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―傷跡とナイフ―
夜も深まる頃、胤夢は家に帰った。そして、玄関の扉を開けると其処には家政婦の若い女性が出迎えるように立っていた。
「お帰りなさいませ、胤夢お坊っちゃま。お夕飯の支度が既に整いておりますが、お食事にしますか?」
彼女は髪をきっちりと結い。身なりを完璧に整え赤い眼鏡に利発な感じの品がある女性だった。
そんな彼女の唇には薄い赤色の口紅が塗られていた。胤夢は彼女に目を向けると、興味ない顔で素通りして玄関を上がった。
「――別にお腹空いてないからいらない。というかまだ帰ってなかったんだ。もうとっくに帰る時間じゃないの?」
そう言って一言話すと、自分の部屋に戻ろうとした。
「それは出来ません。私はお坊っちゃまが家に無事に帰って来るのを見届ける義務がありますので。家政婦としての役目をこなしているだけですので、どうか私の事はお気になさらず」
彼女がそう言ってニコッと笑うと、胤夢は疲れた溜め息をついた。
「あっそう。じゃあ、好きにしなよ。千尋 さん、口紅なんか付けて珍しいね。何か『良い事』でもあったの?」
二階の階段に上がる際に不意に話すと、彼女は彼の腕を掴んだ。そして、ニコリと笑った。
「胤夢お坊っちゃまお食事にしましょう。今日は旦那様が海外からお帰りになられました。先ほどからお坊っちゃまを食堂でお待ちになられております」
そう言って彼女は胤夢の腕を掴むなり、その場で引き止めた。
「――父さんが……?」
「ええ。さあ、一緒に行きましょう」
「いらないって言ってるだろ、離せ!」
「いけません、旦那様が胤夢お坊っちゃまと一緒にお食事すると言われたのです! さあ、温かい料理が冷めないうちに召し上がりましょう!」
急に彼女は豹変すると、いきなり声を荒らげて胤夢の手を掴んだまま強引に食堂へと連れて行った。彼女に無理やり連れて来られると広い食堂に父がテーブルの椅子に座って待っていた。
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