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第2話 役立たずは大人しくすべし
「山南 。悪いけどこれ、任せていい?」
於久と電話で会話をしつつ、パソコンの起動を待つオレの耳に、鞍崎さんの声が届いた。
「あー。定時で帰りたいんだっけ? ……」
鞍崎 大希 は、同じ化粧品会社の部署違いの先輩で、オレの彼氏だ。
ツーブロックの黒髪に銀フレームのメガネ、切れ長一重の瞳と形の良い唇。
インテリ風の隙がない見た目だが、意外におっちょこちょいで、可愛らしい人だ。
オレの脳裏に、鞍崎さんとした昼間の会話が蘇る。
「小佐田が風邪らしいんだ。帰りにちょっと寄ろうと思ってるから、申し訳ないけど今日の約束、延ばしていいか?」
申し訳なさげに見上げてくる瞳は、エッチの時に無言のオネダリしてくる視線に似ていて、腰が震えた。
心の中で、ぶるぶると頭を振るい、いかがわしいイメージを弾き飛ばす。
「それなら、一緒に行きますよ?」
〝今日の約束〞というのも、たまにはデートがてらご飯でも食べに行こうという程度のものだ。
オレ的には、鞍崎さんと一緒にいられるなら、食事だろうがお見舞いだろうが変わりない。
お見舞いに行くというその言葉に、乗っかろうとしたオレに、鞍崎さんの顔がむむっと歪んだ。
「いや。見舞いに何人もで押しかけるのも返って迷惑だろ」
くっと眉根を寄せたままに、鞍崎さんは言葉を繋ぐ。
「伝染 したくないからって、俺すら拒否られてんだよ。でも、食いもんとか飲みもんとか買いに行くのもしんどそうだから、家の前に届けるだけって約束で、行こうと思ったんだけど……」
飯食った後にでも行くかと、鞍崎さんは、お見舞いの先延ばしを考え始めた。
オレが延期を認めないのなら、小佐田さんのところへ行くコトを諦めてしまいそうな雰囲気だった。
オレの我儘で、小佐田さんの体調が悪化したり、空腹に見舞われたりするのかと考えると申し訳ない気になってくる。
「あ、いや。いいっすよ。オレとの約束、また今度で」
にっこりと笑うオレに、鞍崎さんの控えめな瞳が見詰めてくる。
「そっか? 悪いな。埋め合わせはするから」
鞍崎さんが悪い訳じゃないのはわかっていたけど、困り眉で見上げてくるその顔が可愛くて、思わず〝埋め合わせ〞の言葉に期待が膨らんだ。
「……思い出した。風邪で寝込んでる」
「はぁ?」
会話の一部始終を思い出し、簡素に小佐田さんの現状を伝えたオレに、なんでお前が〝寝込んでいる〞なんて情報を持ってるのだと言わんばかりの怒声が耳に響く。
ボリュームがバカになっている於久の声量は普通に音漏れを起こし、ぎらりと光った営業部部長の瞳がオレを射る。
就業時間が終わっているにしても、ここは会社だ。
まだまだ仕事と格闘している仲間が居る訳で。
オレは、スマートフォンを耳に当てたままに、そそくさと事務所を出て、空いているミーティングルームに滑り込んだ。
「オレに怒鳴ったってしょうがねぇだろ」
「なんで、オレに言わねぇんだよ……」
呆れ混じりに紡いだ俺に、ぶつぶつと拗ねた声で不満を漏らす於久。
「鞍崎さんの口振りだと、伝染したくないって思ってるみたいだから、あえてお前の連絡スルーしてんじゃねぇの?」
気怠げに紡いだオレの声に、ぎりりっと歯軋りの音が耳に届く。
どうやら、恋人である自分より、会社の同僚である鞍崎さんを頼られたのが、悔しかったらしい。
「行くなよ? お前、行ったら小佐田さんの気遣いパーだかんな。役立たずは大人しくしとけ、な?」
けらけらと笑い飛ばしてやるオレに、於久は、うぐぐっと言葉にならない音を発した。
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