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第37話 家に戻る

 ふと目を覚ましたらそこは全く見知らぬ場所だった。  天蓋つきのベッド、ふかふかの寝具。  絨毯の上には小さいながら重厚そうな飴色のテーブルと茶色い革のソファー。大きな暖炉には小さく火が灯っていて部屋がほんのり暖かい。  カーテンから微かに差し込む光が強いから多分もう昼くらいかな。  っていうかここはどこ……?  起き上がって見下ろした僕の体には少し大きめな、明らかにシルクの寝間着が着せてあって戸惑ってしまう。ベッドサイドに小さなテーブルがあってそこにはベルの横に起きたら鳴らすように、って置き手紙があった。  いや……どこかもわからないのに、ベルなんて鳴らしたくないよ。  せめてどこかだけでもわからないかと窓に向かおうとして、途中の姿見で足を止めた。  だって。  だって鏡に映ってる僕の髪が……。 「な、何で長くなってるの!?」  腰くらいまであるサラサラの髪に驚いて駆け寄ってしまう。くる、っと回って背中側から見てみても長い。真正面からみても、横からみても長い。元から艶々サラサラしてたウル()の髪が腰まで伸びた事でよりつやさら感が増している。  ハッとして耳の上を触ってみたけど魔王の証(ツノ)はなくてそこだけはホッとしたんだけど。 「いや、そもそもここ何処!」  窓辺に駆け寄って庭を見て絶句――。  綺麗に整えられた薔薇が咲き誇る庭。冬にも咲くように品種改良された真っ赤な薔薇を見に、良く貴婦人達が集まってサロンでお茶会をしてた。  春になるとまた別の庭のように色々な種類の花が咲き誇るんだけど、冬はこの薔薇しか咲かないんだよね。  薔薇で作られたアーチ、その向こうにあるガゼボ。温室には万年色々な花が咲いていて薔薇に飽きたらそこでお茶会をする。  庭の真ん中にはキラキラと陽光を反射しながら噴水が上がってて夏はその近くでやっぱりお茶会。  広い広い庭だけど、その庭の隅にひっそりとある井戸に見覚えがありすぎる。  え、待って待って。嘘だよね。良く似た配置の良く似た井戸があるだけの庭だよね。まさか……まさかアルタメニア公爵家じゃないよね……?まさかね……?  混乱しながら今度はドアに駆け寄ってドアノブを捻ってみる。鍵はかかってなくて小さな音を立ててドアが開いた。隙間から覗き見るけど、僕が暮らしてたのは地下だ。窓から覗いた感じここは2階で、僕が見た所でほぼ見知らぬ場所。ただ正面玄関だけはわかるからそ~っと廊下に出て……すぐ引っ込んだ。曲がり角の向こうでキャッキャと談笑する声が聞こえたからだ。 「昨日部屋に運ばれる前少しだけ拝顔したけど、本当にお綺麗な方だったわ」 「早く起きられないかしら」 「朝からラーグ様がそわそわしていらっしゃるものね」    “ラーグ様”ってもう決定打じゃん……!  何で?どうしてここにいるの?だって最後の記憶ではオーナーが来てくれて……あれは夢だったの?  ジェラールが斬られて、血が飛び散って。そうだ。マリオットも怪我してた。お姉さん達は大丈夫だったんだろうか。  ぎゅっと自分の体を抱き締める。カタカタ震えてるのは寒さじゃない。  帰らなきゃ。オーナーの所に行かなきゃ。皆の無事を確かめなきゃ。  転移を使おうとしたのに出来なくて、余計パニックになりそうになって思い出す。 (そうだ……王太子に抜き打ちで調べられても良いように魔力を抑えてるんだった……)  今の僕には自力で転移は出来ない。仕込みがある首輪もオーナーがいないと外れないし。  どうしよう。  いや、歩いてでも帰る。もう国境の山には雪も積もってるだろうけど、そんな事関係ない。オーナーのところに帰る!  縮こまってた体を伸ばして、ひとまず着替えをしないと、って恐る恐る開けたクローゼットにはどうみても貴族のお坊っちゃんが着る小綺麗な服しか入ってなくて。  僕が着てた服はどこに行った?  バサバサと漁ってみるけど、冬山を越えられそうな服なんて勿論入ってない。いっそ適当な服を着てそのまま、って思ったけど冬山に軽装で挑むなんてバカな真似は出来ないし……。  外にいたメイドさん達に冬山装備がないか訊いてみようかな。  もう一度そっと覗いてみたけど、もう話し声は聞こえなくなっててそろ~っと廊下に出てみた――瞬間。   「ちょっと。勝手にうろちょろしないでよね」  背後から聞こえた声に思わず飛び上がってしまってから慌てて振り向いて二度驚いた。 「ハガル!?」  そこにいたのがハガルだったからだ。薄いピンクのボブヘアと榛色の瞳。くりくりと大きな目は勝ち気につり上がり気味だけど流石ヒロイン♂だけあってそれが意地悪そうに見えないから不思議だ。いや、実際は意地悪なんだけど。  そんなに変わらない身長のハガルがツカツカと歩み寄って来て   「書き置きあったでしょ。何勝手にうろうろしてんの」  そんな事を言う。  うんうん。こいつはこういう奴だよ。  それよりジェラールが死んでしまったこと……知ってるのかな。 「ねえ、ジェラールの事……」 「亡くなったって?