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第30話 どうしても気になる ♢壱成♢
ゲイバーの扉を開けるのは久しぶりだ。
“ノブ”に出会ってから、来る必要も時間も無くなった。
そう、必要はないんだ。それでも俺は、どうしてもここに来たい理由があった。
ノブだと思っていた頃は、俺じゃない誰かの存在で頭がいっぱいで気にならなかったことが、いまは気になって落ち着かない。俺は毎日頭を悩ませている。
わざとくたびれた風のサラリーマンに変装していたってあの京だ。格好良さが隠しきれてない。絶対にモテるに決まってる。
いままで京はここで、どれだけの人と知り合い関係を持ったのだろうか……。いっぱいいるんだろうな……そんなことを考えては落ち込んでいた。
ノブと親しい人の話が聞きたい。俺の知らない過去のノブの話を……。
それに、京だけが休みの日は、いまでもここに足を運んでいるのかが気になる。
あれだけ俺を溺愛してくれているのだから、お持ち帰りなんてないとは思うが……どうしても気になる。
俺がセフレのままでと言い続ける限り、この不安はきっと消えないだろう。
それにこれは、マネージャーとしての義務もあるんだ。
ちゃんと現状を把握しなければ。あまりに目に余るようならきちんと指導をしなければならないからな。と自分の行動を正当化した。
だから俺はいま、バーの扉を開ける。
「いらっしゃいませ。……あれ? もしかして……」
カウンターの中にいるマスターが、俺を見て瞬時に反応した。
俺はこの店には一度しか足を踏み入れていないのに、すごいなと感心した。
「……どうも」
「また来てくださって嬉しいです。カウンターでいいですか?」
「あ、はい」
勧められた席に腰を下ろし飲み物を注文して、店の中を見渡した。
いまここにノブを知っている人は、どれくらいいるのだろうか……。
「あっ!」
後ろのボックス席で飲んでいた一人が、俺と目が合って声を上げた。
この店には俺の知り合いは誰もいない。前に行っていた店の顔見知りかと思ったが、俺の記憶の中にはその人物は存在していなかった。
小柄で可愛い顔立ちの子だ。一目でネコだとわかる。
前の自分であれば劣等感を刺激されているところだ。でも、いまはなにも感じない。感じていない自分に驚いた。
「ねえ! 前にノブにお持ち帰りされた人だよねっ?!」
すごい勢いで寄ってきて、大きな声で問いかけられた。
すると、周りの人達もざわめき始める。「え、あれがうわさの?」という声が聞こえ、俺は耳を疑った。自分はうわさになっているのか……?
「おい、智。初対面で失礼だぞ」
俺の席に飲み物を用意しながらマスターが止めに入るも、耳を貸さず彼は続けざまに言った。
「ねえ! あれって、ただ別の店で飲み直そうよーとか、どっかでご飯食べようよーとかだったんだよねっ!? まさかホテルじゃないよねっ!?」
俺は困惑し、どう答えていいのかもわからない。
「答えなくていいですよ。智はほっといて大丈夫」
「ちょっとっ!」
智と呼ばれた彼は、マスターの言葉に牙を剥くように食ってかかる。
「お客様に攻撃するな。出禁にするぞ?」
「ひどいっ! だって! もしホテルだったらずるいじゃん!」
「あーもー。おーい、ちょっと智頼むよ」
マスターは、先程彼がいたボックス席の人達に声をかけ、彼は引きずられるように連れていかれた。
「すみませんでした」
「あ……いや……」
いまいち状況がつかめない。彼はすごい怒っていた。ホテルだとずるいってどういう意味だ?
