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―傷跡とナイフ―

カミソリで切った古傷から、真っ赤な鮮血が溢れ出た。  ボタボタと腕から、生ぬるい血が流れ落ちる。そして、水で濡れた足下のタイルを赤く染めた。  ヒリヒリと痛む傷口からドクドクと大きく脈を打つ。その瞬間、自分は『生きてるんだ』と実感する。  虚しく空いた胸の穴を塞ぐように。  押し寄せる不安感を取り除くように。  満たされない思いを埋めるように。  生きる辛さから逃れるように。 痛みが唯一の逃げ道だとしたら、それをする事で自分は自分らしくいられた。 今にも叫びそうになる声を圧し殺すように。自分を傷つける事で、そのざわめく気持ちを落ち着かせた。  リストカットは究極のだ。  もうそれしか逃げ道も、何処にも無いんだから――。

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