8 / 18

第8話 提案

「なあ、佐野ちゃん。自分では絶対タチだと思っていても、実はネコ、ってことあると思う?」    佐野は森下の意外な言葉に目を輝かせる。 「それ、青葉ちゃん自身の話?」 「そう。最近もしかして、って思ったことがあって」 「それって、佐久間さんとのこと?」 「まあね……アイツといると、どうも俺が絶対にネコに回ってしまいそうで、それが納得いかないんだよなあ」 「なんか、あったの? 佐久間さんと」    佐野は興味津々の目だ。  森下が佐久間と男を引っかける勝負をして、負けて罰ゲームをくらった話をすると、佐野は大爆笑した。 「なーんだ。ちゃんとヤることヤったんじゃない。押しの弱い佐久間さんにしちゃあ、頑張ったわけだ」 「押しが弱い?」 「そ。あの人、あんなにかっこいいのに、恋人ができない理由はそれ。最後の最後で押しが弱いんだよね」 「へえ……そんな風には見えないけどな」    森下から見た佐久間は、いつも自信たっぷりに見える。 「そりゃ、青葉ちゃんの前では、かっこつけてるんじゃないの。なんとか青葉ちゃんに手出したくて、罰ゲームなんて考えたんだとしか思えないけどなあ」    佐野は可笑しそうに、まだクスクス笑っている。 「ねえ、これはさ。僕からのお願いなんだけど」    佐野は笑うのを止めて、ちょっと真面目な顔になって森下を見た。 「もし、佐久間さんの方から青葉ちゃんに告白してきたら、よく考えてあげて。佐久間さん、青葉ちゃんがタチだってわかって手出してるんだから、きっと本気だよ」 「そうかなあ。あれは、お互いはずみって感じだったんだけどな……」 「はずみでわざわざタチだとわかってる青葉ちゃんに、手出すわけないじゃん。それに、青葉ちゃんだって、ほんとはちょっと気になってるんじゃないの?」    気になってない、と言えば嘘になる。  実のところ、ここのところ毎日のように、佐久間のことばかり思い出している。 「本気だったらさ。相手の嫌がることは絶対にしないと思うよ。あの人、そういう人だから。これは僕が保証する」    保証されてもなあ……と森下は苦笑する。  佐野の言い分も一理はあるが、実際問題佐久間とつき合ったとして、どっちかがヤりたくなったらどうすればいいというのだ。  森下は佐久間相手にヤる気にはなれないし、佐久間がヤる気になってもヤらせるつもりもない。 「無理だと思うけどなあ……」 「好きだけど、無理、って言ってるように聞こえる」    佐野に指摘されて、森下は少しふてくされたように顔を赤らめる。  確かにそうだ。  嫌いなら、多分あんなことになってない。  最初にあんな罰ゲームを許してしまった時点から、佐久間のことは嫌いではないのだ。    まあ、もし佐野の言うとおり、佐久間が告白でもしてくることがあったら考えよう。  そんなことにはならないと思うけど、と思っていたところへ、店の扉が開いて佐久間がやってきた。  森下が驚いた顔を見て、佐野がニヤニヤしてる。 「……ということで。僕はそろそろ先に失礼しようかな~。彼が待ってるし」 「佐野ちゃんが呼んだの?」    森下が騙された、という顔で佐野を軽くにらむと、佐野が小声で森下に耳打ちする。 「佐久間さん、忙しいのに飛んできたんだと思うよ」    佐野は、クスっと笑って席を立ち、どこへ座ろうかと入り口に立っている佐久間のところへ行く。 「僕はもう帰るから、あそこ、座っていいよ」 「帰るのか?」    佐野はニヤと笑みを浮かべて、佐久間の耳元に囁く。 「僕に感謝してよ」 「何のことだ」 「さあね。あ、僕の分、佐久間さんのおごりで」    佐野は自分の飲み代を勝手に佐久間に押しつけると、ひらひらと手を振って帰ってしまった。  森下の隣に佐久間が座る。 「悪かったな、遅くなって」 「いや、別に。待ってたわけじゃないし」    時計を見ると、もう十時前だ。  こんな時間まで仕事をしていたのか、と少し疲れた様子の佐久間の横顔をちらりと見る。  佐野と変な話をしていたので、妙に意識してしまう。    当たり障りのない仕事の話をしながら飲む。  仕事で接点が出来たので、話題は増えた。  