王城は大騒ぎだよ」  あ、爪欠けてる、なんてまるで興味がなさそうな態度に流石にちょっと腹が立った。元から偽物で僕自身も望んでたとは言え、何も知らない世間から見れば僕から奪った形の婚約者が死んだんだよ?もっと何かあっても良くない!?   「何とも思わないの?」   「ん~、本物のバカだったんだな、って思う」  それはそうだけど!僕もそう思ったけど!!  自分だってバカだろ!って叫びそうになったんだけどその前に声を聞き付けた使用人さん達に見つかってしまって、あれよあれよという間に部屋に逆戻りさせられて。  まずはお風呂!って寄ってたかって洗われて、うっすら薔薇の香りがする香油を全身に塗りたくられた。  長くてサラッサラになった髪は耳の辺りまで編み込んで、耳下からはさらりと右肩に流す。シルクっぽいシャツに紺色のベストとジャケットにスラックス、首輪が丸見えにならないようにクラバットで隠してピカピカの靴をはかされて鏡の前に連れていかれたんだけど。  うん……なんていうか、薄幸の美少年感が半端ないんだけど。何不自由ない貴族の格好をしてるのに実は不幸を背負ってる、みたいな感じが半端なく溢れ出てるんだけど。いや薄幸の美少年(ウル)そのもの、って言えばそうなんだけどさ。  っていうか何で正装させられたんだ? 「あの……僕家に帰りたいんですけど」    何回目かの訴えを「ご当主がお待ちですので……」ってやっぱりやんわりと拒否されてため息をつく。  ハガルがいたし、ラーグ様って言ってたしここは間違いなくアルタメニア公爵家で、ご当主ってラーグでしょ?こうなったらラーグに直接言ってやる。そもそもどうして僕がここにいるのかも問いただしてやらないと!    しんなりしてしまいそうになる心を奮い立たせてメイドさんに付き添われながら、唯一見覚えのある正面玄関のメインホールを過ぎて辿り着いたのは食堂だった。  僕自身は1度も入って食事をした事のないそこは、真っ白なクロスのかかった長いテーブルと大きな暖炉、上からぶら下がるシャンデリア状の魔導灯がきらめくきらびやかな空間。  真夜中厨房に抜けるのにコソコソ通り抜けた事はあったけど……明るいとこんな感じなんだ。  物珍しくてキョロキョロとしながら入ってきた僕を迎えたラーグがそのまま席までエスコートしてくれる。すでに座ってるハガルは行儀悪く頬杖をついて鼻で笑いそうな雰囲気なんだけど!本当に感じ悪いなー!  でも席について、そこに食事に使う皿やらカラトリーやらがあるのに気付いてゾワッとなる。僕にとってアルタメニア公爵家で出される食べ物に良い思い出なんか1つもないから。  それでもラーグに僕が何でここにいるのか問い質さないと!って思いで我慢して座ってたんだけど……いよいよ食事が運ばれて来たのを見てハガルの事を言えないくらい行儀悪くガタリと大きな物音を立てて立ち上がってしまった。  ホカホカと湯気を立てる美味しそうで豪華な料理が運ばれてきたのに、僕の胃は空腹じゃなくて痛みでギュウゥゥってなって思わず壁まで下がって口を押さえた。  使用人さんも料理人さんも僕が知ってる人は1人もいない。昔は大体が僕をいびりに来てたから顔は覚えてたし、元からいた人がみんないなくなってるのが本当だってわかる。  だけど……それでも……。 「ごめん、ラーグ……。僕家に帰りたいんだけど」  出来れば今すぐ。 「その前に食事にしませんか?この食事にはもう何も入ってませんから」  ほら、って言いながらラーグが一口食べてみせるけど。  わかってる。もうこの食事は安全なんだと思う。周りの使用人さん達は何が起こったかわかんないようでさりげなく僕達の様子を不安げに窺ってるから、本当だったらラーグを信じて座るべきだと思う。 「出来ない……、ごめん。ここでは嫌だ。家に帰らせて……」  無理なんだ。 「兄さんの除籍処分は撤回されました。ここが貴方の家ですよ」 「は!?何それ!聞いてないよ!……撤回なんてしなくていい!帰らせて!!」  ここはもう僕の家じゃないんだよ。いや、“もう”じゃなくて昔から僕の家じゃなかったんだよ。ずっとずっと僕の中ではオーナーの側が僕の居場所で、それだけが支えだったんだよ。  配膳の人達が困惑したように僕とラーグを見比べてる。本当に申し訳ない、って思うんだけど……でも簡単に忘れるわけない。公爵家で受けた仕打ちを忘れるにはあまりに早すぎる。  しばらく黙って僕を見てたラーグが急にふ、っと笑った。 「全く……本当に腹立たしいですが言った通りになりましたね」 「最初からそう言ってるだろ。ウルは返してもらうからな」  扉が開いて入って来たのは今一番会いたかった人。  一瞬夢かと思って、でも「ほら来い」って腕を広げてるその姿は絶対夢じゃない。どれくらいぶりか、目頭が熱くなってくしゃりと顔が歪んでしまったけどそのままその腕に飛び込んだ。 「オーナー!!」  気絶する前に感じたのと同じ力強い腕が僕を抱きとめてくれた。    

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