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第13話
結局ナポリタンとサラダセット、ポタージュスープにさらにはピザまで頼んだオリヴァーはお昼同様全てぺろりと平らげてしまった。
気持ちいいを通り越してドン引きするレベルの食べっぷりは、オーダーを取る以外は普段物静かにカウンター奥で調理をしているオーナーが、こっそり出てきてデザートのシャーベットをサービスしてくれたほどだ。
「ナポリタン面白いな!芯のないパスタなんて初めて食べた!トマトではなくケチャップというのが庶民的でいい!最高だったと伝えろ、シー!」
興奮気味に告げられた感想を、表現をぼかした上でさらにオブラートに丁寧に包んでから通訳すれば、寡黙なオーナーはサンキューと僅かに口角を上げまたカウンターの奥へと戻って行った。
オーナー……英語、どのくらい理解されてるんだろう。どうかご気分を悪くされてませんように。僕としてはそう祈るしかない。
ともあれヴァイオリンの貴公子として世界に名を知られる目の前の人は、ご機嫌でデザートにいただいたリンゴのシャーベットを頬張っている。どうやら大変にご満足いただけたらしい。
「こういう食事は召し上がらないのかと思ってました。」
「何故だ?俺だってアメリカの田舎の出だ。やはりこういう肩肘張らない食事は楽しいな。」
「僕も……楽しかったです。」
これは忖度なしの素直な感想だ。最近は仕事に追われて食事なんておざなりになっていたけど、久々に誰かと食べるご飯は美味しかったし楽しかった。しかも、その相手はオリヴァー・グリーンフィールドだ。平凡なサラリーマンでしかない僕が世界のヴァイオリニストとナポリタンを食べただなんて、誰かに言っても信じてもらえないかもしれない。
チラリとテーブル越しにオリヴァーの顔を覗き込めば、サングラスの隙間から、オーシャンブルーの瞳が覗いた。
「ん?どうした?」
「いえ。よかったらこれもどうぞ。」
僕の分のシャーベットのお皿を差し出せば、オリヴァーは嬉しそうに頬を緩める。
貴公子と呼ばれるだけあって黙っていれば絵画から抜け出たかのような端正な顔をしているのに、こうなると綺麗、ではなく可愛く見えてしまうのだから不思議だ。
「なぁシー、また暇な時は食事に付きあえ。」
「そうですね。機会があれば。」
毎日は嫌ですけど、とは僕の心の中だけで。
それでもたまになら振り回されるのも悪くないかもしれないな、なんて思いながら食後のコーヒーを一口。カップを傾けていたら、店の入口でカランと来客を告げるベルの音がした。
「お客も増えてきましたし、そろそろおいとましましょうか。」
「なんだ、まだいいだろ?」
「ダメです。」
人が増えればその分オリヴァーの正体を気づかれる可能性が上がる。食事は終えたし、長居は無用だろう。
拗ねて口をとがらせるオリヴァーに帰ります、と再度断言して席を立とうとしたのだけれど、
「お、兄ちゃん音大生か?」
突然かけられた声に僕はビクリと肩を震わせる。
先程入ってきたお客だろう。中年男性とおそらくはその部下なのだろうスーツ姿の二人組。飲み会の帰りだろうか。声をかけてきた中年男性の方は顔が赤く、ほろ酔い状態だった。
「ちょ、先輩だめですよ。」
背後で後輩らしき男性が止めるのも聞かず、中年男性はオリヴァーの事をジロジロと見つめてくる。
オリヴァーは視線を避けるようにサングラスを深くかけ直した。
「なぁ兄ちゃん、なんか弾いてくれよ。」
がははと豪快に笑うこの人に悪意がないのはわかる。だけれど、お酒が入って気が大きくなっている人間相手だ、何が起こるかわからない。なるべく穏便にオリヴァーを連れ出さないと。
「おいシー、こいつはなんと言っている?」
「何か弾いてくれないかと。音大生かと聞かれているので貴方が何者なのかはわかっていないようですが…」
早く店を出ましょう。と言うより早く、オリヴァーがガタリと席を立った。
その口元がニヤリと悪戯に歪められる。
「なんだ、そういう事か。オーケーだ、弾いてやると伝えろ。」
「はぁ!?ちょ、オリ…っ、」
名前を呼びかけて、あわてて自らの口を塞いだ。その間にもオリヴァーは酔っ払いの中年男性にオーケーオーケーと勝手に返事をして、あろう事か椅子をテーブル代わりにヴァイオリンケースを開き始めている。
「ちょ、本気なんですか!?」
「今俺は気分がいい。一曲くらいサービスで弾いてやるさ。」
嘘でしょ。 慌てる僕とは裏腹に、酔っ払った中年男性は拍手喝采、ノリノリだ。
店内にいた他の客達も一体何が始まるのかと興味津々に僕らの方へと視線を向ける。
初の日本公演、チケットは秒で売り切れた世界のオリヴァー・グリーンフィールドが、こんな小さな洋食屋で。
オリヴァーは弓を張り、ケースから取り出した松脂を滑らせる。
どうしよう、この人、本気で弾くつもりだ。
「なにもこんな場所で弾かなくても、」
「場所なんて関係ないだろ。俺がいて、観客がいて、こいつがある。だったら弾けばいい。幸いピアノも、伴奏者もいる事だしな。」
「え、」
弓を張り終えたオリヴァーの指が、かけていたサングラスにのばされる。
わずかにずらされたサングラスから覗いたオーシャンブルーは、真っ直ぐに僕を見つめていた。
「シー、お前ピアノ弾けるだろ。伴奏引き受けろ。」
「……え、」
確信を持って告げられた言葉。
オーシャンブルーに射抜かれて、僕の心臓はドクンと高鳴り、止まった。
「な、んで…」
「ピアノは音楽の基礎だからな。ピアノが弾けないヴァイオリニストなんて少なくとも俺の周りでは見た事ない。シーもそうだろ?」
「いえ、なんで…僕は、ヴァイオリンは…」
嫌な汗がじんわりとにじみ出てきているのがわかった。
頭が真っ白になっていく。
なんで、どうして。
「ほら、シー。観客が待ってるぞ。」
僕の動揺を無視して、オリヴァーは僕の腕を掴むとぐいっと引き上げる。
強い力に引かれるままに、僕はピアノの前へと座らされてしまった。
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