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第8話 提案
「なあ、佐野ちゃん。自分では絶対タチだと思っていても、実はネコ、ってことあると思う?」
佐野は森下の意外な言葉に目を輝かせる。
「それ、青葉ちゃん自身の話?」
「そう。最近もしかして、って思ったことがあって」
「それって、佐久間さんとのこと?」
「まあね……アイツといると、どうも俺が絶対にネコに回ってしまいそうで、それが納得いかないんだよなあ」
「なんか、あったの? 佐久間さんと」
佐野は興味津々の目だ。
森下が佐久間と男を引っかける勝負をして、負けて罰ゲームをくらった話をすると、佐野は大爆笑した。
「なーんだ。ちゃんとヤることヤったんじゃない。押しの弱い佐久間さんにしちゃあ、頑張ったわけだ」
「押しが弱い?」
「そ。あの人、あんなにかっこいいのに、恋人ができない理由はそれ。最後の最後で押しが弱いんだよね」
「へえ……そんな風には見えないけどな」
森下から見た佐久間は、いつも自信たっぷりに見える。
「そりゃ、青葉ちゃんの前では、かっこつけてるんじゃないの。なんとか青葉ちゃんに手出したくて、罰ゲームなんて考えたんだとしか思えないけどなあ」
佐野は可笑しそうに、まだクスクス笑っている。
「ねえ、これはさ。僕からのお願いなんだけど」
佐野は笑うのを止めて、ちょっと真面目な顔になって森下を見た。
「もし、佐久間さんの方から青葉ちゃんに告白してきたら、よく考えてあげて。佐久間さん、青葉ちゃんがタチだってわかって手出してるんだから、きっと本気だよ」
「そうかなあ。あれは、お互いはずみって感じだったんだけどな……」
「はずみでわざわざタチだとわかってる青葉ちゃんに、手出すわけないじゃん。それに、青葉ちゃんだって、ほんとはちょっと気になってるんじゃないの?」
気になってない、と言えば嘘になる。
実のところ、ここのところ毎日のように、佐久間のことばかり思い出している。
「本気だったらさ。相手の嫌がることは絶対にしないと思うよ。あの人、そういう人だから。これは僕が保証する」
保証されてもなあ……と森下は苦笑する。
佐野の言い分も一理はあるが、実際問題佐久間とつき合ったとして、どっちかがヤりたくなったらどうすればいいというのだ。
森下は佐久間相手にヤる気にはなれないし、佐久間がヤる気になってもヤらせるつもりもない。
「無理だと思うけどなあ……」
「好きだけど、無理、って言ってるように聞こえる」
佐野に指摘されて、森下は少しふてくされたように顔を赤らめる。
確かにそうだ。
嫌いなら、多分あんなことになってない。
最初にあんな罰ゲームを許してしまった時点から、佐久間のことは嫌いではないのだ。
まあ、もし佐野の言うとおり、佐久間が告白でもしてくることがあったら考えよう。
そんなことにはならないと思うけど、と思っていたところへ、店の扉が開いて佐久間がやってきた。
森下が驚いた顔を見て、佐野がニヤニヤしてる。
「……ということで。僕はそろそろ先に失礼しようかな~。彼が待ってるし」
「佐野ちゃんが呼んだの?」
森下が騙された、という顔で佐野を軽くにらむと、佐野が小声で森下に耳打ちする。
「佐久間さん、忙しいのに飛んできたんだと思うよ」
佐野は、クスっと笑って席を立ち、どこへ座ろうかと入り口に立っている佐久間のところへ行く。
「僕はもう帰るから、あそこ、座っていいよ」
「帰るのか?」
佐野はニヤと笑みを浮かべて、佐久間の耳元に囁く。
「僕に感謝してよ」
「何のことだ」
「さあね。あ、僕の分、佐久間さんのおごりで」
佐野は自分の飲み代を勝手に佐久間に押しつけると、ひらひらと手を振って帰ってしまった。
森下の隣に佐久間が座る。
「悪かったな、遅くなって」
「いや、別に。待ってたわけじゃないし」
時計を見ると、もう十時前だ。
こんな時間まで仕事をしていたのか、と少し疲れた様子の佐久間の横顔をちらりと見る。
佐野と変な話をしていたので、妙に意識してしまう。
当たり障りのない仕事の話をしながら飲む。
