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第16話
綺麗な指が、僕の輪郭をするりと辿る。
「……あの、ぼ…私、どんな顔してます?」
決定的な言葉を聞きたいような、聞きたくないような。すがるような気持ちで僕を見つめるオーシャンブルーに問えば、オリヴァーの口元はうっすらと弧を描いた。
「そうだな……故郷に帰って初めてのコンサートでスタンディングオベーションをもらった……あの時のオレみたいな顔してるな。」
「っ、」
わかってはいた。それでも認めたくなかった事実。
僕は――
「ステージの上で全てを出し切って思う通りに弾ききった。拍手喝采を受けたあの瞬間は……たまらなく興奮したな。」
「ぁ、」
オリヴァーの指が僕の顎を優しく撫ぜる。
オリヴァーの言う通りだ。今僕は……興奮してる。
オリヴァーと演奏できた事実に、観客に拍手をもらえた現実に。演奏者として興奮してるんだ。
昔、ヴァイオリニストを目指していた僕が見たかった光景を、感じたかった感動を。全てを諦めた今になって感じてる。
自分の音楽を諦めて僕じゃない誰かの音を支えようって、そう決めたはずなのに。それなのに僕は今自分で抑えられないくらい興奮してる。
高揚する気持ちと同時に、心臓を渦巻く物が影を落としているのもわかる。
興奮して、絶望して。波は同時に押し寄せて、どうしていいのかわからない。
「……鎮めてやろうか?」
「え、」
ふいに耳元で囁かれた声。それがオリヴァーの声だと認識する前に、柔らかい感触が唇に触れた。
視界いっぱいに広がる、オリヴァーの顔。まつ毛まで金色なんだとかどうでもいい感想を抱いた次の瞬間には、唇から伝わる熱に意識を持っていかれる。
キスされてる。オリヴァーに。そう自覚すると頭に上っていた血液が一気に蒸発せんばかりに沸騰した。
「ちょ、な、にを……」
「自分じゃどうにもできない興奮は、他の興奮で上書きして鎮めてやればいい。」
「んぅ、」
否定の声をあげる前に、また唇を塞がれた。僕の唇に食むように口付けながら、顎にかかったオリヴァーの指が僕の口をこじ開ける。
ぬるりと侵入してきたものに、あっという間に舌を絡め取られた。
「ふ、っんぅ……」
ぴちゃりと水音が鼓膜を揺らす。
止めてと胸を叩いて抵抗の意を示しても、後頭部に手を回されより深く彼の侵入を許してしまう。
うそ、どうして。
歯列の裏を撫ぜられ、ゾクリとしたものが背筋を駆け上がる。それは押しのけようと力を込めていた手からビクリと震えてオリヴァーに伝わり、わずかに離れた彼の口元が緩やかに弧をえがいた。
室内灯の薄明かりの中、オーシャンブルーが真っ直ぐに僕を見下ろす。
また、唇が重ねられた。
何度も何度も。わざとリップ音を立てて僕をせめたててくる。
「ん、や、めて…っ、ん、」
「なんだ、もう足りないのか?」
日本語で言っても伝わらない。わかっているのに混乱して言葉が出てこない。
「ふ……んぅ……」
角度を変えて何度も降ってくる口づけ。息継ぎの合間に漏れる吐息が熱い。
いやだ。こんなの、こんなの、
「力を抜け。一夜限りの遊びなんだ、シーも楽しめばいい。」
リップ音の合間に耳元に落とされた声。低い響きがじん、と脳髄をふるわせると同時に、勢いよく座席を倒された。
「ちょ、…ふぁ、んっ…」
助手席から運転席に身を乗り出してしたオリヴァーが、倒された座席に僕を押し倒す。
見下ろすオーシャンブルーには情欲の色が混ざっていた。
「お、…オリヴァー、」
駄目だ。駄目だ。駄目だ。
こんなこと、あっていいはずない。
そんな瞳、向けないで。
迫る胸を押して抵抗するけれど、オリヴァーはびくともしない。僕の顎を撫ぜた指が下ろされ、僕のベルトに手をかける。
「っ、」
思わずぎゅっと瞳を閉じた。耳元に、熱い吐息がかかる。
「身を任せるなら気持ちよくさせてやる。……オレと関係を持ったとなれば、ヴァイオリニストとしても箔が付くかもしれないぞ。」
「な、」
カチャリとベルトを外す音。苦笑と共に耳に飛び込んできた言葉に、僕は何かがふつりと切れた音を聞いた気がした。
「……かげんに、」
か、と瞳を見開いて、全力で目の前の存在を突き飛ばす。
あとはもう、身体が勝手に動いていた。
「いい加減にしなさい!」
パシンッと乾いた音が、狭い車内に響き渡った。
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