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第20話 頼むからセフレのままで ♢壱成♢
「壱成。もう一度、告白をやり直したい」
両手で優しく包まれた手。まっすぐに俺を見つめるノブの瞳。
まるで時間が止まったかのように静かになった。
「は……なに……」
どうして……なぜだ……。
セフレのままでとお願いしたのに、いまさらどうして……。
「好きだよ、壱成。俺、本当に壱成が、大好きなんだ」
ノブは俺の手にキスを落とし両手でぎゅっとにぎりしめ、まるで祈るように額にあてた。
ノブの告白に心が震えながらも、背筋に冷たいものが走る。
「壱成。ごめんな。ずっと本当の名前を伝えずに、俺……」
「…………っ」
「俺、壱成とずっとセフレのままでいるなんて嫌なんだ。どうしても壱成と、恋人になりたい。でも、偽名のままじゃなれるわけねぇよな……。だから……俺の本当の名前を教えたいんだ」
「…………ま、待て……」
「俺の本当の名前は――――」
「待ってくれっ!」
もういい、ノブ。それ以上言うな……。
「……壱成?」
「ノブの、本当の名前は……もちろん知りたい。でも俺は……セフレのままでいたいんだ」
「壱成、どうして……」
「だから、恋人になるためにと言うなら教えるな。セフレのままでも教えると言うなら、教えてくれ」
「い、っせ……」
ノブは呆然としたように、口を開いたまま硬直して青ざめた。
俺は死ぬほど恐ろしくて血の気が引いていく。
前回の告白は、ウソでも笑顔でいられた。あのときはまだ出会って二日だ。告白を断ってもセフレのままでと言っても、まだ大丈夫だと思えた。
でも、二ヶ月経ったいまは状況が違う。
こんなに優しくされて、愛されて、大切にされて……なにが不満なんだとノブは怒るかもしれない。
それならもういい、もう終わりだ、そう言われるかもしれない。
想像するだけで恐ろしくて背筋が凍る。
俺はもう、ノブを失いたくない……。できるものなら、本当に恋人になりたい。
でも、ノブは俺に連絡先を聞くことを失念するほど、俺と俺じゃない誰かを混同している。
家も知らないのに、迎えに行くよと当たり前に言ってしまうほどの混同ぶりだ。
もし恋人になったら、俺を通して別の誰かを見ているノブを……許せなくなりそうだった。
それくらいに、俺はもうノブを……愛してしまった。
だから、セフレのままでいないとダメなんだ。
それならまだ、ノブを許すことができる。
俺のものじゃないから、ただ俺だけがノブを好きでいられるから。
片想いなんだと思っていられるから。
「頼む。セフレのままでいてくれ。……頼むよ、ノブ」
「嫌だ……好きなんだ、壱成が」
「恋人になったって、たいして変わらないだろ」
「だったら恋人に――――」
「セフレでいてくれ」
「……どうしてだよ、壱成」
「俺には、恋人は必要ないからだ」
「壱成……」
ノブが本当に俺だけを見てくれてるならいいのに……。
そんなことを思うだけでも虚しかった。
翌朝目を覚まし、身体がだいぶ楽だと感じた。
熱を測ると三七度五分。
全快は無理だったか……。
でも、解熱剤なしでここまで下がればもう大丈夫だろう。
昨日ノブは、あのあとも静かに俺の様子を見守り続け、薬を使わずに熱が三十七度台に下がるまでそばにいてくれた。
そして、俺が眠ったフリをしている隙に、俺のマスクを優しく外し、唇にそっとキスを落として帰って行った。
……うつったらどうするんだ。バカ。
いまごろ、熱を出してはいないだろうか。大丈夫だろうか。
俺はベッドから起き上がり、サイドボードの上にあるメモに視線をうつす。ノブが帰るときに置いていった物だ。
メモを手に取り、昨夜何度も読んだ文面をまた読み返す。
『好きだよ、壱成。たとえセフレのままでも、俺はずっと壱成が好きだ。壱成だけが好きだから、それだけは覚えててほしい。じゃあ、また来るよ。明日はゆっくり寝てろな』
壱成だけが好きだから……か。
ノブはウソつきだな。
でも、優しいウソなのかもしれない。それか、本当に俺自身を好きになろうとしてくれているのかもしれない。
それだけで、俺は幸せ者だ。
スマホが鳴って手に取った。
ノブからのメッセージだった。
『熱はどう? 下がった? 大丈夫? 無理しないでちゃんと寝てろな』
昨日の気まずい空気を無かったことにしてくれるノブに胸がジンとした。
優しいノブ。俺はノブが大好きだよ。
『ありがとう。熱は下がったよ。今日はゆっくり休むから、ノブは仕事頑張って』
返事を送って息をつく。ウソをついてごめん。
でも、俺はウソをついてでもノブと会っていたいんだ。次の休みはノブに会える、そう思って毎日頑張れる。
ノブは俺の元気の素なんだ。
ノブのメモを最後にひと撫でしてから大切に引き出しにしまうと、俺は朝の準備を開始した。
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