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第8話
火花が、見える。
二十歳と十七歳。若い二人が口元をへの字に曲げ、互いを睨み合う。
ああ、これは触らぬ神になんとやらだ。僕は音を立てないよう後ろ手でゆっくりとドアを閉めた。壁伝いにそっと部屋の奥へ回り込み、ミキサーの前に座りのほほんとことの成り行きを傍観していた黒澤さんへと歩み寄る。
「……何があったんです?」
口元に手を当て密やかに問えば、黒澤さんの口から苦笑がもれた。
「まぁ、貴公子様がね。」
聞かずとも予想はしていたけれど、やはり。
音楽家として確固たるものをお持ちの二人だ。意見のぶつかり合いはいたしかたないとは思うけれど、それにしてもなんでこう仲良くできないんだろうか。はたして今回は何で揉めているのやら。
「おい、本気で言ってんのか?」
「ふん、この俺がジョークを言うとでも思っているのか?」
色 さんの怒りを孕んだ問いかけを、オリヴァーは鼻で笑い飛ばした。色さんの片眉がひくりと跳ね上がる。
圧が、圧が怖い。
まさに一触即発の空気。暴力沙汰だけは勘弁して下さいと心の中で祈りつつ、仲裁に入る勇気なんてこれっぽっちも持ち合わせていないので、空気になることに徹する事にした。
オリヴァーのオーシャンブルーの瞳がぎ、と色さんを睨みつける。
「何度も言わせるな。残りの曲もヴァイオリンは全て俺に弾かせろ。」
「へ、」
思わず口をついて出た声に、慌てて自らの口を両手で押さえた。
チラリと隣に座る黒澤さんに視線を移せば、そういう事らしいです、と肩を竦める。
今回の映画音楽。テーマ曲と劇中曲の二曲の演奏は話題を集める為にと監督からオリヴァー・グリーンフィールドへ直接依頼をかけたと聞いている。
その他全ての曲は作曲者であるsiki、つまり色さんの演奏でと決まっていたはず。
だから今日、ワールドツアーの下見の為に日本を訪れていたオリヴァーの時間をもらってなんとか二曲だけレコーディングをしたというのに。
「俺が関わるからには出来うる最高のものを作る。 ヴァイオリンはたとえ貴様にも譲らない。」
強い言葉に、色さんの眼光に鋭さが増す。けれど、色さんは何も言い返さなかった。
残酷な言葉だ。sikiの曲を評価していると、けれどヴァイオリニストとしての実力は自分より劣ると。オリヴァーの言葉はそういう事なのだから。
色さんはぐっと拳を握りしめる。
「……ワールドツアー始まるんだろうが。あと何曲あると思ってる、レコーディングの時間も、そもそも練習の時間すら取れないんじゃないか?」
「時間は作る。なんならツアーを延期すればいい。」
「は?」
ぽかんとした表情を浮かべた色さんを見て、オリヴァーはふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「シキの曲とワールドツアー、天秤にかけるまでもないだろう。コンサートなんていつでも出来る。」
「いや、それこそ天秤にかけるまでもねぇだろ……」
色さんの動揺をよそに、オリヴァーはスマホを取り出しどこかへと電話をかけ始めた。
「あー、アマンダ、……ああ、予定変更だ。二週間後の日本公演の時に一日スケジュール開けろ。……あ?あぁ、そんなものキャンセルだ。それから明後日帰国してからいつもの練習スタジオを使うから押さえとけ。一週間そっちに寝泊まりする。」
彼の言葉から察するに、電話の相手は本日オリヴァーの代わりにコンサートホールの下見と手続きを行っているであろうマネージャーさんだ。
ジョークでもなんでもなく、彼は本気でこの映画音楽に深く携わるつもりなんだろう。日本国内だけで上映されるような、ありふれた映画に。
色さんと黒澤さんがどうしたものかと視線を合わせて苦笑する中、僕は二人からほんの少しだけ距離をとってスタジオの隅に置いていた鞄から手帳を取り出す。今回の仕事を受けるにあたって記していた番号へ迷うことなく電話をかけていた。
真剣、なんだ。色さんも、オリヴァーも。
だからこそ、僕はそんな二人のために出来ることをしなければ。
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