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第11話 佐野の挑発

 翌週、何事もなかったように雪本と柳は会社で顔を合わせた。  しかし何事もなかったようなふりをしていても、雪本は気がつくと柳の顔をぼーっと見ていたりしていた。  隣の席で書類を書きながらボールペンを銜えている柳の唇をじっと見てしまう。   「どうしたんや?どっか具合でも悪いんか?」    ふと気づいた柳が雪本の様子を心配する。   「えっいや、その……ボールペン書きやすそうだな、と思って」 「ああ、これか?これ、得意先でもらってきたんやけど、まだあるで。ちょっと待ってや」    柳は笑顔を浮かべてごそごそとボールペンを探し出すと、はい、と雪本に差し出す。  耳が熱くなるのを感じながら、雪本はペンを受け取って仕事の続きをするフリをする。    意識しているのは俺だけだ……  柳が爽やかな顔をしているのが、悔しいような気がする。  あんなに貪るようにキスしたくせに……などとつい考えては顔が赤くなってしまう。   「なあ、雪ちゃん熱あるんと違う?顔赤いで」 「ああ、そうかな……ちょっと風邪ぎみかな」 「救急箱に風邪薬あるんと違うかな、探してこよか?」 「いや、大丈夫。今日はそんなに忙しくないし」    いけない。  仕事中に妄想は禁止だ、と雪本は仕事に集中しようとする。    昼休みにはいつものように佐野がやってきた。  柳は立ち話はせずに、すぐに佐野を連れて外へ昼食に出たようだった。  忠告を聞いてくれて、立ち話をするのはやめたのだろう。    一人になると雪本はほっとした。  午前中、どうも柳を意識し過ぎて肩が凝ってしまったようだ。  週末、柳がまた飲みに行こうと誘ってきたが、雪本は断った。  佐野と三人なら行っても良かったのだが二人だと言うので、まだ柳と二人きりで飲みに行く勇気は出なかった。  あの時のことに触れられたくもない。    避ける訳ではないのだが、もう少しほとぼりが冷めるまでプライベートでは柳と二人きりにはなりたくなかった。  それでなくても仕事で一日中一緒で、雪本は自分の気持ちやとまどいを隠すのに苦労していた。    結局柳は佐野と一緒に飲みに行ったようだ。  仕事が終わって佐野が柳を迎えに来て、一緒に出て行ったのを雪本は密かに見送っていた。  佐野と総務課長の関係がどうなったのか、雪本は知る由もないが、佐野はあいかわらず柳にべったりだ。  ひょっとして、もう課長とは別れて柳に狙いを定めたのかも知れない、という風に見える。    佐野なら、なんのためらいもなく柳に抱かれるんだろうな……と想像すると胸が苦しくなる。  なんで佐野にできることが、俺にはできないんだろう。  ただ経験のあるなしの違いだけではないのか。   ゲイだから、とかノンケだから、と決めつけているのは自分で、そんなことは関係ないようにも思う。  ゲイだってノンケだって、突っ込まれる時に痛いのは一緒じゃないか。    気がつけば、柳と佐野のことばかり考えてしまっている。  佐野ならお似合いだと思う反面、寂しくて仕方がない自分がいる。  もし、男に抱かれることができれば、柳は自分を選んでくれるんだろうか、という考えがよぎる。  ほとぼりを冷ますつもりが、逆に柳と距離を置くことで雪本の気持ちは追い込まれていった。    翌週の昼休み、佐野がいつものようにやってきてめずらしく雪本に声をかけた。 「雪ちゃん、今日、お昼一緒に行かへん?」 「え? 俺? 柳さんじゃなくて?」 「うん、ちょっと雪ちゃんに話があって」 「いいけど……」    佐野がわざわざ話がある、なんて不気味だ。  今まで一度も二人で食事などしたことないのに、いったいなんの用だというのだろう。  考えられるのは柳に関することしかない。  雪本は気が重い、と感じながらも仕方なく佐野と一緒に食事に出ることにした。  その日に限って柳は課長に呼ばれてどこかへ行ってしまっていたので、佐野はそれを見計らって雪本に声をかけてきたようである。    会社から少し離れたところにある喫茶店に行こうと佐野は言った。  どうやら社内の人間には聞かれたくない話なんだろう。   「あのね、単刀直入に聞くけど雪ちゃん僕のこと柳さんに何か忠告したやんね。社内で仲良くするな、とかなんとか」 「ああ……そのことか。ウチの部署でちょっと噂になりかけてたからな」 「柳さんにあんまり営業部に来るな、って止められた」    そりゃあその方がいいだろう、と雪本は口には出さないが思う。  何より総務課長の耳に届くような噂になったら、困るのは佐野ではないかと言いたいが、それは言うことができない。   「念のために聞いておきたかったんだけど……それって、雪ちゃんのヤキモチとかじゃないやんね?」 「ヤキモチって、俺がいつそんなこと。佐野ちゃんと柳さんがいつも一緒にいても、俺そんなこと気にしたことないし、仲いいんだなあって思ってただけで」 「そう。それならいいんだけど。じゃあ、雪ちゃんは柳さんのことなんとも思ってないんだよね?」    佐野は挑戦的な視線を投げかけてくる。  なんとも思っていない、という言葉に雪本はチクリと胸が痛んだが、何も佐野に本心を打ち明ける必要もない。   「柳さんはいい人だと思う。それだけ。佐野ちゃんと仲良くするのも、噂にならないような場所でなら全然構わないと思うけど」    佐野は少し安心したように笑顔を浮かべた。   「じゃあ雪ちゃん、僕が柳さんもらってもいい?いいよね?」 「もらってもって……柳さんは別に俺のものじゃないんだから、許可とる必要ないだろ」 「雪ちゃんにはさ。正々堂々と言っておこうと思って。僕、社内で柳さんと会えなくなるなら、社外で個人的におつき合いしようと思ってるから」    今度はズキっと胸が痛む。  やっぱり佐野はそこまで柳のことを好きなんだ。  ということは課長とは別れたんだろうか。  確かめてみることはできないけれど。  

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