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「さて…」 「ッ……!!」 何事もなかったかのよう、着衣を正し。 オレを下から上まで値踏みし始めるムーバ。 恐怖するオレは、震える手で後退りしようとしたが…腕に力が入らず、それはガクンとして空回るばかりだった。 (殺されるっ…) 先程のムーバの言葉が甦る。 魔族にとって神子は邪魔な存在。コイツには同情する心も理由も皆無、人間相手とは次元が違う。 床には無惨にも骸と化した、グリモアの。 さっきまで脅威だったはずのそれも… 今では同情すら覚えるくらい、状況は最悪だ。 殺される、初めて直面する真の殺意。 それを孤独に受けるという絶望感に。身体は勝手に震え出し、目からは以上なほどの涙が溢れた。 「そう怯えずとも、すぐには殺しませんよ?」 ゆっくり近付いてくるムーバが勿体ぶるよう告げ、目前で跪く。…と、徐にオレの顎をクイと持ち上げ…恍惚の眼差しを向けてきて。 「先程の…グリモアの話を覚えていますか?」 「…な、に…?」 「神子と契りを交わした者の奇跡、とかいう話…ですよ。」 ククと蔑むよう笑われ、オレは眉を顰める。 「神子の成り立ちとは、圧倒的な魔族に対抗すべく…他種族との均衡を保つため女神が遣わした、異界の存在。故に、神子と相容れるという発想にすら…今日(こんにち)まで我々が辿り着くことは、ありませんでした。」 神子が結界を張れば瘴気が減り、魔族は力の大半を失うことになる。 一度神子の結界が発動してしまえば…魔族は闇へと追いやられ。何百年も身を潜め、屈辱に耐えながら生きていかねばならない。 もしそれを覆そうとなれば、現在のように結界が弱まるタイミングで神子を消す他ないのだが… それも未だ叶わぬ夢なのだと、ムーバは忌々しそうに吐き捨てた。 「解りますか?軟弱な人間如きに、苦渋を舐めさせられるという恥辱を…」 問い掛けておいて、答えなど求めて無いムーバは。 オレの顔に八つ当たるよう、長い爪を食い込ませてきて。そこからギチギチと鈍い痛みが走り、堪らず顔をしかめる。 「…少々お喋りが過ぎましたが。そこでひとつ、私の中で疑問が生じたのですよ。」 「ぎも、ん…」 怪訝に見上げると、ムーバは不敵に笑い。 「もし、人間に奇跡をもたらす神子と魔族が…契りを交わしたら────」 どうなるのでしょうね?…と。 「なっ……!」 神子を敵と信じて疑わない魔族が、その考察に行き着かなかったのは至極当然で。 目の前のムーバは勝ち誇ったよう、高笑いする。 魔族は敵だ敵だと、散々教わってきただけで。 グリモアみたいな人間も見てたから、今までピンとこなかったけど。 「お前も、最低だな…」 人間だの魔族だの以前に、コイツの卑劣なやり方が気に入らない。 「私にとっては、それこそ褒め言葉なのですが。」 そしてこういう奴等こそ、マトモな対話は無意味なのだと…思い知るんだ。

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