「ノブって、ここでは結構人気者なんですよ」
眉を下げたマスターが、俺に静かに話しかける。
人気者、という言葉に胸がズキズキと痛んだ。そうだよな……やっぱり人気者だよな……。
「はっきり言って引く手あまたなのに、ノブは慎重派でね」
「慎重派?」
「何度も会って気心知れて、その上で本当に好みのタイプじゃないと手は出さない。でも、ノブのタイプにはネコがほとんどいないから、要は手を出す相手は滅多にいないんですよ」
ノブのタイプにはネコがほとんどいない。滅多に手を出さない。マスターの言葉が、俺の不安の元をゆっくりと溶かしてくれる。
「だから、初見でお持ち帰りなんて初めてで驚きました」
「初めて……」
そうか、俺のことは元々知っているから時間をかける必要はないもんな。
そう考えたあとに、いや……違うだろ。と思い直して顔が熱くなった。
俺だから。俺だったから、京はすぐに俺を持ち帰ったんだよな……。
もう、あれだけ溺愛されれば嫌というほどわかる。
俺はちゃんと京に愛されている……。
「それに、ノブの理想はあなたみたいな方だったんだって、すごく納得しました」
「納得とは……どういう……」
「初見でお持ち帰りするくらい、理想どおりだったんでしょう。思い返せば、いままでノブが声をかけた相手は、どこかあなたに似ていた。これを言っては失礼に当たるかもしれませんが……だからなかなかネコに出会えなかったんですよ」
俺に似てる人……。
やっぱり秋人の言うとおり、京は昔からずっと無自覚に俺に執着していたのだろうか。それとも無自覚じゃなくずっと俺を……?
でもそうか。それはネコに出会えないよな。と、変なところでホッとしている自分がおかしくなった。
どこからどう見てもタチの自分がずっと嫌だった。それなのに、いま初めてよかったと思っている。なんて現金なんだ俺は。
そんなことを考えていると、マスターが言いにくそうに口を開いた。
「あの……聞いてもいいでしょうか?」
「はい、なんですか?」
「ノブは……元気にやっていますか?」
「え?」
「いや、あれからパッタリ来なくなってしまって。さすがにちょっと心配していたんですよ」
京……あれからここには来てないんだ。よかった……。
不安がまたひとつ解消されて、俺はひどくホッとした。
「元気ですよ。とっても」
俺の答えを聞いたマスターが、目を見開く。
「本当に……あなたはノブの特別なんですね」
「特別? どういうことです?」
元気かと聞かれたから答えただけだ。
なにが特別なんだ?
「ノブと会っていらっしゃいるんですね?」
「……はい。会っていますが……」
「では、連絡先も知っているんですね?」
「……ええ、まあ」
マスターは心底驚いたという顔をして、しきりにうなずいた。
「では、やはりあなたはノブの特別です。ここにはノブの連絡先を知ってる者は誰もいないんですよ」
「は…………」
「あれから一度も顔を出さないので、私も誰か連絡の取れる人がいないか探しましたが、案の定誰もいませんでした。ノブには、ここに来たときだけの知り合いしかいないんですよ」
体が震えるほど喜びがこみ上げた。
京にとって俺は、本当に特別だったんだ。
京の過去に嫉妬して、探りに来ている自分が許せなくなった。
なにをしてるんだ、俺は……。
「ではノブはいま、あなたとお付き合いをされてるんですね」
「……いいえ。そういうわけではありません」
「……違うんですか?」
「ええ、違いますよ」
「そう……ですか」
付き合ってますよ、と言いたくて口がムズムズした。
ノブは、京は俺のものだと、大声で宣言したい。
本当に俺は……重症だ……。
「あの、遅くなりましたがお名前をうかがってもよろしいでしょうか」
「あ、榊です」
「榊さん。実は来月、この店の10周年記念パーティーがありまして」
「そうなんですね。それはおめでとうございます」
「ありがとうございます。それで、ちょっとした催しを企画しておりまして。シークレットサンタってご存知ですか?」
「ああ、知ってますよ」
参加者の名前を書いたクジを作って引き、その人に自分の名前を明かさずプレゼントを用意する、シークレットサンタ。
ただ、ちょっと時期外れだが……。
「時期外れなんですけどね。それを取り入れて盛り上げたいなと思っておりまして。榊さんも参加なさいませんか? もし当日ご参加できなくてもプレゼント交換だけでも」
「ああ、はい。ではせっかくなので」
ここで断るとお祝いのムードが壊れてしまうなと思い、カードを受け取って名前を書いた。
京と休みが合えば一緒に来ても……いや、これ以上京をここに出入りさせるのは危険か……。
でも、いままでだって大丈夫だったんだ。パーティーくらい、いいよな。
「もしできましたら、ノブにもお伝えいただけませんか?」
「ああ、はい。わかりました」
「では、後日クジを引いていただきたいので、ご来店か、もしくはお電話をください。ノブにも、電話でいいとお伝えください」
マスターからパーティーの日時が記載された紙を渡された。
そうか。これを京に話すということは、俺がここに来たことがバレるんだな……。京はどう思うだろうか。
まさか、京の過去を探りに来たことがバレるなんてないよな……。
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