仕事で接点が出来たので、話題は増えた。
その分、色っぽい話題からは遠ざかった。
まるで昔からのつき合いの、仕事仲間のような気分だ。
とりとめのない話で、あっという間に一時間が過ぎる。
「そろそろ……帰るか。平日だしな」
「え、もう?」
グラスをあけて立ち上がろうとする佐久間を追いかけて、森下も酒を飲み干す。
なんだかまだ飲み足りない気分だけど、終電の時間を考えるとそろそろ出た方がいい。
ママのダミ声に見送られながら店を出ると、佐久間はエレベーターの前を通り過ぎて、階段を降りていく。
そして階段の踊り場で、森下の方を振り返った。
ドキっと心臓が高鳴る。
誰もいない非常階段の踊り場で、二人きりとなれば、キスの絶好のチャンスである。
その気があれば、森下ならここで必ず攻める。
「青葉……」
佐久間の手が伸び、森下の肩を抱き寄せる。
「なんだよ」
「お前……俺とつき合わないか」
いきなりの展開に、森下は硬直した。
佐野の言ったとおりの展開になっている。
「つき合うって……無理だろ」
そして、佐野に言った通りの返事を返してしまった。
「お互い、タチだ。それは分かってる。他に抱きたい相手が見つかれば、そこで解消だ。それまででいい」
「期限つきかよ……」
「今はお互い相手がいないんだ。一人でいるよりいいだろう?」
佐久間が森下の目をのぞきこむ。
森下が返事をできないのは、引っかかっていることがあるからだ。
期限付きでつき合って、佐久間に他に好きな相手ができた時。
その時に、もし、自分の気持ちが止められないほど好きになってしまっていたら、どうしろと言うんだ。
つき合っている内に、流されて気持ちが傾いていく可能性は十分にある。
すでに、流され始めている自覚もある。
後になって、傷つくのは怖い。
これがどうでもいい相手なら、安易にOKして、飽きれば安易に別れてもいいが、佐久間はそういう相手だとは思えなかった。
迷って目をうろうろさまよわせている森下を見て、佐久間は抱き寄せた手を離した。
「まあ、返事は急がない。考えてみてくれ」
あっさりと方向転換して、階段を降りようとする佐久間の腕を、森下は思わずつかんで止めてしまう。
「まてよ。言い逃げは卑怯だろ」
佐久間は押しが弱い、と言っていた佐野の言葉が脳裏に浮かぶ。
このまま逃がしたら、きっと佐久間からは連絡してこないだろう。
返事をするには、森下の方から連絡するハメになるのは目に見えている。
「今返事をくれるのか?」
佐久間が振り返って、ゆっくりと森下に近づく。
森下は最後の最後で、まだ迷っている。
このまま流されてもいいんだろうか。
お互い、抱けない相手なのに。
「迷ってるんだろ?」
佐久間の低い囁きが、耳元に近づく。
優しく抱きしめられる。
至近距離で見つめられるのに耐えられなくて、森下が目をそらすと、佐久間は指先でそっと森下の唇をなぞった。
「OKなら、今すぐもらうぞ」
顔が近づく。
森下は、目を閉じた。
唇が重なり、佐久間の舌が強引に割り込んでくる。
心臓が跳ね上がった。
佐久間のこんな強引なキスを、森下はまだ知らない。
深く深く絡まるキスに、めまいがする。
「交渉成立」
唇を離す瞬間に、佐久間の口元がわずかに笑ったのが分かる。
「青葉、お前もしろよ」
「しろ、って何を」
「キス。お前からもしてくれよ」
されるがままになっていた森下は、我に返ったように佐久間に自分から唇を重ねる。
そして、貪るようにキスをする。
佐久間はそれを受け止めながら、森下の背を力強く抱く。
「いいな、お前のそういうところ」
佐久間の目が少しうるみ、顔が上気しているのを見て、森下も笑みを浮かべる。
「仕方ないから、つき合ってやる」
森下が負け惜しみを言うと、佐久間は笑いながらもう一度ぎゅっと森下を抱きしめた。
「次会う時は、罰ゲームの続きだぞ」
「望むところだ」
多分、どっちも少しずつ強がっている。
そうしていないと、バランスが保てない、微妙な関係が始まった。
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