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第19話
スケート場内での反響をみるためのサンプルの録音、ついでに場所を借りたお礼にとクライマックスシーンの撮影のための場内の音響を担当させてもらって、全ては順調に進んだ。
黒澤さんの持ち込んだ機材の方が性能が良かったので、より良い撮影のお手伝いができるなら……などというのはもちろん建前で、純粋に美鳥 さんの生の演技を見たかったし見せてあげたかったから。今日はそのつもりで初めから予定を開けていたというのは監督たちには内緒だ。
色 さんと、色さんの大切な人が同じ場所に立って一つの作品を作る。これを応援しないでどうする。マネージャーとしてではなく、小比類巻彗一個人として、この人達を支えたい。色さんも美鳥さんも、僕にそう思わせる人なんだから。
絶対に成功してほしい映画の、最も大切なシーン。映画の出来を左右する美鳥さんの演技は――
「……そりゃ、惚れるわけだ。」
隣で呆然とリンクを見つめ、ポツリと落とされた黒澤さんの一言に尽きると思う。
クライマックスシーンでヒロインが着るものと同じ、白いゆったりしたブラウスにデニムというシンプルな衣装。いくら細身で中性的な方だと言っても、美鳥さんは男性だ。ヒロインに合わせるためにスタイリストさんの手によってバストやヒップに丸みを帯びた体型に整えられての撮影だったけれど、かなりの無茶である事は間違いなかった。
それでもその演技の美しさに惚れ込んだ監督がどうしても彼を起用したいと本人に頼み込み、美鳥さんはそれに見事に応えた。
女性でないと難しいとされるしなやかで柔軟な技の数々。指先の先まで洗練された動き。決してスクリーンに映ることは無いけれど、その表情ひとつまで。僕達は今日この場所で、病を克服し前へ進み始めた強く気高い女性の姿を確かに見ていた。sikiの曲で氷上を舞う、なによりも美しい人の姿を。
「カット!美鳥さんオールアップです!」
アングルを変えて同じ演技を撮影すること五回。リンクにスタッフさんの声が響けば、僕達をはじめ制作スタッフの拍手が場内に響き渡る。
氷上でほっと息を吐いた美鳥さんは周りのスタッフを見回し、ぺこりとその場で頭を下げた。長い会釈の後に嬉しそうに細められた亜麻色の瞳が見つめたのは、顔見知りである僕…ではもちろんなくて、その隣で優しい笑を浮かべて拍手を向けていた色さんだ。
色さんがパイプ椅子から立ち上がりリンクへ近寄れば、そこに美鳥さんが滑り寄ってくる。
お疲れ様、ありがとうときっと言葉を交わしあっているのだろう。美鳥さんにとってプロとして初めての大きなお仕事だ、僕も駆け寄ってお疲れ様でしたと言葉をかけたかったけれど、そこは遠慮して黒澤さんと共に撤収作業に取り掛かる。そろそろスケート場のオープン時間が迫っているんだ、撮影スタッフはともかく場所を借りている僕達がもたついてご迷惑をかけるわけにはいかない。
二人のやり取りを盗み見ながらコードを束ねていたら、いくつかの言葉を交わし最後に美鳥さんの亜麻色の髪をひと撫ぜした色さんは、なぜだか直ぐにこちらに戻ってきた。
「ごめん、俺も手伝います。」
「あの、お気になさらず。」
「そっすよ、もっとイチャついてくれてていいのに。」
黒澤さんの言葉に、色さんの口元がむすっとへの字に曲げられる。けれどそれはいつもと違って、もごもごと恥ずかしそうに緩んでいるのを僕は見逃さなかった。
「そのネタで弄るの勘弁してくださいよ。」
それは十七歳という年相応のなんとも可愛らしい反応で、僕も黒澤さんも思わずクスリとしてしまった。
僕達の反応に、色さんの口元がさらにむすっと引き結ばれる。
「私情は持ち込みたくないから。……俺達はここじゃ部外者ですからね。」
慣れた手つきでコードを束ねていく色さんの視線は、チラリと撮影スタッフに囲まれる美鳥さんへ。
オールアップ、つまり自身の撮影シーン全てを撮り終えたらしい美鳥さんは、監督やスタッフの方々と何やら談笑しているようだ。ペコペコと周りの人間全てにご丁寧に頭を下げているのが何とも美鳥さんらしい。
「あいつ自身の力で取った初めての大きな仕事なんですよ。下手にsikiの名前出してケチをつけたくないんで、早いとこ撤収しましょう。」
私情はぐっと飲み込んで、あくまで部外者であろうとする色さんに黒澤さんからえー、と不満そうな声が上がる。
「音楽監督なんだから別にいいじゃないですか。初めてなんでしょ?だったらそれこそ側にいてあげればいいのに。」
おそらくからかい半分なのだろうその言葉に、けれど僕は隣でうんうんと何度も大きく頷く。
色さんは気まずそうに視線をさまよわせるだけだった。
「もっとわがまま言っちゃっていいと思いますよ。むしろもう両手広げてこう抱きしめ…」
『ブラーボー!!最高だったぞ、アスカ!』
突如広い場内に響き渡った声。
聞き慣れてしまったその声に僕はビクリと肩を揺らし、手にしていたヘッドホンを取り落とした。
なんで、ここに。
皆が動きを止めて声の主を確かめるより早く、二階の観客席から駆け下りてきたのだろうその人はまるで見えていないかのように遠慮なしに撮影スタッフ達を押しのけ、驚きに目を丸くする美鳥さんをあろう事か思いっきり抱きしめた。
「ちょ、あ、あの、」
「やはりアスカの演技はすばらしい!俺の音で滑るアスカはどんな芸術作品より美しかった!」
いつものアメリカンイングリッシュではなく、ヨーロッパに住んでいたこともある美鳥さんに合わせてだろうクイーンズイングリッシュ。それでも紳士などとは程遠い尊大な態度と言動は相変わらずだ。
あーあ、と苦笑いする黒澤さんの隣で僕はその光景を……彼を直視出来ずに目を伏せる。ふいとそらせた視線のすぐ側で、色さんの拳がぎゅっと握りしめられたのが見えた。
あ、これはまずいパターンでは。
「あの、色さ…」
「おい、オリー!!」
思った時にはもう遅い。僕が動くより先に、色さんは撮影チームの中に突っ込み、美鳥さんから引き離すためにオリヴァーの胸ぐらを掴みあげていた。
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