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閑話 ご休憩

(すい)さん、大丈夫ですかね。」 編曲も終わりが見えてきてそろそろ一息つこうかというその時、隣でアシストをしてくれていた黒澤さんから漏れ聞こえてきた言葉に、俺は片耳にあてていたヘッドホンを下ろした。 「あー、……そういや任せっぱなしでしたね。」 怒り狂うオリヴァーが彗さんを連れ去った事実をようやく思い出し、思わず重いため息が漏れる。 そうだった。こちらはうるさいのがいなくなったおかげで編曲に集中出来たけど、彗さんは今頃どうなっている事やら。数時間前のオリヴァーの剣幕と怯えた彗さんの顔が脳裏に蘇る。無事だといいんですけどね、と言う黒澤さんの独り言にも近いボヤキに、俺は苦笑するしかなかった。 「まぁ、大丈夫だと思うけど。ほら、彗さん気遣いできるし、あの我儘貴公子も案外大人しく観光でもしてるんじゃ…」 「いや、そっちじゃなくてですね。」 俺の言葉尻に被せるように発せられた否定の言葉に首を傾げる。そっちじゃないってどっちだよ。 眉をひそめて視線で問えば、黒澤さんは意味深な視線と共になぜだか楽しげに口を開いた。 「グリーンフィールド氏、ゲイを公言してましたよね。(しき)さんも初日の顔合わせの時、たまたま居合わせた恋人さんに手ぇ出されそうになったとか聞きましたけど?」 「あ゛」 しまった。 無事だといいんですけどねと、再度漏れ聞こえた呟きに、ざ、と自らの血の気が引いていく音を聞いた気がした。 手にしていたままだったヘッドホンがカシャンと床に落下する。 「忘れてた。」 今から三日前の出来事。話の空気をつかみたいからとこっそり撮影現場にお邪魔させて貰った時に意図せずオリヴァーと顔を合わせる事になった。 俺の正体は公表してないんだから、誰だ貴様などと失礼極りない態度だったのは別にいい。俺のヴァイオリンにケチをつけたのもまだ許せる。 だけど、監督に紹介するために連れてきていた俺の連れに抱きつきやがった事はいまだに思いだすだけで拳が震える。 そうだよ、あの野郎自分が気に入ったものに対しては相手が誰であろうとお構いなし。傍若無人なナンパ野郎だった。 急に不安が胸の内をグルグルと渦巻き始める。 「い、いや、でもアイツ年下が好みとか何とか…」 「彗さん、ベビーフェイス日本代表みたいな顔してますからね。いやぁ、それにほら、二時間なんて時間まさにご休憩…」 「ちょ、冗談やめてくださいよ。」 いやいやまさか、そんなはずない。 そう自分に言い聞かせながらも俺はズボンのポケットにねじ込んでいたスマホを取りだし画面をタップする。 『はい、小比類巻(こひるいまき)です。』 声はそう待たずに聞こえてきた。 「もしもし、彗さん!?」 『色さん、どうかされましたか?』 「あ、いや、ちょっと心配になって。」 特に危機迫った様子もない、いつもの彗さんだ。とりあえず何事もないようで、俺は一気に脱力する。 そうだよな。オリヴァーのやつも、いくらなんでもそこまで無節操じゃないよな。 声を殺して笑う黒澤さんに脅かさないでくださいよとひと睨みしてから、俺はスマホを耳に当てたまま、床に落としっぱなしになっていたヘッドホンに手を伸ばした。 「ごめん、何も無いならそれでいいんだ。近くにいるんだろ?」 『はい。どこか休憩できるところをと思って今……あ、ちょ、何してるんですか!!』 突然、電話口の声が焦りだし、彗さんの言葉が日本語から英語に切り替わった。やめてくださいという叫び声とガサガサという雑音が耳につく。 「す、彗さん?」 『ダメだって言ったじゃないですか!』 『きてしまったものはしょうがないだろ。諦めろ。』 「彗さん、彗さん?」 遠くからオリヴァーらしき声が聞こえる。何度か呼びかけてみたものの、俺の声はどうやら届いていないらしい。 『そんな大きなの、無理ですって、』 『やってみなくちゃわからないだろ。もう黙って咥えてろ。』 『むぐ、んんっ!』 明らかに何かを言い争っている声と物音。 状況が全く見えてこない。いったい何がどうなってる? 「彗さん、彗さん!」 必死に呼びかける俺を見て黒澤さんもただ事ではないとわかったのか、不安そうに眉を顰める。 とにかく応答してくれと願いながら彗さんの名前を呼び続けていると、電話の向こうからイラついた声が聞こえてきた。 『ちょっと貸せ。』 『んんっ、ごほっ、』 ガサガサと激しくなる物音。 電話に耳を押し当て注意深く音を聞いていたら、いきなりおい、と大音響で声がした。 『siki!今取り込み中だ。切るぞ!』 鼓膜を破らん勢いで飛び込んできた声を最後にツー、ツー、と無情にも音を立てるスマホ。 拾ったはずのヘッドホンが気がつけばまた手から落下していた。 呆然とする俺を、黒澤さんが恐る恐る覗き込んでくる。 「えーっと、彗さん大丈夫でした?」 「…………大丈夫、…じゃないかも。」 いったい電話の向こうで何が起こっているのか。 完全に沈黙してしまったスマホ画面を見つめても、答えが返ってくることはなかった。

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