その分、色っぽい話題からは遠ざかった。  まるで昔からのつき合いの、仕事仲間のような気分だ。  とりとめのない話で、あっという間に一時間が過ぎる。 「そろそろ……帰るか。平日だしな」 「え、もう?」    グラスをあけて立ち上がろうとする佐久間を追いかけて、森下も酒を飲み干す。  なんだかまだ飲み足りない気分だけど、終電の時間を考えるとそろそろ出た方がいい。  ママのダミ声に見送られながら店を出ると、佐久間はエレベーターの前を通り過ぎて、階段を降りていく。  そして階段の踊り場で、森下の方を振り返った。    ドキっと心臓が高鳴る。  誰もいない非常階段の踊り場で、二人きりとなれば、キスの絶好のチャンスである。  その気があれば、森下ならここで必ず攻める。 「青葉……」    佐久間の手が伸び、森下の肩を抱き寄せる。 「なんだよ」 「お前……俺とつき合わないか」    いきなりの展開に、森下は硬直した。  佐野の言ったとおりの展開になっている。 「つき合うって……無理だろ」    そして、佐野に言った通りの返事を返してしまった。 「お互い、タチだ。それは分かってる。他に抱きたい相手が見つかれば、そこで解消だ。それまででいい」 「期限つきかよ……」 「今はお互い相手がいないんだ。一人でいるよりいいだろう?」    佐久間が森下の目をのぞきこむ。  森下が返事をできないのは、引っかかっていることがあるからだ。  期限付きでつき合って、佐久間に他に好きな相手ができた時。  その時に、もし、自分の気持ちが止められないほど好きになってしまっていたら、どうしろと言うんだ。    つき合っている内に、流されて気持ちが傾いていく可能性は十分にある。  すでに、流され始めている自覚もある。  後になって、傷つくのは怖い。  これがどうでもいい相手なら、安易にOKして、飽きれば安易に別れてもいいが、佐久間はそういう相手だとは思えなかった。  迷って目をうろうろさまよわせている森下を見て、佐久間は抱き寄せた手を離した。 「まあ、返事は急がない。考えてみてくれ」    あっさりと方向転換して、階段を降りようとする佐久間の腕を、森下は思わずつかんで止めてしまう。 「まてよ。言い逃げは卑怯だろ」    佐久間は押しが弱い、と言っていた佐野の言葉が脳裏に浮かぶ。  このまま逃がしたら、きっと佐久間からは連絡してこないだろう。  返事をするには、森下の方から連絡するハメになるのは目に見えている。 「今返事をくれるのか?」    佐久間が振り返って、ゆっくりと森下に近づく。  森下は最後の最後で、まだ迷っている。  このまま流されてもいいんだろうか。  お互い、抱けない相手なのに。 「迷ってるんだろ?」    佐久間の低い囁きが、耳元に近づく。  優しく抱きしめられる。  至近距離で見つめられるのに耐えられなくて、森下が目をそらすと、佐久間は指先でそっと森下の唇をなぞった。 「OKなら、今すぐもらうぞ」    顔が近づく。  森下は、目を閉じた。  唇が重なり、佐久間の舌が強引に割り込んでくる。  心臓が跳ね上がった。  佐久間のこんな強引なキスを、森下はまだ知らない。  深く深く絡まるキスに、めまいがする。 「交渉成立」    唇を離す瞬間に、佐久間の口元がわずかに笑ったのが分かる。 「青葉、お前もしろよ」 「しろ、って何を」 「キス。お前からもしてくれよ」    されるがままになっていた森下は、我に返ったように佐久間に自分から唇を重ねる。  そして、貪るようにキスをする。  佐久間はそれを受け止めながら、森下の背を力強く抱く。 「いいな、お前のそういうところ」    佐久間の目が少しうるみ、顔が上気しているのを見て、森下も笑みを浮かべる。 「仕方ないから、つき合ってやる」    森下が負け惜しみを言うと、佐久間は笑いながらもう一度ぎゅっと森下を抱きしめた。 「次会う時は、罰ゲームの続きだぞ」 「望むところだ」    多分、どっちも少しずつ強がっている。  そうしていないと、バランスが保てない、微妙な関係が始まった。

ともだちにシェアしよう!