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第7話 疑惑

「俺、先に帰ります」    雪本が柳にそう声をかけると、佐野がちらり、と雪本の方を見た。  目は泣きはらしたような様子である。  雪本は佐野が無言で帰ってくれ、と訴えているように感じてしまった。    これは佐野と柳の問題なので、今日のところはお勘定は柳のおごり、ということでいいだろう。  雪本が黙って席を立つと、柳はあわてて外まで追いかけてきた。   「雪ちゃん、ごめんやで。佐野ちゃんちょっと事情があってなあ」 「いいですよ、その代わり、今日は柳さんのおごりで」 「ああ、もちろん。ホンマ悪いなあ、俺が誘ったのに。この埋め合わせはまたするから」    柳は申し訳なさそうに両手を合わせて謝ってきた。  しかし、佐野が突然やって来たのは別に柳のせいではない。  柳に腹を立てる筋合いではないのだ。    帰路につきながら、どうしても佐野のことが気になっている。  佐野は悩み事なども柳には話しているのだろう。  あの場の空気は、雪本がいると邪魔で話せない、という空気だった。    今日は甘えても……と言った佐野を柳はどうするのだろう、と変な想像もしてしまう。  柳は情に脆そうなところがあるから、あんな風に頼られると佐野のことは放っておけないだろう。  それに、佐野は可愛らしい顔立ちをしている。  男が好きなら、ああいうタイプは好きなのではないだろうか、と想像する。  まあ、俺には関係のない世界だけど、と自分に言い聞かせながら、それでも柳と飲んでいるのを邪魔されたのはあまりよい気分ではなかった。  柳と佐野がソッチの世界の人だと分かっているのだから、これ以上は踏み込んではいけないのだろう。  そう思いつつも、疎外感があった。    週末をはさんで、雪本は気持ちを切り替えた。  柳とは単なる仕事の同僚だ。  柳と佐野の間に特別な何かがあったとしても、自分には関係ない。  それに佐野がそんなに柳と親しくしているのなら、柳の世話も自分がみる必要はないだろう、と思う。  仕事では仕方ないにしても、プライベートにまでは踏み込まない方がよさそうだ。    観光案内など引き受けてしまったが、断ろうかと思っていた。  それも今となっては佐野の仕事だろう、と言いたい。  佐野は毎日のように、昼休みにやってきては柳の姿を探している。  柳と雪本は基本的に一緒に動いているので、柳がいる時には雪本も社内にいる。  佐野の動向は嫌でも目についてしまうのだ。    佐野はだんだんとあからさまに柳に甘えるようになってきた。  社内でも腕に触れたりしているのがやたらと目につく。  総務部の佐野がわざわざ毎日のように柳のところへやってくるのは、他の社員の間でも噂になり始めていた。  ただでさえ、関西人二人が話をしていると目立つのだ。   「アイツら、仲いいよなあ、最近」 「ほんと。佐野は可愛いからなあ」    暗に二人の関係が怪しい、ということをほのめかす社員もいる。  転勤してきたばかりだというのに、柳にとってはあまり良い噂ではない。  雪本は柳に忠告しておこうかと思ったが、『社内で仲良くし過ぎるな』などと言うと、自分がヤキモチを焼いているみたいでなかなか言い出せない。    ある時営業部のフロアの外にあるコピー室で、雪本は柳と佐野が抱き合っているのを偶然見かけてしまった。  佐野が甘えていて、柳がそれをなだめている、というような雰囲気ではあったが、場所が悪すぎる。  他の社員が通りがかりそうになったので、慌てて雪本はその社員に話しかけて注意をよそに向けてやった。    やっぱり、柳さんに話そう。  このままでは悪い噂が立ってしまう。  二人がつき合っていようがいまいが、社内ではやっぱり節度を持つべきだ。  お節介だと思われようが、それが柳のためだと雪本は思った。   「なあ、雪ちゃん、今日はどうするん?」    週末、仕事を終えて柳が誘ってくる。その日は外回りが遅くなったので直帰することになっていた。  雪本は、柳と話をするチャンスだと思った。  仕事中にする話でもないので、なかなか言う機会がなく日が過ぎてしまっていた。   「そうですね、軽く飯でも行きますか?」 「そやな。居酒屋でも行くか」    柳はめずらしく雪本の方から誘われたので、途端に嬉しそうな顔をして手帳を取り出す。  柳に連れられて行った居酒屋は、前の店とはまた違った雰囲気だが、ジャズの流れるお洒落な和食の店だった。  せっかくのいい雰囲気を壊すような話題で申し訳ないが、と思いながら雪本はいきなり本題を話す。  佐野とのことで噂が立ちかけているから、気をつけた方がいい、と言葉に注意しながら柳に告げた。   「そうか……俺と佐野ちゃんがなあ。そんなつもりはなかったんやけど」 「俺はね。別に柳さんと佐野ちゃんがつき合ってても構わないんですよ。だけど、社内ではあまりいい目では見られないでしょうから」 「雪ちゃんは、俺が佐野ちゃんとつき合ってても構へんのや」 「そりゃあ、恋愛は自由ですから。俺は別にそれで変な目で見たりはしませんよ」 「そうか……」    柳はなぜか寂しそうな顔をする。  雪本にしては精一杯理解を示したつもりだったのに。   「俺は佐野ちゃんとはつき合うてへんよ。佐野ちゃん、ちょっと寂しいだけなんやわ。最近恋人とうまくいってへんから」 「そうなんですか」    そんなことは自分にはどうでもいいことだ、と雪本は思う。  佐野が恋人とうまくいっていないというのなら、尚更柳に乗り換えようとしているのかもしれないではないか。  実際、柳と佐野が抱き合っているのを目撃したばかりだ。  柳が佐野をかばうために言い訳をしているようにも聞こえてしまう。   「そやけど、忠告してくれてありがとうな。俺、気をつけるわ。誤解されたら俺も困るし」 「余計なことかと思ったんですけどね。柳さんに悪い噂が立ったら、俺も嫌ですから」    言うべきことは言った。柳も気を悪くするでもなく、話題を変えて楽しく食事をした。  

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