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第6話 代打

 週末、仕事が終わると柳が声をかけてきた。   「雪ちゃん、今日はまっすぐ帰るん?」 「特に予定はないんですけど、柳さん佐野ちゃんと約束してたんじゃないんですか」 「佐野ちゃんアカンねんて。急用で」    柳は携帯のメール画面を見ながら、ちょっと残念そうである。  寂しがりなのか、週末を一人で過ごすのは嫌なのだろう。   「俺で良かったらつき合いますよ、佐野ちゃんの代打」 「代打やなんて。俺は雪ちゃんおったら、一番エエのに」    柳がぱっと嬉しそうな顔になる。  そんなに子供のように笑顔を浮かべられると、雪本も内心照れてしまう。   「ほんなら、さっそく店予約するわ。こないだ調べといた店があるねん」    柳は手帳を見ながらどこかへ電話をかけた。  約束した通り雪本のために居酒屋を探してあったのだろう。   「よっしゃ。予約とれたで。近くやから歩いていこか」 「場所、分かるんですか?」 「ばっちり、この間前を通ってみたんや。エエ雰囲気の店やったで」    柳はすでに店の下調べまでしてあるようだ。  こういうことにはマメな男だなあ、と雪本は感心する。  しかし今のところ柳の東京での友人は雪本と佐野の二人だけなのだ。  平日仕事が終わってからは、一人でヒマを持てあましていることもあるのだろうな、と想像する。  柳が案内してくれた店は、こぢんまりとした和食の店で、案内された席は小さな個室だった。  上品な店だがメニューを見るとそれほど高くもない。  会社の近所にこんな店があったなんて、雪本は知らなかった。  柳も苦労して探したのではないかと思う。   「こんな店、俺知りませんでした。よく見つけましたね」 「そうやろ?いくつかピックアップして、会社の帰りに偵察してたんや」 「わざわざ偵察してたんですか?」 「まあ、食べ歩きは俺の趣味みたいなもんやからな。わざわざ言うわけでもないで」    それでも、柳は雪本が店を気に入ってくれたので、嬉しそうだ。   「うまいもん食うぐらいしか楽しみないもんなあ。こっち来てから週末はヒマでしゃあない」 「何か趣味とかないんですか?」 「趣味なあ……大阪おる時は休みは野球やったりしてたんやけど」 「野球かあ。見るのも好きですか?」 「いや、俺はプロ野球には興味なし。あったとしても、こっちはみんな巨人ファンやろ?」    雪本は巨人ファンというわけではないが、確かに東京で野球を見る気にはなれないのかもしれないな、と思う。  野球をやろうにも、仲間がいないと難しいだろう。  しかし、考えてみれば雪本もこれといった趣味があるわけでもなく、土日は家にいることが多い。   「俺もたいがい土日はヒマですよ。柳さんだけじゃないと思いますけど」 「ホンマか?それやったら、雪ちゃん東京観光連れてってぇな。俺まだ、どこも行ったことないし」 「東京観光ですか?」    東京には長年住んでいるが、観光に行ったことなどないので、困ってしまう。  地方から来た人はどこへ行きたいというのだろう。   「どこへ行きたいんですか?」 「浅草とかエエなあ。雰囲気が下町っぽいから、大阪と似てるんちゃうかなあ」 「浅草ですか。いいですよ。俺も別に詳しいわけじゃないから、案内とかできるわけじゃないですけど、つき合うぐらいなら」 「行こ行こ!雪ちゃんの都合のエエ時に。俺はいつでも空いてるから」 「はいはい、分かりました。お供させて頂きます」    転勤してきた人に東京を案内するのは、後輩の役目のようなものだ。  しかし、休日に一緒に遊びに行く約束をして、雪本は嬉しかった。  学生時代の友人ともだんだんと会わなくなり、最近は友達らしい友達も減ってきていた。  休日に気軽に誘えるような相手は雪本にもいなかったのだ。  居酒屋を出て、柳と一緒にマロンへ向かう。  ママに行くと言ってしまったから、と言うので雪本もつき合うことにしたのだ。   「あら~今日は雪ちゃんと一緒やの。久しぶりやねえ」    ママの何気ない言葉に、柳は佐野とも一緒にちょくちょくここへ来ているのだろうと想像がつく。  今日も本当だったら佐野と一緒に来るはずだったのだ。   「俺は、今日は代打で」 「あら、柳ちゃん色男やわあ。どっちが本命やの?」 「そら雪ちゃんに決まってるやん」 「うまいこと言うて。ま、そういうことにしといたげる」    このテのやりとりに雪本もある程度慣れてきた。  本気にするような話じゃない。  週末だというのに客は少なく、ママと三人でかなり飲んでいたら、バタンと扉が開いた。  やっと誰か客が来たのかと振り返ってみれば、そこに佐野が立っていた。   「佐野ちゃん、どうしたんや、今日は用事ある言うてたん違うかったんか?」 「うん、用事早く終わってん……」  佐野は心なしか顔色が悪い。  ふらふらと柳の隣の席に着くと、いきなりテーブルの上に突っ伏してしまった。   「どないしたんや?何かあったんか?」 「柳さん、もう僕、アカンわ……立ち直られへん……」    佐野は涙声で、柳はオロオロしている。   「うまいこといってへんのか? 例の課長と」    佐野は突っ伏したまま無言でうなずく。  課長、という言葉が出てきたので何か仕事上で問題を抱えているのかもしれない。  そして柳はその事情を知っているのだろう。   「柳さん……今日は、柳さんに甘えても構へんかなあ」 「ええよ、俺でよかったら話ぐらい聞くから」    雪本としてはよその部署のましてや総務のもめ事を耳にするのは気が進まない。  総務部は社内秘の情報を扱っているので、うかつに部署の問題を他人に話してはいけないはずだ。  柳はまだ本社のことを何も知らないので、佐野にとっては良い相談相手なのかもしれないが、雪本はここは自分は席をはずした方が良いだろうと思った。  

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