は体調が悪くても隠すだろうから当てにならない。いつから調子が悪かったんだろう。
『だめだ……来るな。うつるだろ……。夜間診療に行ったから薬はある……大丈夫だ』
「わかった。マスクするから。ならいいだろ?」
『…………本当に、いいから』
「よくねぇよ。なんかいろいろ買ってく。待ってて」
返事を聞かずに電話を切り、急いで壱成の家に向かった。
夜間診療ってことは、やっぱり仕事中も具合が悪かったんだ。全然気が付かなかった。俺なにやってんだ。
コンビニに寄ってパウチのお粥やゼリー、スポーツドリンク、他にもいろいろカゴに放り込んでレジに向かう。
俺は壊滅的に料理ができない。壱成に食べさせたら余計に悪化するだろうな。そう思いながらも、お粥くらい作ってあげたかったと悔しくなった。
マンションのエントランスでインターフォン越しに押し問答をして、しぶしぶ開けてくれたドアから押し入った。
壱成はしっかりとマスクをつけて俺を出迎えた。それを見て、追い出されたくない俺は慌ててマスクをつける。
「大丈夫? 熱どんくらいあんの?」
「…………三十九度……」
「えっ、そんなに?! マジか。ごめん、つらいだろ? 早く寝て」
壱成の背中を押してベッドに寝かせ、買ってきた冷却ジェルシートを額に貼った。
コンビニには氷枕は売っていなかった。壱成にも聞いたが持っていないという。後で買いに行くか……。
「昨日言ってくれればすぐに来たのに。今度からは遠慮すんなよ?」
「……すまん。下がると思ったんだ……」
夜間診療に行くほど具合が悪いのに、今日下がると思ったのかとあきれた。
そんな俺を見て、反論するように壱成が言った。
「検査してもらっただけだ。ただの風邪だった」
拗ねたようにぷいっとそっぽを向く。
可愛い。壱成は俺との約束を優先したんだ。もし熱が下がっていたら、普通の顔をして会っていたんだろうと思うと可愛くて仕方ない。
「壱成、朝は食べた?」
「食べた」
「ほんとに?」
「本当だ。薬を飲む前にパンをかじった」
「ん、えらい。じゃあもう寝て。お昼にまた起こすよ」
「……えらいって……俺は、子供じゃないぞ」
そう言い返す壱成の目が、ウトウトし始める。
「おやすみ、壱成」
優しく頭を撫でると、あっという間にすうっと眠りに落ちていった。
相当だるいんだろう。これだけ高熱なら当たり前だ。
約束なんか昨日のうちにキャンセルすればいいのに。バカだな……。
『壱成の仕事が休みで会える日があったら連絡ちょうだい?』そう言ったのは俺だ。
でも、壱成は休みを全部教えてくれる。そんな壱成が本当はずっと心配だった。
俺よりも休みの少ない壱成には休息も必要だ。疲れているときは会わずに休んでほしい。そう思いながらも、でも会いたくて、俺は見て見ぬふりをしてきた。
でも、これ以上無理をさせたらダメだよな……。
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