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第16話 ケンカした
「そうだな……お前の勝手だ。好きにしろ。俺は止めない」
「なんだよっ、それ。お前、俺のこと見てたんだろ、ずっと!」
「見るぐらいいいだろう。邪魔はしてないぞ」
「見てたんなら、わかるだろ! 俺が、ここへ男を探しに来てるんじゃないってことぐらい。俺は今日ここで一度も男の顔なんか、見てないぞ!」
「それなら何をしにきた。佐野の誘いを断って、わざわざ来たんだろう? 誰かと待ち合わせだったんじゃないのか」
「お前なんかにはわかんねぇよ! 俺が……どんな気持ちでここでお前のこと思い出してたかなんて! 慎のバカヤロー! 最低だ!」
森下は、泣き出したいのをぐっとこらえて、踵を返し、店を出た。
普通なら、追いかけてくるだろ……と情けない笑いがこみあげてくる。
出てきた扉を振り返っても、佐久間が追いかけてくる様子はない。
そういや、押しの弱い男だったな、と乾いた笑いが出る。
でも、俺は悪くないぞ。
浮気してたわけでもない。
本当にマロンへ行こうとしてただけだ。
森下はこれ以上疑われるのは腹が立つので、意地になってマロンへ向かった。
「あれ……青葉ちゃん」
佐野が不思議そうな顔をしている。
佐野が会社の同僚と一緒に飲んでいるようなので、森下は片手で軽く挨拶だけして、反対側のすみに一人で座る。
ママはどこかに買い物にでも出たのか、不在だ。
とにかく佐野がここにいるので、俺の身の潔白は証明したぞ。
「どうしたの? 佐久間さんと一緒じゃなかったの?」
佐野が席を立って、森下の隣にやってくる。
「顔は見たけどな」
憮然と森下が答えると、佐野が怪訝な表情になった。
「もしかして、ケンカした?」
「俺は悪くない。ただ飲んでただけなのに」
「疑われたんだ」
やっぱり、というように、佐野はため息をつく。
「僕ね。今日青葉ちゃんがディープブルーに行くってメール来た時、止めようかと思ったんだよね。佐久間さん帰ってきたからって。でも、佐久間さんが帰ってきたこと、青葉ちゃんに内緒にしてくれって言うから」
「なんで内緒にする必要があるんだよ!」
「最初は驚かせようと思ったんじゃないかなあ。でも、僕が青葉ちゃんは今日はディープブルーだよ、って言ったら顔色変えてたから」
森下がディープブルーにはもう行かない、と約束していたことを佐野は知らないので、仕方がない。
「ねえ、青葉ちゃん、どうして今日は一人でディープブルーに行ったの?」
「どうしてって……ちょっと、一人で飲みたい気分だっただけ」
「僕さあ……佐久間さんに、金曜日は青葉ちゃんをマロンに誘えって頼まれてたんだよね、実は」
「頼まれてた?」
「青葉ちゃんは寂しがりだから、出張の間ふらふらしないように、見張り、だって」
「俺はふらふらなんてしないっ!」
「でも、寂しかったんでしょ? だからディープブルーに行ったんじゃないの?」
「そうなんだけどさ。でも、誰か引っかけようとか、そういうんじゃないんだ」
「僕は分かるよ。青葉ちゃん、佐久間さんに一途だもんね」
佐野はやれやれ、とため息をついて、携帯を取りだした。
「青葉ちゃんを泣かせた佐久間さんには、僕がお仕置きしてあげる。僕は青葉ちゃんの味方だから」
佐野は、ニヤっと笑みを浮かべて、メールを打った。
それから二人で飲んでいる同僚の内の、片方に声をかけた。
「ねえ、柳さんさあ。僕の友だち、彼氏に振られてショック受けてるから、ちょっとなぐさめてあげてくれないかなあ」
「彼氏に?」
男は、好奇心と同情が混じったような目で、森下を見た。
「ねえ、雪ちゃん、ちょっとだけ柳さん貸してあげて。三十分だけでいいから。その代わり、面白いもん見れるよ」
佐野はもう一人の男に、小声で囁く。
「ね、柳さん、僕は雪ちゃんと飲んでるから、青葉ちゃん、なぐさめてあげて」
柳、という男が、森下の隣にやってくる。
佐野の友だちのようなので、森下も笑みを浮かべてどうぞ、と席をすすめる。
「彼氏に……振られたん?」
優しい声で、柳が話しかける。
佐久間とは違うタイプだが、人なつこい雰囲気の目をした、優しそうな男だ。
「振られたのかなあ……追いかけてもこなかったし」
「そら、アカンな。追いかけへん男は最低や」
柳がうんうん、と同調するので、森下はフッと笑ってしまう。
本気でなぐさめようとしているのが、伝わってくる。
いい男だな、と森下は、佐野と話をしている、柳の恋人らしき可愛い男を見た。
他人に自分の彼氏を貸して、おとなしく佐野に言いくるめられている、素直そうな男。
佐野やその男を見ていると、自分には可愛げが足りないんだろうなあ、と森下は思う。
「追いかけるだけの、魅力ないかな。俺って」
「そんなことあらへん……ああ、泣いたらアカン。そんなキレイな顔して泣いてたら、悪い男につけこまれるで」
「俺、会いたかったのに。ずっと、会いたくて、待ってたのに……」
ああ、もうダメだ、と森下はテーブルの上に顔を伏せた。
関係ない柳の前だと、突っ張る必要もなくて、本音があふれ出してしまう。
よしよし、と優しく頭に触れる、柳の手が佐久間を思い出させて、余計に涙を誘う。
「アカン男やなあ、そいつは。こんなに想ってくれる恋人を、手放すなんてなあ……」
ふるふると背中を震わせてうつぶせている森下の背中を、柳がなでさすってやっていると、バン、と勢いよく扉が開いた。
「青葉……」
怒りの形相で立ちつくしている男を見て、柳がどこかで見た顔だな、と不思議そうな表情になる。
「彼氏、迎えに来たみたいやで。どうする?」
柳は森下の耳元に小さく囁く。
森下は、顔を伏せたまま、頭を横に振った。
顔を上げたくなかった。
俺だけ泣いてるなんて、最悪だ。
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