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惹かれ合うさき……
「――チェッ、逃げられたか。このまま行けると思ったんですけどね。やっぱり世の中の女性は格好良い男の方が好きなんでしょうかね? いや〜、先生には本当に敵いませんよ。渋くて美男で紳士的なんて彼女もきっと先生に惚れてますよ」
「まったく冗談も大概にしたまえ。彼女みたいな若い女性は、私みたいな年上の男に簡単に惚れたりはしないさ。君は単純で視野が狭いな。もっと人生の経験を積んでから物を言いなさい」
彼は迷惑そうな顔で説教臭く話すと、自分の上着のポケットからタバコを取り出して口に一本咥えるとライターをカチカチと鳴らせて火を着けた。
「さすが先生、経験豊富で素晴らしいお言葉です! 私も色々と人生の経験を積まないとですね。いや〜、本当に仰っしゃる通りです!」
そう言って自分のオデコを叩くと彼は反省した。
「では私も失礼します。せっかくの親子水入らずの時間をこれ以上邪魔したら悪いので。きっと彼女も気を遣わせて早く帰ったに違いありませんので――」
何も知らない黒嵜は彼らに話すと、そこで立ち去ろうとした。すると胤夢が声を掛けた。
「黒嵜さん、俺も一緒に乗せて下さい。父さんはさっきお酒を沢山飲んだから車を運転するにも危ないから、このまま今日は何処かのホテルに泊まると思います。だから俺は先に家に帰ります」
「え、そうなのかい? だけど……」
そう言って胤夢が彼を引き止めると、父は然りげ無く息子の肩に手を乗せてクスッと微笑を浮かべた。
「ああ、そうだとも。今日は少し飲み過ぎたからこのまま上の階にあるホテルに泊まって、息子と明日の朝、帰るつもりだ」
「ッ…――」
後ろから父に肩を掴まれると、胤夢は不穏な空気に言葉を詰まらせた。
「すまないね黒嵜君。うちの子が突然、ワガママを言って。さあ、父さんと一緒に上に行こう」
「いえいえ、滅相もないですよ」
父は息子の肩をしっかり掴まえると、そのまま上に連れて行こうとした。そこで逃げ場を失うと黙って俯いて歩いた。
「そうだ胤夢君! 今日は僕も、君のお父さんの誕生日に誘ってくれてありがとね!」
彼は後ろから声を掛けると明るく手を振った。胤夢は黙って後ろを振り向くと、物言いたげな目で不安そうな顔を見せた。その表情が何故か悲しそうに見えると不意に尋ねた。
「どうしたの? 顔色悪いけど大丈夫?」
黒嵜はそこで気になると、彼らに近寄って様子を聞いた。すると父が息子に目を向けると、直ぐに話しを遮った。
「すまないなが胤夢は疲れているんだ。じゃあ、私達も失礼するよ」
そう言って彼は息子の肩を自分の方に抱き寄せると連れて行った。黒嵜は不思議そうな顔で、『おやすみなさい』と言って二人を見送った。
二人でホテルの階に辿り着くと、フロントで父が部屋のカードキーを貰い。そのまま近くのエレベーターに乗ると最上階のボタンを押した。
胤夢はガラス窓に広がる外の景色を黙って眺めながら、ただ不安しかなかった。エレベーターは真っ直ぐ上へと向かう。そのスピードに軽く目眩すら感じた。
どうしょうもない事が次から次へと起こると、彼はその現実を前にただ流されるしか無かった。そして、この世界で自分は『一人』だと気付かされる。誰も自分を救ってくれない虚無感が胸の中で広がると深く溜め息をついた。そして、有りのままの現実を受け入れる事で、少年は自分の心を切り離した――。
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