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第33話 眠るまで抱きしめたい
壱成にバーの10周年記念パーティーの話を聞いて、俺は久しぶりに店にやってきた。
俺の顔を見た瞬間に、マスターがニヤニヤと笑って言った。
「ノブ、振られたろ」
「は、はぁっ?」
開口一番にそれかよっ!
しかもなんだそのニヤニヤはっ!
ムッとして声を上げようとして思いとどまった。
最近壱成の前でしかノブをやっていないから口調がほぼ京だ。リーマンっぽくしなきゃ。俺はいったん初心に返る。
「俺が振られるのがそんな楽しい?」
「あ、本当に振られたんだ」
「え? カマかけたの?」
「はは、すまん。でもそうだろうなぁとは思った」
壱成とどんな話をしたのか気になって仕方ない俺は、たたみかけるように聞いた。
「なんでそう思ったの? 壱成はなに話したの? マスターなんか余計なこと言ってない?」
「いやいやいや。なんも余計なことは言ってないよ。たぶん」
「たぶんってっ」
「いや、ノブの印象が悪くなるようなことは言ってないよ本当に」
「本当かよ……」
まぁ、あの日の壱成に様子のおかしいところはなかったなと、とりあえずは安心する。
「初見のお持ち帰りも驚いたけど、連絡先も教えて店以外で会うってさ。ノブの本気だろ。なのに榊さんは付き合ってないって言うしさ。あ、これは振られたなって」
「ああ……そういう。なるほど」
そうか。俺の本気ってバレるか。バレるよな。
ま、バレたっていいんだけど。
「ところでさ。榊さん、大丈夫だったか? なんか言ってなかった?」
「大丈夫、ってなに?」
マスターが言いにくそうに口を開く。
「実はさ。智が榊さんに絡んだんだよ」
「は? 絡んだって、なんで?」
「なんでって。本命を目の前でかっさらわれたらそりゃ文句も言いたくなるだろ」
「本命?」
なに本命って。本気でわからなくて眉を寄せると、マスターがため息をついた。
「わかっててあしらってたんじゃなかったのか……」
「え……本命って、え、俺?」
「他に誰がいるんだよ」
「え、どこが本命? あんなのただノリで誘ってただけだろ?」
「智は本気だったよ。いつも誰よりも優先にノブのところに来てただろ」
そんなことまったく知らない。智は好みとは真逆だったから、はっきりいってよく見ていなかった。
そうだったのか、と少し申し訳なく思った。
ちゃんとわかっていれば、もっと誠意を込めて断ったのに。
「絡んだって……榊さん大丈夫だった?」
「店の中は止めたから大丈夫だったけどな。榊さんが店を出たあとに智が追いかけて行ったんだよ。だから心配してたんだ。なにか聞いてないか?」
「いや、なにも……」
壱成からは智の話をまったく聞いていない。
わざわざ外にまで追いかけてなにを言ったんだろう。
「今度聞いてみるわ……」
あの日壱成はいつもどおりだった。でも壱成はポーカーフェイスが得意だから、ちゃんと聞かなければわからない。なにか言われて傷ついてなきゃいいけど、と心配になった。
「本当に好きなんだな?」
「え?」
「榊さんのこと」
「ああ……うん。本気だよ。全然いい返事もらえないけどね」
秋人が言うように、このままじゃ本当にいまだけの関係だ。
俺はちゃんと本物にしたい。あとは勇気だけ。勇気だけなんだ……。
「ノブ、これに名前書いて」
マスターに渡されたカードを見て、ああこれかと思った。壱成に聞いていた。シークレットサンタを取り入れてのパーティーだと。
「下の名前だけでいい?」
「ああ。いいよ。最悪俺がわかればいいんだ」
「了解」
カードにノブと書いてマスターに渡す。
すると、小さな封筒を渡された。
「なに?」
「ノブの分。シークレットサンタ」
「え? くじで引くんじゃないの?」
「表向きはな。でも本当は、みんなの仲を取り持つのが目的」
「え、そうなの?」
「そうなの」
封筒の中を見ると、壱成の名前が書かれたカードが入っていた。
「真っ赤な薔薇の花束でも送るか?」
「感動して泣いてくれるかな? ……あれ? でもシークレットサンタでしょ? 名乗ったらダメなんじゃ……」
「そこはご自由に。じゃなきゃ裏で名前渡す意味ないだろ」
「そっか。……ありがと。なんか考えるわ」
「頑張れ。当日までに送り終わっててもいいし、当日でももちろんいいしな」
「わかった」
「榊さんのほうはどうする? ノブの名前渡すか?」
「あ……うん。渡してくれる?」
「了解。そっちはくじで偶然ってことにするよ」
「いたれりつくせりだね。ありがと」
壱成は俺の名前をもらったら嬉しいかな。……嬉しいよな?
でも、それはノブだからであって、京だって名乗ったら……やっぱり終わる未来しか見えない。それに、好きって気持ちも無くなってしまうかもしれない。
最近そんなことばかり考えてる。
だから名乗る勇気が出ない。壱成と終わる勇気なんかなくて、なにも先に進まない。
こんなんじゃダメだ。覚悟決めないとな……。
俺は店を出てスマホを取り出した。
明日は俺だけが休み。今日壱成はリュウジに付いて帰りも遅く、明日は早朝ロケだ。
さすがに呼ばれないか、と残念な気持ちがため息として出た。
せめて壱成が眠るまで抱きしめてあげたい。
でも明日休みだと伝えないとそれは叶わない。
……一回くらい京と被ってもいいかな。一回くらい大丈夫だろ。
俺は壱成に『まだ起きてる?』とメッセージを送った。
今日帰りが遅いとノブは知るはずがないからこれでいい。
するとすぐに電話がかかってきた。
「壱成。まだ起きてた?」
『起きてるよ。ノブは……外か?』
「うん。バーに行ってきたよ。なあ壱成。いまから行ってもいいかな」
『…………いや、悪いが明日は早いんだ。今日は来てもできないから』
「壱成が眠るまで抱きしめていたいんだよ。それだけ。……だめか?」
『…………ノブ、明日仕事は……』
「明日は休みだから。ならいいだろ?」
壱成が電話の向こうで黙り込んだ。沈黙が続く。迷惑だったかな……。
「壱成? だめならいいよ、ごめんな?」
『いや違う。違うんだ……。今日はノブに会えると思ってなかったから……嬉しいよ』
壱成の声から、嬉しい気持ちが伝わってきて胸がぎゅっとなった。
『会いたい……。待ってる』
「うん、すぐ行く」
俺は通話を切るとすぐにタクシーを拾い、乗り込んだ。
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