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お願い 5
「だから、お願い。これ以上ボクを困らせないで。期待させるような事しないで。キミはナギ君の所に戻ってあげて? 今話した事全部、言うべきは僕じゃないだろ」
そこまで言うと、雪之丞は小さく息を吐いた。
これでいい。今はこれが一番正しい選択なのだと言い聞かせながら、必死に込み上げてくる涙を堪えて、もう一度微笑んで見せる。
「強いな、雪之丞は」
「……ボクもう行くから。暗号の件、ちゃんと東雲さんに依頼してね」
蓮の呟きには答えず、また明日。 と精いっぱいの笑顔を向けて蓮に背を向け歩き出した。
自分は強いわけでも、諦めがいいわけでもない。 この行き場のない思いを蓮にぶつけられたら、少し心は軽くなっただろうか?
否、恐らく答えはノーだ。
きっと、余計に苦しくなるだけ。自分が惨めになるだけだろう。
足早に曲がり角を曲がり、蓮の姿が見えなくなってから雪之丞は足を止めた。
「……強くなんて……全然ない」
ポタリポタリとアスファルトに染みが出来ていく。顔を上げると暗い雲の隙間から糸のような雨が静かに降り注いでいた。
まるで、雪之丞の心を表すかのような冷たい雫が頬を伝い、全身を包み込むように濡らしていく。
蓮はちゃんとナギの元へと帰っただろうか? 自分を追って来ないという事はつまりそういうことなのだろう。
本当はまた追いかけてきて欲しかった。一緒に居て欲しいと泣きつきたかった。
だけど、そんな事をしたらきっと蓮は困ってしまうだろうし、ナギを傷付けることになってしまう。
誰にも傷付いて欲しくないという気持ちは単なる自分のエゴかもしれない。……そんなのは所詮ただの綺麗ごとだ。頭ではわかっているのに、自分の気持ちを抑えることが出来ない。
「蓮……君……っ」
求めても得られない。手を伸ばしてみても届かない。どうしようもない焦燥感と喪失感が押し寄せてくる。
いっそ、全て忘れられたらどんなに楽だろう。溜息と共に吐き出された息は、強くなり始めた雨の中で白く煙って消えていった。
「ほんっと、何やってるんだろ……ボク」
降りしきる雨の中、ポツリと呟いた言葉だけが虚しく響き渡る。
込み上げてくる思いは涙となって今にも溢れてしまいそうだった。必死に堪えて、それでも堪えきれなさそうで、拳で無理やり目頭を押さえつけた。
「……っ、ぅ……っく……」
嗚咽が漏れそうになるのを必死に堪えていると、不意に目の前に紺色の傘が差し出された。
「やっぱり、棗さんだった。 何やってるんですか、こんな所で」
そう言って心配そうな顔をしながらこちらを見下ろしている綺麗な整った顔をした男。その人物を見て、雪之丞は驚きに目を見開いた。
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