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第3話 Bar マロン

「ちょっと出過ぎたマネして悪かったな」    帰り道、柳は雪本に謝った。  運が悪ければ社長の機嫌を損ねる可能性もあっただろう。  しかし商売はいつかはこういう駆け引きが必要な場面がある。  それは雪本が苦手としていることであった。 「いいんですよ。俺も勉強になりました。きっと課長は喜びますよ」 「関西人はなあ、どうも数字にがめつくて、嫌われるんやけどな」 「いや、でも社長さんには気に入られたみたいですから、これからはあそこは柳さんにお願いしますよ。俺は助かります」 「いやいや、ちょっと待ってえな。俺は細かい説明とか苦手やから、当分雪ちゃんが通訳でついていってくれんと」    通訳、という言い方に思わず雪本は笑ってしまう。  そう言えば今日は何度も大阪弁が出かけて、言い直ししていた場面があった。    会社に戻って営業報告を上げると課長は喜んだ。  それは柳の手柄だということは分かっていたことだろう。 「あの気むずかしいじいさん相手にご苦労だったな」 「いえいえ。大阪のメーカーはあんな社長ばっかりですから、慣れてます」 「なるほどな。気むずかしいメーカーは柳の担当にするか。なあ、雪ちゃん」 「そうですね、俺も助かります」    課長はしばらく雪本と柳は二人一組で営業に回るように、と指示した。  雪本もそれには異存はない。  今のところ柳とは助け合える良い関係だと思えたからだ。 「雪ちゃん、今日なんか用事あんの?」 「いえ、特にないですけど」 「だったら飯食って帰らへん?下で」 「いいですよ」    雪本は自宅通勤なので帰ったら食事はあるのだが、たまには外食も悪くない。  同僚と食事をして帰る、ということが今までなかったので柳の誘いが新鮮に感じる。  柳は一人暮らしなので、毎日食事の相手もいなくて寂しい思いをしているだろう、と思ってつき合うことにした。 「初仕事がうまくいったし、祝杯な」 「そうですね。景気づけに行きましょう」    ビールで乾杯をすると、柳はメニューを見ながら次々と注文をする。  雪本の倍ほど食べそうな勢いだ。   「最近コンビニ弁当ばっかりで、栄養不足なんや。元気出えへんわ」 「しっかり食べて下さいね。身体は基本ですし」 「まだ食事をする店も見つけてへんからなあ。雪ちゃん一人で行けそうなエエ店知ってたら、教えてくれへんかな」 「俺はあんまり外食しないから知らないけど、そういうのは課長が詳しいんじゃないかな。あの人も転勤族だし」 「そうか……そやけど、課長と行くんは面倒やな。仕事終わってまで仕事の話したないし」 「確かにね。気を使いますよね」    柳が仕事の話はしたくなさそうなので、適当に雑談をしながらビールを飲んだ。  雪本も酒は強くはないが好きな方で、つき合い程度にはそこそこ飲める。    食事がだいたい終わった頃に、柳がかばんから紙を取り出して雪本に見せた。  インターネットで何か調べて印刷したもののようである。   「俺、ここの店に行ってみたいんやけど、行き方教えてくれへんかなあ」    雪本が受け取ってみると、『Barマロン』と書かれた店の簡単な地図があって、場所は新宿だ。  雪本は電車の乗り換えの説明をしながら、その紙に書いて渡した。   「今から行くんですか?」 「そうやなあ、いっぺん行ってみようかと思って」 「一人で大丈夫ですか?」    新宿あたりで知らない店に一人で入るのは危ないような気がする。  だいたい、マロン、という店の名前がなんとなく怪しげだ。   「う~ん、値段は安いみたいやったけどなあ。ママが一人でやってる店で」 「それならいいんですけど……」 「なんやったら雪ちゃんも一緒に行くか?俺、おごったるで。雪ちゃんには世話になってるし」 「でも、それ、女性相手の店でしょう?」    雪本はこの間課長が連れて行ってくれたような、スナックみたいな店がどちらかというと苦手だ。  「女性には俺も興味あらへんから、大丈夫や」    柳がいたずらっぽい顔をして笑う。  女性に興味がない、とはどういうことだろう。  それなら普通のバーなどで飲んでも良さそうなものだが。   「大阪に彼女でもいるんですか?」 「そうやないけどな。ま、ほんなら行ってみようや。案内して」    やや強引に一緒に行くことにされてしまったが、柳が心配なので雪本もついていくことにする。  柳の話ではその店のママは大阪出身だということだった。  つまり、柳は誰かと大阪弁を話したいのだろう、と雪本は納得する。  転勤してきてまだ二週間だが、里心がついたのかもしれない、と気の毒に思った。  『Barマロン』と書かれた白い扉は、普通のスナックのような雰囲気で、中の様子は外からは見えない。  雑居ビルの二階にあるその店がどんな店なのか雪本には想像がつかなかったのだが、柳はある程度インターネットで調べてあったからか、堂々とドアを開けて中に入っていく。   「いらっしゃ~い!」    その野太い声の主を見て、雪本は仰天して柳の顔を見た。   「ほら、女性には興味ないって言ったやろ」    そこに立っていたのは、柳と変わらないような体格の、着物を身にまとったケバい化粧のママだ。  髪型はなぜか角刈り。   「あら~初めてのお客さんね、誰かに聞いて来てくれはったん?」 「いや、インターネットで調べて来たんや。大阪のママに会いとぉてな」    柳は驚いている雪本を手招きして、カウンターに座り込む。  雪本も仕方なしに柳の隣に座った。  これは、柳のおごりでないとワリが合わない、と内心思いながら。  

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