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第48話 秋人に感謝する
俺たちの話を黙って聞いていた兄貴が、不思議そうな顔で口を開いた。
「逆じゃね? 京は秋人くんにお礼言わなきゃだろ」
「……っえ」
「だって秋人くんがたきつけなきゃ、こいつは今後もずっとウジウジ不毛な関係を続けてただろうしさ」
兄貴の言うことは確かに当たってる。
「そうそう。俺めっちゃ秋人に感謝してるよ」
兄貴の言った理由とはちょっと違うところで、俺は秋人に感謝していた。
「秋人に相談しなくてもさ。俺、いつかはノブは俺だって壱成に打ち明けたと思う。でも……それだときっとだめだった。壱成は、絶対に俺を受け入れなかったよ」
昨日、エレベーターのドアが開いたとき、壱成は“京”の俺を見ても驚かなかった。秋人の言うとおり、壱成はノブが“京”だとわかってた。
しきりに聞きたくないと言い張って逃げたのは、聞いてしまった時点で終わらせるしかないからだ。でも終わらせたくない壱成は俺から逃げた。目が覚めてから冷静に考えて、やっとそう思い至った。
もし事故が起こっていなければ、俺は壱成が逃げる理由もわからず、あのまますべてを話して壱成とは終わってた。
俺が死ぬかもしれないとまで覚悟した、壱成の苦しんだ時間があるから今があるんだ。
昨日、あの時間、あの場所で。なにかがズレていたら事故は起こらなかった。俺は壱成を失っていた。
俺はそれらを秋人に説明する。
「どうして壱成がプロポーズを受けてくれたのか、秋人も本当は気づいてただろ?」
俺たちのことをすべて知っていて、昨日の壱成の様子をずっと見ていた秋人なら絶対に察したはずだ。
秋人は、なにも答えられないという表情で俺を見る。
「壱成につらい思いをさせたし、不謹慎だってわかってるけどさ。俺すげぇ感謝してんだ。事故が起こったこの世界に、いまいられること」
タイミングがズレて事故が起こらないもしもの世界のことは、想像もしたくない。
「それにさ。秋人がそうやって自分を責めてることを壱成が知ったら、壱成はいまよりもっと自分を責めると思うんだ」
秋人がハッとした顔をする。
「秋人はなにも悪くないっ。悪いのは俺だっ。俺のせいで京は……っ! てさ?」
「…………そう……だろうな」
「だからさ。もうこの話は終わりにしようぜ。悔やんだって時間は戻せねぇんだしさ。……てか俺は悔やんでねぇしな?」
そう俺が笑うと、やっと秋人は表情をゆるませた。
「ん……ごめん。ありがとな」
「俺も、ありがとな」
俺たちがお互いスッキリしたところで、兄貴が遠慮がちに口を開いた。
「いやぁ、お前さ……相当ややこしいことやってたんだな……。名乗るってなんだ、ノブってなんだって思ってたけど、そういうことか……」
あきれたような、感心したような、複雑な表情で深い息をつく兄貴に俺は言った。
「もしノブで出会ったときにすぐ名乗ってたら、俺たちなにも始まってねぇよ。ややこしいけど、壱成を手に入れるにはこうするしかなかったんだ」
「はぁ……芸能人ってのは大変だなぁ……」
「そう。大変なの」
そこでちょうどメンバーみんなが戻って来て、また病室は賑やかになった。
「京は元気ですーってマスコミにアピールしてきたぞっ」
と、ドヤ顔のメンバーに俺たちは笑った。
兄貴は昼が終わるとすぐに仕事に戻り、メンバーたちも夕方には一斉に帰って行った。
静かな中で一人夕食を食べる。こんな広い個室じゃなく大部屋がよかった……。賑やかだった反動で余計にそう思う。
十九時までの面会時間ギリギリに、壱成が駆け込んできた。もう残り二分しかない。
「間に合った……」
「壱成、すげぇ走った?」
「病院内は、走ってない。……早歩きだ」
息を切らしてそんなことを言う。
「でもせっかく来たのにもう時間じゃん。そんな無理しなくてもよかったのに」
「お前の顔を見て安心するまで眠れない気がしてな……」
ベッドの横の椅子に腰を下ろし、ぎゅっと俺の手をにぎってくる壱成が可愛すぎて叫びたくなった。
「大丈夫か? どこも不調は無いか?」
「無いよ。大丈夫。めっちゃ元気だよ」
「……よかった」
目尻を下げて嬉しそうに微笑む壱成を見て、俺は思わず手を引いて腕の中に閉じ込めた。
壱成は素直に胸に顔をうずめ「京……」と俺の名を小さくつぶやく。
壱成が俺の腕の中で俺の名を呼ぶ。ノブのときには普通のことでも“京”にとってはありえないことだった。
「京……誰か来たら……」
「もう誰も来ねぇよ……」
黙って、というように強く抱きしめた。
プロポーズのときに抱きしめた記憶は、なんとなくおぼろげだ。だから“京”で抱きしめるのは、いまが初めてみたいなものだった。
動かない左腕がもどかしい。両腕でぎゅっと抱きしめたかった。
壱成が“京”の腕の中にいる。感極まって目頭が熱くなる。
でも、すぐに面会時間終了のアナウンスが流れ、壱成は名残惜しそうに身体を離した。
「壱成……」
「京……」
いまにも泣きそうな壱成に、たまらなくなった俺はうなじをぐっと引き寄せた。
唇が合わさると、お互いが求め合うように自然と口が開く。もう帰らなければならないとわかっているのに、舌を絡めるのをやめられなかった。
「……ん……京……っ、も……終わり、だ……」
「…………うん」
顔を離すと、少し紅潮して潤んだ瞳の壱成に、ドキッとしながらも胸がざわつく。
「……壱成、そんなエロい顔で帰るのか?」
「エロ……いのか……?」
「だめだろ、そんなんで外に出たら……。だめだ、帰るな」
俺が真面目な顔でそう言うと「無茶言うな」と壱成が笑った。
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