2 / 11

森 2

 錬金術という学問に人生の大半を捧げたのだろう、サラマンダーの質問は込み入ったものが多い。それらをさばきつつ、パルケラィアは底なしの知識に内心驚嘆していた。想像以上に頭の回転が速く、少し前に教えた定義をすぐ応用できる臨機応変な態度。膨大な知識をよどみなく吸収していく様は爽快ともいえた。  サラマンダーと出逢ったのが朝。パルケラィアが促さなければ食事も忘れていただろう、簡単な夕食をとりながらも矢継ぎ早の問答。疲労とは無縁のスライムだが、十何時間もぶっ通しで学問に向き合うのは正直辟易した。 「ここまでにしておこう」  七割ほど進めたあたりだった。パルケラィアが本を閉じると、紙面から顔を上げたサラマンダーが不満げに問う。 「何故だ」 「錬金術の基本原則は等価交換だろう。これ以上教えては、お前に払えるものは無くなるぞ」  本の内容を説きながら、パルケラィアは並行して対価を計算していた。身体のことを案ずるなら、このあたりで打ち止めにするのが賢明だ。だがサラマンダーにとってはまたとないチャンス。みすみす手放す気は無いようで、「構わない」と答えを返した。 「埋め合わせはまた考える。お前に任せたっていい、教えてくれ」 「……ヒトの探求心には驚かされる」  よほど体力に自信があるのか、もしくは自棄か。おそらく後者だと勘づいたが、口にするほど野暮ではない。仕方なく残りの三割に手をかける。サラマンダーはさっさとメモの続きをとっていた。生気に満ちた、と言えば聞こえはいいが、妄執じみた輝きの目だった。自分はこの目をどうしたいのだろうか。パルケラィアはざらついた紙面を撫でる。今日は普段考えないようなことが浮かぶ。不思議な心地だった。 「今宵は満月だったか」  パルケラィアが空を見上げてつぶやく。サラマンダーは、そこで初めてとっぷりと日が暮れていたことに気付いた。顔を上げると、木々の隙間から薄らと月明かりが下りてくる。手元も危ういほどの暗闇で、よく本など読めたものだと自嘲する。書物にがっつくように読み漁るのは青年期以来だった。  ふと腕が重くなり、目をやると半透明のゲルが肘のあたりまで乗っていた。サラマンダーの身体を引き寄せるようにたぐるパルケラィアの瞳は月の光を浴びて乱反射し、なおのこと表情が読みづらい。 「満足したか?」 「……ああ、有意義な時間だった」  そういえば約束をしていたのだった。頷くと、静かに草の上へ組み敷かれた。押し倒されても予想よりずっと胸中は凪いでいて、高揚も緊張もない。ひんやりとしたスライムボディが肌に触れるのが心地よかった。だが、 「サラマンダー、ひとつ言い置くことがある」  上から降ってきた低い声に身がすくんだ。相手が人間でなければ平気かと思ったのに、やはり若い日に負ったトラウマは完全には拭いきれない。弱みを見せるのは癪なので、なんでもないような風を装って「何だ」と尋ねる。 「捕食行為にあたり、一点確認したい。教義の最中にお前が提示した埋め合わせの件だ」  パルケラィアのボディに月が透けて、中の不純物がダイアモンドダストのようにきらめく。話の続きを待ちながら、サラマンダーは知らずその輝きに目を奪われていた。 「不足分をお前から一度に採っては生命に関わる。私としても本意ではない。よって時間をかけて摂取させてもらうが、急がないな?」  そんなことか、とサラマンダーは内心あなどっていた。どうせ、どこへ行くともしれない旅だ。構わないと伝えると、ファーストコンタクトと同じように、スライムボディがサラマンダーを腰まで呑み込む。圧しつけられるような重さがあったが苦になるものではなく、むしろ安心すら感じられる。パルケラィアがちらりと荷物を見やった。 「武器はいいのか」 「……別に必要ない、それより、俺も言うことがあった」  向き合うと、スライムは無機質な顔を横へ傾いだ。人間の真似をしているのだろうか。サラマンダーは下腹部に目をやる。膨らみのない、すとんと布の落ちた箇所。自覚するたびに首筋がざわつくような自己嫌悪に襲われる。 「何が出ても、驚くな」 「ふむ……?」  ピンと来ていない様子で、パルケラィアが逆側に首を傾ける。しかし、絞り出すように口にしたサラマンダーを見て何を考えたのかは分からないが、「……約束しよう」と静かに返した。  それっきり言葉はない。しばしの沈黙ののち、パルケラィアはサラマンダーを包むように覆いかぶさると、服の隙間から触手を滑り込ませた。

ともだちにシェアしよう!