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第12話
「ホテルのレストランで…」
「飽きた。」
「じゃあせっかくですからお寿司でも…」
「魚は好きじゃない。生魚なんて本気で食べるつもりか?」
「……じゃあ何なら食べるんですか。」
食事に付き合ってやると呼びつけられたものの、当然のように店は僕まかせ。
相次ぐNOにげんなりしながら聞いてみれば、ホテルの駐車場で止まっていた車の中、オリヴァーはほんの少しの沈黙の後わずかに口角を上げ、笑った。
「何でもいい。俺の事を知らない人間の中で、平凡な料理が食べたい。」
どこか寂しげに笑うその横顔を見ながら、僕はふと色 さんの顔を思い出していた。
そうか、この人も色さんと似たようなものを抱えているのかもしれない。
だってこの人はヴァイオリンの貴公子と称されるオリヴァー・グリーンフィールドなんだから。
「……僕がよく行くような、庶民的なお店でいいです?舌の肥えた人に味は保証できないですけど。」
それでもいいですかと聞くより早く、オーシャンブルーの瞳がキラキラと輝き嬉しそうに細められた。
オリヴァーの宿泊していたホテルから一駅ほど離れた駅前のコインパーキングに車を停め、今朝と同じく帽子とサングラスを絶対に外さないように念押してから大通りを一本入った細い裏路地へ。
昼間は近くにある大学の学生達で賑わっているこの通りも、今の時間はガラリと姿を変え、仕事終わりのサラリーマンの姿がちらほら。この辺りは僕の会社からもほど近く、昼食や仕事終わりによく利用させてもらっている店が何件か立ち並んでいる。
物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回すオリヴァーを引っ張って行くこと数分、僕は小さな看板がかかった扉の前で足を止めた。
レンガ造りの壁にアンティークな扉が目を引く、どこにでもありそうな年季の入った洋食屋さん。壁にかけられた木製の看板には「comodo 」の文字が控えめな筆記体で書かれている。
薄暗くなり始めた今の時間、淡い光が外観を優しく照らしていた。
「いいな。いかにも庶民の店だ。」
「もう、店内でそんな事言わないで下さいよ?」
褒めているのか貶しているのか微妙な評価を聞きながらドアノブに手をかける。カランとベルの音を立て店内に入った瞬間、サングラス越しにオリヴァーの瞳が軽い驚きに見開かれたのが分かった。そのオーシャンブルーの瞳は、店の奥に置かれていたアップライトピアノに向けられている。
壁際の厨房を囲むように設置されたカウンターと四人がけのテーブル席が四席ほど。そんな小さな店内にぽつんと置かれたピアノはやっぱり目を引く。年季が入って色がくすんでしまっている壁にはいくつかのレコードのジャケットが飾られていて、店の隅に置かれているアップライトピアノの隣にある本棚には、オーナーの物なのか学生達が持ち込んだのか古びた楽譜が並んでいるクラシカルな店内。
「近くに音大があるんです。課題や練習のために誰でも弾けるようにって置いてあるみたいですよ。」
「ほう。いいな、気に入った。」
お好きな席にどうぞというカウンターの奥からポツリと聞こえた案内に従って店の奥の四人がけの席に座る。
僕達の他にはカウンターにサラリーマンらしき二人組と奥に一人、入口近くのテーブル席には新卒だろうか、若い三人組の姿があった。皆スーツのネクタイを緩めてゆったりとした時間を過ごしている。
昼間は学生達で賑わっているこの店も、夜に酒を交えて騒ぐには広さもメニューも物足りない為か授業を終えた若者達をこの時間に見かけることはほとんどない。けれどこの店は空腹を満たすには十分に満足できる量と金額なので、この時間帯はこうして学生達ではなく仕事帰りの単身者や飲み会帰りのサラリーマンの胃袋を主に満たしてくれている。
オリヴァーは肩にかけていたヴァイオリンケースを自らの隣の席に置き、子供のようにそわそわと店内を見回した。
カウンターに座っていたお客からの視線を感じたけれど、それも一瞬だった。この店でオリヴァーのような人間を見ることはさほど珍しい事ではないからだ。
ホテルに置いていくことは出来ないと持参してきたヴァイオリン。サングラスに帽子で隠していても日本人でないことはひと目でわかる長身。けれど音大が近いこの辺りでは、留学生のヴァイオリニストがいても不思議ではない。それが僕がこのお店を選んだ理由の一つでもあるのだけれど、どうやら上手くいったみたいだ。木を隠すなら森の中、だ。
「おい、シー。オススメは何だ?」
読めもしない日本語のメニュー表を捲りながら、かけていたサングラスを少しずらしてオリヴァーの瞳が僕をのぞき込む。まるで宝物を見つけたみたいにキラキラと輝くオーシャンブルー。二十歳の大きな子供を前に、僕は思わずくすりと笑ってしまった。
「ハンバーグはお昼に召し上がってましたから、パスタとかどうです?ナポリタンとか素朴でおいしいんですよ。」
「ナポリタン……なんだそれ?」
「あ、そうか。あれって日本独自の料理でしたっけ。」
「は?パスタでナポリなのに日本料理なのか?」
「ふふ、そう言えばそうですね。」
彼といると当たり前だと思っていたものが違って見えてくる。小さな発見がなんだか凄く楽しい。
傍若無人でやりたい放題、空気なんて当然読めない。それでも憎めないと思ってしまうのは、子供のように純粋で自分に嘘偽りなく真っ直ぐな人だからかもしれない。
「ではシー、そのナポリタンとやらとサラダとあとは…」
「ちょ、お昼あれだけ食べたのに。アマンダさんに怒られますよ?」
「演奏すると腹が減るんだ、いいだろ?……アマンダには内緒な。」
「ふふ、はいはい。」
仕事終わりに無理やり付き合わされているにもかかわらず、僕はこの時間も彼の事も好ましく思い始めていた。
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お店の名前
comodo(伊)
気楽に 楽な速さでという楽語です。
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